昔のゲームの想い出 (番外編) [0020]
《テレビゲームの軍資金》
今迄、この「昔のゲームの想い出」を読んでいた方は、「OKIって、当時ゲームをする金、よくあったよなぁ~。」なんて思われた事があるかもしません。普通、「ゲームセンターでゲームが上手い=それ相当のプレー経験がある=金を持っている」という図式が大抵当てはまり、よっぽどプレーセンスが良い人か、反射神経が良い人でもないと、まずは先立つものがなければ上手になれません。
では、どうやってテレビゲームを遊ぶためのお金を捻出していたのでしょうか?
(ちなみに私はボンボンではありませんw)
…ということで、ガキの頃から大人になるまで、ゲームで遊ぶための軍資金調達の想い出を書いてみたいと思います。
今迄、この「昔のゲームの想い出」を読んでいた方は、「OKIって、当時ゲームをする金、よくあったよなぁ~。」なんて思われた事があるかもしません。普通、「ゲームセンターでゲームが上手い=それ相当のプレー経験がある=金を持っている」という図式が大抵当てはまり、よっぽどプレーセンスが良い人か、反射神経が良い人でもないと、まずは先立つものがなければ上手になれません。
では、どうやってテレビゲームを遊ぶためのお金を捻出していたのでしょうか?
(ちなみに私はボンボンではありませんw)
…ということで、ガキの頃から大人になるまで、ゲームで遊ぶための軍資金調達の想い出を書いてみたいと思います。
【学童期】
当たり前ですが、お金なんてまるで持っていませんでした。「ブロック崩し」や「インベーダー」の時は、父親がパチンコに行く時に隣接しているゲームセンターにて便乗して遊ばせてもらいましたが、翌年の「ギャラクシアン」や「ギャラクシーウォーズ」辺りからは自力でゲームセンターに行くようになったため、月のお小遣いで捻出するしかありませんでした。私の一ヶ月のお小遣いは最低時期で1,000円、最高時期で3,000円というのが軍資金でした。このため、1プレー100円のゲームセンターなどは、まずプレーせずに、50円以下の所でプレーをしました。これで最低20回、最高60回のプレーができる事になります。ただし、駄菓子も買うので、半分はコレで消える事から、最低で10回、最高で30回程度となる訳です。しかもこれが「1ヶ月間でできるプレー回数」です。当然これでは上手になる訳がありません。そこで編み出した技は
「母ちゃん財布」
という技です(爆)
これにより、最大2~3倍位のプレー回数を捻出していました。しかし、2年位に1度は見つかってしまい、こっぴどく叱られたものです(まだ外で盗みを働かない分、かわいいものですが…)。そこで仕方が無いので、カツオくんばりの屁理屈をゴネて、両親と賭けを行う事にしました。一番てっとり早い賭けは、「私の能力が何かしら上るとゲームに関連した何かを貰える」という賭けで、簡単なものでいうと「テストが100点取れると、5回分のプレーをさせて貰う。」に始まり、「珠算検定合格でゲームウォッチを買ってもらう(もちろん各級毎にw)。」「水泳でカナヅチな状態から、我流で25m泳げるようになったら、ぴゅう太を買ってもらう。」「徒競走で1位を連続で取れるようになったらゲームソフトを買ってもらう。」「絵画コンクールで賞を取ったら5,000円貰う。」というような、「息子が立派になるなら、ニンジンをブラ下げても良い。」という条件を出してもらい、「もしもレベルが下ったら、ゲームはしばらくおあずけ。(これは親が言ったのではなく、自主的に考えたルール)」というルールを設けて、たまに母ちゃん財布も発動させながら、軍資金を稼いではゲームプレーを進行していました。
また1982年の頃は、エレクトリックサンダー(電子ライターともいうw)という超必殺技を「友人」に繰り出してもらい(私は手を汚さない(^^;)、「Mr.Do!」や「ミッションX」、「ジャンプバグ」といった、近所の駄菓子屋のゲームコーナーにやってくるゲームを店のババアが見に来ないのをいい事に、バリバリとプレーしていました。
そして、ここでプレーが上手くなってくると、次は調子に乗ってゲームセンターやデパートのゲームコーナーでプレーを披露し、ギャラリーに囲まれてチヤホヤされていたところ、デパートのゲームコーナー店員のオジサンに「ゲームコーナーの客寄せパンダ」として、無料でプレーをさせてもらい、更に腕が上る…という、素晴らしいシナジーが発動しました。(軍資金はここに置いていないゲームに使えた)
また、カセットビジョン、ぴゅう太、SEGA SC-3000、ファミリーコンピュータといったカセット式のゲーム機(アルカディア、インテレビジョン、M5などは誰も持ってなかったですw)が揃ってくると、貸し借りのコミュニケーションが広がり、家庭用の方は誰かしらが買っていれば、私の家をHUBに年齢問わず皆で貸し借りを行うようになり、且つ、皆が私にクリアをさせようとカセットやゲーム機本体を持ってくるので、ゲームの腕が一気に向上しました。この「ゲーム機のカセットを買ってもらう」のは、上述したとおり何かしらの功績が必要となる訳ですが、カセットの金額がゲームセンターでゲームを数回プレーする金額とは桁が違うので、「もっとレベルの高い資格」を…と閾がどんどん高くなっていきました… (ちなみに、お年玉でカセットを買ったりはしていました)
【青年期】
私が取れる資格が無くなり(もう英検位しか思いつかなかった…が面接試験が厳しくて躊躇。大分後なって取りました)、ゲームばっかり… それはもう、本当にゲームばっかりやっていると、恐ろしい程馬鹿になって行きました。(^^ゞ
Y田のオカンには、「OKIくんといると、ゲームばっかりやっていて馬鹿が伝染る。」とさえ言われ、「あのババア、ムカつく事いいやがるが、確かにそうだな。(ゴゴゴ…)」と、悔しいけれど自分でも分かる位、馬鹿になって行きました。一応、英語だけは学年でトップレベルでしたが、他の科目が軒並学年でビリを争う位にまで落ちました。その結果、ゲームばっかりやっていて「ゲーム脳」になりました。それは今でいうゲーム脳でなくて、「ゲームをプレーするため、またはゲームを作るために必要な知識しか受け入れないという、四六時中ゲームの事ばっかり考えてしまうゲーム脳」になりました。
他の科目の授業中、ノートにゲームプログラムを書いていたりして(社会の授業中に先生に見つかり、「何、社会の授業中に英語やってんだ。」と、プログラム言語を英語と間違えられたりした)、他の科目の事なんか目もくれずに、ただただ「ゲームがどのように動くか。あのゲームはどのようにして攻略すべきか。」を毎日のように考えていたため、上の学校に行けるか行けないかのレベルにまで落ちました。そうなると月の小遣いしか軍資金がありません。
そして、ゲームセンターには四六時中ずっと入り浸っているため、気がついたら「悪い友人達に囲まれる状況」になってきたりしました。(「暗黒ゲームセンター期」ならではですねw)
「OKI~、このゲームクリアしてよ。」と悪い友人に言われた日には、「ゴメン。俺、金ね~わ。」と言うしかありません(ちなみにこの頃は遠の昔にエレクトリックサンダーが使えない筐体になっています。残念っ!)。
そうすると悪い友人の一人が「んだよ~。仕方ねーなー。ちょっと待ってろよ。」と、ゲームセンターのどこかに消え、「あれっ?アイツ何処行ったんだ?」と探してみると、ゲームセンターの端っこで「サガットのニーキックを壁に向ってやっていました。(当時の表現ではスーパーマリオのコインが連続で出るレンガを殴っている感じ)」
「??? アイツ何やってんだ?」とよく見るとビックリ。ニーキックの対象は明らかに自分より年下の少年で、ソレに対して「カツアゲ」をしているところでした…
少しして、
不良:「OKI~。100円手に入ったから、これで『フリッキー』と『サーカスチャーリー』やってよ。」
とヌカす不良。
OKI:「ヲイヲイ! オマエ何やってんだよ。そんな金でプレーできる訳ねーだろっ!
返してやれよっ!可哀想じゃねーか!」
不良:「でも、OKIもフリッキーやりたいだろ? …好きだろ?」
OKI:「ウググ… (フリッキーで遊びたい…)」
不良:「あっ。お金入れちゃった~♪ (白々しい)」
OKI:「ヤロウ…。」
入れてしまったクレジットはもう戻りません。遠くで泣いている少年… 仕方が無いので、その少年を側に呼んで、「いいか、これから俺が自機を沢山増やすから、その都度このゲームで遊んでくれ。それでチャラだ。分った?」…と、フリッキーをその少年と一緒に遊びました。(サーカスチャーリーは難しいので、そっちは遊ばせないw)
そして、この愚行をその後日も「数回繰り返しました。」別のゲームで…
「こんな行動、良い訳ない。」
そう思った私はある事を思い付きました。近所の"ガキ大将"でありながら、"エロ大将"でもあるO滝先輩から、定期的にダビングを依頼されているエロビデオを人に見せてあげて、そのお礼にゲームをプレーさせてもらおう(※表現を変えていますw)。
これが飛ぶようにヒットしました。「青年期」と書いて「思春期」。みんな「見たい… …けど恥かしくて見る事が出来ない、もしくはお店で借りたくても借りれない… くっ、くやしい… ビクン(ry」そんなウブなインテリくん達に5本見せてあげるだけで、40回もゲームをプレーさせてもらえます。
一気に軍資金…いや、プレー回数がアップ!いつしか私の夕飯前の夕飯(買い食いとも言う)は、常に「寿がきやラーメン(それもチャーシューメン)」or「マクドナルド」になりました。そして「おきドナルド」と陰口を言われるようになりました。しかし、ゲームセンターのゲームも上手になるし、買い食いも楽しい。サイコーな状況じゃなイカ?って感じでした。
【とある男との出会い】
そんな天狗状態になると、不穏な空気も立ちこめます。ある日、「しばらく学校に行ってないから、たまには学校に行かないと…」と思い、学校に行くと友人が寄ってきて…
友人:「OKIくん。数日前から他のクラスの不良達がOKIくんを探しているよ。」
OKI:「えっ? なんで?」
友人:「知らない。『OKIって、来てないのか? じゃぁ、学校来たら
俺の所来るように伝えておいて。』って言われた。」
OKI:「えぇ~!? なんだよ~。それ…」
と言っている側から、他のクラスの不良がやってきました。
不良:「オマエ、OKIくん?」
OKI:「そうだけど… …あれっ? お前、確か俺の地元のゲーセンに行たヤツだよな?」
不良:「えっ? そうだっけ?」
OKI:「ほら、○○○ってゲームセンター。」
不良:「おぉ! 何オマエ、○○○で遊んでんの?」
OKI:「そーだよ。あそこはホームベースだよ~。あそこには真夜中まで居たり、
あそこで泊って遊んだりもした事ある位だよ。」
不良:「そーだったんだ。知らなかったよー。」
OKI:「で、俺に用って何?」
不良:「なんでもOKIくん、凄く一杯エロビデオ持ってるらしいじゃん。学校で噂になってるぞ。」
OKI:「なんだよ、その噂w」
不良:「凄い量なんでしょ? 貸してよ~。」
OKI:「なんだよ、そういう事かー。 それって5本で40回プレーで話つけてるんだけど。」
不良:「え~。それ高いよ~。だったらさ、単車のガソリン満タンで返すからさっ!☆」
OKI:「え~。俺、単車乗ってないんだけどw」
不良:「え~。なら、単車乗らせてあげるからさぁ~。」
OKI:「え~。どーせ族車だろ? いいよ、俺。それ乗って江ノ島行ってコリたからさ。」
不良:「なんだよ~。族車じゃねーよー。なら分ったよ。40回プレーな。
今度渡すからさ。」
OKI:「今度…… ………(!?)」
この時ゲームセンターで泣いた子の事を思い出しました。この不良もまた、同じような手段で40回プレーを調達してくるに違いない…
そー思ったら、急にやるせなくなったので、
OKI:「やっぱり40回プレーはいいわ。要らない。その代り俺と友達になってよ。
そしたら貸してあげる。」
不良:「やったー。そんなのもう話している時点で友達じゃん!」
この不良が「ソニックブラストマン」のポールを折った(と思われる)男、☆川との出会いでした。
それからは、たまに学校から一緒に帰宅したり、剣道の時間に一緒に世間話をしたり、クラスは違うけど、なんとなく付き合いがある感じとなりました。
こうして、私はO滝先輩から渡されるエロビデオを糧に軍資金を増やし、アーケードゲームの腕を上げていました。(^^ゞ
これなら中古基板も買える訳だw (といっても87~89年辺りだと安かったです。私の「ドルアーガ」が8,000円以内、Y本くんの「メタルソルジャーアイザックII」が1~1.5万位でした)
【成人期】
社会人になってからは、お金を潤沢に使う事ができ、ファミリーコンピュータ~PCエンジンのソフトや基板は沢山買うわ、SystemIIは新品を買うわ、X68000は買うわ、スーパーファミコンは買うわ…と、ゲームバカ丸出しの状況でした。1993年にはDOS/V, Windows旋風が吹き荒れ、「これからはPCで、高速レンダリングのゲームをやる時代だっ!」と、1994年に「DOOM」を見てからはアーケードゲームに見切りを付け、1994年からF田くんがコードネームPSXのゲーム開発を行い始めた辺りから、3Dプログラミングに興味を持って、気がついたらゲームをプレーするのではなく、グラフィックの仕事に興味が移っていました。(仕事でも2Dグラフィック/GUI系の仕事ばっかりやるようになりました)
気がつくとゲーム機は手元にゴロゴロあり、思いついたらソフトを買って即クリア… 軍資金という言葉が不要な状況になりました。しかし「それでは老後が危ない」と思い、途中でゲームを買う事を一旦鈍くする事にしました。(ビッグタイトルや本体自体は買う事にはした…程度)
【中年期】
2008年からこのブログを始め、想い出のゲームの事を書き始めたところ、再び「テレビゲーム熱」が燃え始めました。以前のようにゲームを沢山プレーするようになり、昔買い忘れていたタイトル、失くしたタイトル、盗まれたタイトル、ちょっと気になったタイトル、友人に遊ばせたいタイトル…と見境無く買い始め、新作のゲームもチェックするようになり、ただでさえ積んでいたゲームが更に積まれるようになり(今買っておかないと、後々買い辛くなると思ったタイトル等)、恐ろしい程散財するようになりました。その額は洒落にならなく、一度"ゲームの軍資金"という名の"My資産"が底をついた程です(爆)
しかし、これがまた気持ちE~! この「ゲームでザラザラと金を使う感覚」… S山くんやY田くんも呆れる程ですw
今年辺りで卒業しようと思っているのですが、一度覚えた蜜の味… どれだけストイックになれるか不安ではありますが、「程良く貯めて程良く遊ぶファンキーな中年」を目指して行こうと思います。
ゲームは娯楽。娯楽で遊ぶには、それに見合うだけの身分とお金が必要… という事をそろそろ反省したいと思います。そして老後はボケ解消という大義名分で、これらコレクションで遊びまくりたいと思います。
当たり前ですが、お金なんてまるで持っていませんでした。「ブロック崩し」や「インベーダー」の時は、父親がパチンコに行く時に隣接しているゲームセンターにて便乗して遊ばせてもらいましたが、翌年の「ギャラクシアン」や「ギャラクシーウォーズ」辺りからは自力でゲームセンターに行くようになったため、月のお小遣いで捻出するしかありませんでした。私の一ヶ月のお小遣いは最低時期で1,000円、最高時期で3,000円というのが軍資金でした。このため、1プレー100円のゲームセンターなどは、まずプレーせずに、50円以下の所でプレーをしました。これで最低20回、最高60回のプレーができる事になります。ただし、駄菓子も買うので、半分はコレで消える事から、最低で10回、最高で30回程度となる訳です。しかもこれが「1ヶ月間でできるプレー回数」です。当然これでは上手になる訳がありません。そこで編み出した技は
という技です(爆)
これにより、最大2~3倍位のプレー回数を捻出していました。しかし、2年位に1度は見つかってしまい、こっぴどく叱られたものです(まだ外で盗みを働かない分、かわいいものですが…)。そこで仕方が無いので、カツオくんばりの屁理屈をゴネて、両親と賭けを行う事にしました。一番てっとり早い賭けは、「私の能力が何かしら上るとゲームに関連した何かを貰える」という賭けで、簡単なものでいうと「テストが100点取れると、5回分のプレーをさせて貰う。」に始まり、「珠算検定合格でゲームウォッチを買ってもらう(もちろん各級毎にw)。」「水泳でカナヅチな状態から、我流で25m泳げるようになったら、ぴゅう太を買ってもらう。」「徒競走で1位を連続で取れるようになったらゲームソフトを買ってもらう。」「絵画コンクールで賞を取ったら5,000円貰う。」というような、「息子が立派になるなら、ニンジンをブラ下げても良い。」という条件を出してもらい、「もしもレベルが下ったら、ゲームはしばらくおあずけ。(これは親が言ったのではなく、自主的に考えたルール)」というルールを設けて、たまに母ちゃん財布も発動させながら、軍資金を稼いではゲームプレーを進行していました。
また1982年の頃は、エレクトリックサンダー(電子ライターともいうw)という超必殺技を「友人」に繰り出してもらい(私は手を汚さない(^^;)、「Mr.Do!」や「ミッションX」、「ジャンプバグ」といった、近所の駄菓子屋のゲームコーナーにやってくるゲームを店のババアが見に来ないのをいい事に、バリバリとプレーしていました。
そして、ここでプレーが上手くなってくると、次は調子に乗ってゲームセンターやデパートのゲームコーナーでプレーを披露し、ギャラリーに囲まれてチヤホヤされていたところ、デパートのゲームコーナー店員のオジサンに「ゲームコーナーの客寄せパンダ」として、無料でプレーをさせてもらい、更に腕が上る…という、素晴らしいシナジーが発動しました。(軍資金はここに置いていないゲームに使えた)
また、カセットビジョン、ぴゅう太、SEGA SC-3000、ファミリーコンピュータといったカセット式のゲーム機(アルカディア、インテレビジョン、M5などは誰も持ってなかったですw)が揃ってくると、貸し借りのコミュニケーションが広がり、家庭用の方は誰かしらが買っていれば、私の家をHUBに年齢問わず皆で貸し借りを行うようになり、且つ、皆が私にクリアをさせようとカセットやゲーム機本体を持ってくるので、ゲームの腕が一気に向上しました。この「ゲーム機のカセットを買ってもらう」のは、上述したとおり何かしらの功績が必要となる訳ですが、カセットの金額がゲームセンターでゲームを数回プレーする金額とは桁が違うので、「もっとレベルの高い資格」を…と閾がどんどん高くなっていきました… (ちなみに、お年玉でカセットを買ったりはしていました)
【青年期】
私が取れる資格が無くなり(もう英検位しか思いつかなかった…が面接試験が厳しくて躊躇。大分後なって取りました)、ゲームばっかり… それはもう、本当にゲームばっかりやっていると、恐ろしい程馬鹿になって行きました。(^^ゞ
Y田のオカンには、「OKIくんといると、ゲームばっかりやっていて馬鹿が伝染る。」とさえ言われ、「あのババア、ムカつく事いいやがるが、確かにそうだな。(ゴゴゴ…)」と、悔しいけれど自分でも分かる位、馬鹿になって行きました。一応、英語だけは学年でトップレベルでしたが、他の科目が軒並学年でビリを争う位にまで落ちました。その結果、ゲームばっかりやっていて「ゲーム脳」になりました。それは今でいうゲーム脳でなくて、「ゲームをプレーするため、またはゲームを作るために必要な知識しか受け入れないという、四六時中ゲームの事ばっかり考えてしまうゲーム脳」になりました。
他の科目の授業中、ノートにゲームプログラムを書いていたりして(社会の授業中に先生に見つかり、「何、社会の授業中に英語やってんだ。」と、プログラム言語を英語と間違えられたりした)、他の科目の事なんか目もくれずに、ただただ「ゲームがどのように動くか。あのゲームはどのようにして攻略すべきか。」を毎日のように考えていたため、上の学校に行けるか行けないかのレベルにまで落ちました。そうなると月の小遣いしか軍資金がありません。
そして、ゲームセンターには四六時中ずっと入り浸っているため、気がついたら「悪い友人達に囲まれる状況」になってきたりしました。(「暗黒ゲームセンター期」ならではですねw)
「OKI~、このゲームクリアしてよ。」と悪い友人に言われた日には、「ゴメン。俺、金ね~わ。」と言うしかありません(ちなみにこの頃は遠の昔にエレクトリックサンダーが使えない筐体になっています。残念っ!)。
そうすると悪い友人の一人が「んだよ~。仕方ねーなー。ちょっと待ってろよ。」と、ゲームセンターのどこかに消え、「あれっ?アイツ何処行ったんだ?」と探してみると、ゲームセンターの端っこで「サガットのニーキックを壁に向ってやっていました。(当時の表現ではスーパーマリオのコインが連続で出るレンガを殴っている感じ)」
「??? アイツ何やってんだ?」とよく見るとビックリ。ニーキックの対象は明らかに自分より年下の少年で、ソレに対して「カツアゲ」をしているところでした…
少しして、
不良:「OKI~。100円手に入ったから、これで『フリッキー』と『サーカスチャーリー』やってよ。」
とヌカす不良。
OKI:「ヲイヲイ! オマエ何やってんだよ。そんな金でプレーできる訳ねーだろっ!
返してやれよっ!可哀想じゃねーか!」
不良:「でも、OKIもフリッキーやりたいだろ? …好きだろ?」
OKI:「ウググ… (フリッキーで遊びたい…)」
不良:「あっ。お金入れちゃった~♪ (白々しい)」
OKI:「ヤロウ…。」
入れてしまったクレジットはもう戻りません。遠くで泣いている少年… 仕方が無いので、その少年を側に呼んで、「いいか、これから俺が自機を沢山増やすから、その都度このゲームで遊んでくれ。それでチャラだ。分った?」…と、フリッキーをその少年と一緒に遊びました。(サーカスチャーリーは難しいので、そっちは遊ばせないw)
そして、この愚行をその後日も「数回繰り返しました。」別のゲームで…
「こんな行動、良い訳ない。」
そう思った私はある事を思い付きました。近所の"ガキ大将"でありながら、"エロ大将"でもあるO滝先輩から、定期的にダビングを依頼されているエロビデオを人に見せてあげて、そのお礼にゲームをプレーさせてもらおう(※表現を変えていますw)。
これが飛ぶようにヒットしました。「青年期」と書いて「思春期」。みんな「見たい… …けど恥かしくて見る事が出来ない、もしくはお店で借りたくても借りれない… くっ、くやしい… ビクン(ry」そんなウブなインテリくん達に5本見せてあげるだけで、40回もゲームをプレーさせてもらえます。
一気に軍資金…いや、プレー回数がアップ!いつしか私の夕飯前の夕飯(買い食いとも言う)は、常に「寿がきやラーメン(それもチャーシューメン)」or「マクドナルド」になりました。そして「おきドナルド」と陰口を言われるようになりました。しかし、ゲームセンターのゲームも上手になるし、買い食いも楽しい。サイコーな状況じゃなイカ?って感じでした。
【とある男との出会い】
そんな天狗状態になると、不穏な空気も立ちこめます。ある日、「しばらく学校に行ってないから、たまには学校に行かないと…」と思い、学校に行くと友人が寄ってきて…
友人:「OKIくん。数日前から他のクラスの不良達がOKIくんを探しているよ。」
OKI:「えっ? なんで?」
友人:「知らない。『OKIって、来てないのか? じゃぁ、学校来たら
俺の所来るように伝えておいて。』って言われた。」
OKI:「えぇ~!? なんだよ~。それ…」
と言っている側から、他のクラスの不良がやってきました。
不良:「オマエ、OKIくん?」
OKI:「そうだけど… …あれっ? お前、確か俺の地元のゲーセンに行たヤツだよな?」
不良:「えっ? そうだっけ?」
OKI:「ほら、○○○ってゲームセンター。」
不良:「おぉ! 何オマエ、○○○で遊んでんの?」
OKI:「そーだよ。あそこはホームベースだよ~。あそこには真夜中まで居たり、
あそこで泊って遊んだりもした事ある位だよ。」
不良:「そーだったんだ。知らなかったよー。」
OKI:「で、俺に用って何?」
不良:「なんでもOKIくん、凄く一杯エロビデオ持ってるらしいじゃん。学校で噂になってるぞ。」
OKI:「なんだよ、その噂w」
不良:「凄い量なんでしょ? 貸してよ~。」
OKI:「なんだよ、そういう事かー。 それって5本で40回プレーで話つけてるんだけど。」
不良:「え~。それ高いよ~。だったらさ、単車のガソリン満タンで返すからさっ!☆」
OKI:「え~。俺、単車乗ってないんだけどw」
不良:「え~。なら、単車乗らせてあげるからさぁ~。」
OKI:「え~。どーせ族車だろ? いいよ、俺。それ乗って江ノ島行ってコリたからさ。」
不良:「なんだよ~。族車じゃねーよー。なら分ったよ。40回プレーな。
今度渡すからさ。」
OKI:「今度…… ………(!?)」
この時ゲームセンターで泣いた子の事を思い出しました。この不良もまた、同じような手段で40回プレーを調達してくるに違いない…
そー思ったら、急にやるせなくなったので、
OKI:「やっぱり40回プレーはいいわ。要らない。その代り俺と友達になってよ。
そしたら貸してあげる。」
不良:「やったー。そんなのもう話している時点で友達じゃん!」
この不良が「ソニックブラストマン」のポールを折った(と思われる)男、☆川との出会いでした。
それからは、たまに学校から一緒に帰宅したり、剣道の時間に一緒に世間話をしたり、クラスは違うけど、なんとなく付き合いがある感じとなりました。
こうして、私はO滝先輩から渡されるエロビデオを糧に軍資金を増やし、アーケードゲームの腕を上げていました。(^^ゞ
これなら中古基板も買える訳だw (といっても87~89年辺りだと安かったです。私の「ドルアーガ」が8,000円以内、Y本くんの「メタルソルジャーアイザックII」が1~1.5万位でした)
【成人期】
社会人になってからは、お金を潤沢に使う事ができ、ファミリーコンピュータ~PCエンジンのソフトや基板は沢山買うわ、SystemIIは新品を買うわ、X68000は買うわ、スーパーファミコンは買うわ…と、ゲームバカ丸出しの状況でした。1993年にはDOS/V, Windows旋風が吹き荒れ、「これからはPCで、高速レンダリングのゲームをやる時代だっ!」と、1994年に「DOOM」を見てからはアーケードゲームに見切りを付け、1994年からF田くんがコードネームPSXのゲーム開発を行い始めた辺りから、3Dプログラミングに興味を持って、気がついたらゲームをプレーするのではなく、グラフィックの仕事に興味が移っていました。(仕事でも2Dグラフィック/GUI系の仕事ばっかりやるようになりました)
気がつくとゲーム機は手元にゴロゴロあり、思いついたらソフトを買って即クリア… 軍資金という言葉が不要な状況になりました。しかし「それでは老後が危ない」と思い、途中でゲームを買う事を一旦鈍くする事にしました。(ビッグタイトルや本体自体は買う事にはした…程度)
【中年期】
2008年からこのブログを始め、想い出のゲームの事を書き始めたところ、再び「テレビゲーム熱」が燃え始めました。以前のようにゲームを沢山プレーするようになり、昔買い忘れていたタイトル、失くしたタイトル、盗まれたタイトル、ちょっと気になったタイトル、友人に遊ばせたいタイトル…と見境無く買い始め、新作のゲームもチェックするようになり、ただでさえ積んでいたゲームが更に積まれるようになり(今買っておかないと、後々買い辛くなると思ったタイトル等)、恐ろしい程散財するようになりました。その額は洒落にならなく、一度"ゲームの軍資金"という名の"My資産"が底をついた程です(爆)
しかし、これがまた気持ちE~! この「ゲームでザラザラと金を使う感覚」… S山くんやY田くんも呆れる程ですw
今年辺りで卒業しようと思っているのですが、一度覚えた蜜の味… どれだけストイックになれるか不安ではありますが、「程良く貯めて程良く遊ぶファンキーな中年」を目指して行こうと思います。
ゲームは娯楽。娯楽で遊ぶには、それに見合うだけの身分とお金が必要… という事をそろそろ反省したいと思います。そして老後はボケ解消という大義名分で、これらコレクションで遊びまくりたいと思います。
コメント
常に金欠でしたね(笑)
少年時代はみんな金欠ですよねw
>駄菓子屋ゲーセンは1プレイ50円
駄菓子屋は金的に50円以下ですよね。(´▽`)
直営店は「高い」というイメージと、「そのくせ難易度まで高い」というイメージがあります。
私の行動範囲のタイトー直営店は(タイトーではないのに)ファンタジーゾーンが最高難易度に設定してあって、「100円でこりゃねーよ。」みたいな感じでした。
>昼食代をケチって
これが基本ですよねー。食い気よりゲーム気です。
私の場合、途中からイカサマ状態になってしまいましたが…
>たまに入る臨時収入
全部ゲームと駄菓子ですよね。(駄菓子は違うかも知れませんが…)
もうゲームに全てを投資するしか考えられなかったです。
>お金の掛からないお店
ですよねぇ~。
お金が掛からない+自機が多い店+難易度の低い店、
全部しらみ潰しで研究してました。
いかに楽しめるか、いかに長く遊べるか(かといって、永パはしない)が重要でした。
>程良く貯めて程良く遊ぶファンキーな中年
言い方変えると、「ガキオヤジ」です。
某ろぼっ子の赤ヘルみたいにならないと!(違
駄菓子屋は金的に50円以下ですよね。(´▽`)
直営店は「高い」というイメージと、「そのくせ難易度まで高い」というイメージがあります。
私の行動範囲のタイトー直営店は(タイトーではないのに)ファンタジーゾーンが最高難易度に設定してあって、「100円でこりゃねーよ。」みたいな感じでした。
>昼食代をケチって
これが基本ですよねー。食い気よりゲーム気です。
私の場合、途中からイカサマ状態になってしまいましたが…
>たまに入る臨時収入
全部ゲームと駄菓子ですよね。(駄菓子は違うかも知れませんが…)
もうゲームに全てを投資するしか考えられなかったです。
>お金の掛からないお店
ですよねぇ~。
お金が掛からない+自機が多い店+難易度の低い店、
全部しらみ潰しで研究してました。
いかに楽しめるか、いかに長く遊べるか(かといって、永パはしない)が重要でした。
>程良く貯めて程良く遊ぶファンキーな中年
言い方変えると、「ガキオヤジ」です。
某ろぼっ子の赤ヘルみたいにならないと!(違
なんか凄いカミングアウトのような…
もちろん私もご多分に漏れず金欠少年だった訳ですが…それでも、小遣いは比較的多かったような。
親からの分(2000円/月だったかな?)の他に、祖母から「犬の散歩代」を3000円(後5000円)もらってたりしまして。
そのかわり、朝4時半とか5時とか、犬が吠えて近所迷惑になる前に出発、と結構過酷でした。あいつ、私を自分より格下だと思ってたんじゃないかな?祖母との散歩だとゆっくり歩くけど、私との場合は全力疾走しやがったものです(中坊の頃ですので、付き合って走ってたのが問題かも)
そんなわけで、幸いなことに、バオーブレークダークサンダーフェノメノン(電子ライターとも以下略)とは無縁でしたね。まぁ、私らの周辺では、テニスのガットが主流で(ぉぃ)。私は自分では手を染めませんでしたが。修学旅行にまで持参してた奴がいたなぁ。旅館のテレビが犠牲に(爆)それにも増して豪快なうちのクラスのやんちゃ野郎(婉曲表現)は、テレビそのものを逆さに持ち上げてブンブン振って、チャリーンと(爆死)あの光景は一生忘れないですね。
親からの分(2000円/月だったかな?)の他に、祖母から「犬の散歩代」を3000円(後5000円)もらってたりしまして。
そのかわり、朝4時半とか5時とか、犬が吠えて近所迷惑になる前に出発、と結構過酷でした。あいつ、私を自分より格下だと思ってたんじゃないかな?祖母との散歩だとゆっくり歩くけど、私との場合は全力疾走しやがったものです(中坊の頃ですので、付き合って走ってたのが問題かも)
そんなわけで、幸いなことに、バオーブレークダークサンダーフェノメノン(電子ライターとも以下略)とは無縁でしたね。まぁ、私らの周辺では、テニスのガットが主流で(ぉぃ)。私は自分では手を染めませんでしたが。修学旅行にまで持参してた奴がいたなぁ。旅館のテレビが犠牲に(爆)それにも増して豪快なうちのクラスのやんちゃ野郎(婉曲表現)は、テレビそのものを逆さに持ち上げてブンブン振って、チャリーンと(爆死)あの光景は一生忘れないですね。
バオーで来ましたかw
いまだにアームドフェノメノンはたまに言いますw
先日、エロビデオのコーデックが酷くて、男優の背中に緑のブロックノイズが走りまくった時なんかに部屋で叫びました。
それにしても、ハエ男さんは当時はお金持ちだったんですねぇ~。いやはや羨ましいです… 金が無いとなんでもしてしまうのが子供なので、今は時効ということで一つ…
ガット(こちらではタコ糸)も流行りましたよねぇ~。
後、1円玉数枚を電車で潰して大きなお金に変換させたりして、入るか実験とかしました。なんでもアリです。子供なんて…
先日、エロビデオのコーデックが酷くて、男優の背中に緑のブロックノイズが走りまくった時なんかに部屋で叫びました。
それにしても、ハエ男さんは当時はお金持ちだったんですねぇ~。いやはや羨ましいです… 金が無いとなんでもしてしまうのが子供なので、今は時効ということで一つ…
ガット(こちらではタコ糸)も流行りましたよねぇ~。
後、1円玉数枚を電車で潰して大きなお金に変換させたりして、入るか実験とかしました。なんでもアリです。子供なんて…
これがッ、武装現象だッ!!
いまだに「バオー」はバイブルです。単行本派の私にしては珍しく、ジャンプ本誌を買ってまで追っかけました。まだスクラップがある筈。
個人的に、あまり長編になってしまうと飽きちゃうので(あと、引き延ばしが嫌い、ってのもあります)。JOJOよりバオーってのは、自分でもひねくれてると思いますが。
>それにしても、ハエ男さんは当時はお金持ちだったんですねぇ~
いや、そんな感じでは無いんですが(汗)、確かに自由になるお金は多かったのかも…でも、無計画で無軌道だったので、常にピーピー言ってました。高校時代、一度授業料をちょろまかs(以下自粛)
そのかわり、おもちゃとかへの出費には渋かったんで、まわりの子供が羨ましかったです。本は漫画意外なら、ほぼノーチェック(予算はありますが)で買ってもらえました。今でもビブリオマニアの気が…
>ガット(こちらではタコ糸)
ガットは、あの適度な固さとしなやかさで、返却口から(ぅゎ)初期は針金でしたが…
>なんでもアリです。子供なんて…
この創意工夫を有効に使ってれば(爆)この才能の無駄遣いこそ子供だよなぁ、としみじみ。
個人的に、あまり長編になってしまうと飽きちゃうので(あと、引き延ばしが嫌い、ってのもあります)。JOJOよりバオーってのは、自分でもひねくれてると思いますが。
>それにしても、ハエ男さんは当時はお金持ちだったんですねぇ~
いや、そんな感じでは無いんですが(汗)、確かに自由になるお金は多かったのかも…でも、無計画で無軌道だったので、常にピーピー言ってました。高校時代、一度授業料をちょろまかs(以下自粛)
そのかわり、おもちゃとかへの出費には渋かったんで、まわりの子供が羨ましかったです。本は漫画意外なら、ほぼノーチェック(予算はありますが)で買ってもらえました。今でもビブリオマニアの気が…
>ガット(こちらではタコ糸)
ガットは、あの適度な固さとしなやかさで、返却口から(ぅゎ)初期は針金でしたが…
>なんでもアリです。子供なんて…
この創意工夫を有効に使ってれば(爆)この才能の無駄遣いこそ子供だよなぁ、としみじみ。
これがバオー・メルテッディン・パルムだっ!
汗かくと友人に言ってたりしますw
バオーとかその前のビーティーとか短くて良かったですよね。
私もこの方の作品は、バオーとJOJOの第一部(のみ)が大好きです。ダニー!
>お金持ち
いや、聴いているだけで羨ましいです。ハイ。(^^)
>初期は針金
これは「感電する」という都市伝説があって、みんな自粛していましたw
>才能の無駄遣い
こーいうことして大人の階段を登ったり、狡猾になっていくのだと思いますw
少なくとも私はそのお陰でバカなりにも知恵が生まれて、いままでなんとか生きてこれた気がします…
バオーとかその前のビーティーとか短くて良かったですよね。
私もこの方の作品は、バオーとJOJOの第一部(のみ)が大好きです。ダニー!
>お金持ち
いや、聴いているだけで羨ましいです。ハイ。(^^)
>初期は針金
これは「感電する」という都市伝説があって、みんな自粛していましたw
>才能の無駄遣い
こーいうことして大人の階段を登ったり、狡猾になっていくのだと思いますw
少なくとも私はそのお陰でバカなりにも知恵が生まれて、いままでなんとか生きてこれた気がします…
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圧倒的に1プレイ100円が多かったメーカー直営のロケーションの中で、中学時代までホームグラウンドとして活動していた駄菓子屋ゲーセン(アイレム単独→アイレム・タイトー・セガ相乗り→再びアイレム単独)では1プレイ50円で随分と助けられましたね。
高校生の時は、ファッションビルの中にテナントとして入っていたナムコ直営のロケーションをホームとしていましたが、当時は1プレイ100円だったので、親からもらった昼食代をケチってパン1つと飲み物だけにして、残りを放課後の活動費用(それでもせいぜい2~3回プレイできればいい方)としてました(笑)。
たまに入る臨時収入(お年玉やら親戚が来た時にもらうお小遣いやら)も、当時は大切な軍資金でしたね。
上京してからは、交通費を浮かせる目的で、主に通学や通勤時の定期券で行ける範囲の所(新宿メインですが…笑)でプレイしていましたが、食事はもちろんお金の掛からないお店で…という感じでした。(^^ゞ
>程良く貯めて程良く遊ぶファンキーな中年
イイですね!
少年の心を忘れない中年…永遠のテーマです。(^^)