昔のゲームの想い出 (番外編) [0017]
《私はファミコン通信のライターになりたかった(笑)》
元ゲーム雑誌のライターをされていた、わで~んさんとメールでやりとりをしていたり、先日Y田くんに「ハイローラー」なるキーワードを言われたら、昔の出来事を書きたくなりました。
実は私、20年前にファミ通(旧:ファミコン通信)のライター(アルバイト)をしてみたかったのですが、実現できなかったのです…
元ゲーム雑誌のライターをされていた、わで~んさんとメールでやりとりをしていたり、先日Y田くんに「ハイローラー」なるキーワードを言われたら、昔の出来事を書きたくなりました。
実は私、20年前にファミ通(旧:ファミコン通信)のライター(アルバイト)をしてみたかったのですが、実現できなかったのです…
【198X年】
地球は核の炎に包まれた…
…って、北斗の拳のような年表表記ですが、まぁ、年代は80年代後半という事でw
私はファミコン通信を創刊号から買っており、あのアスキーのライターの方々特有の文章や編集部のノリが非常に好きで、隔週(最初は週刊じゃありませんでした)を楽しみに、ファミコン通信を買っていました。
そんな中、ある号を買っていて、「アルバイト募集」という広告を見かけました。「へぇ~。今は人手が足りないんだ… 何々?アルバイトで月30万稼げる? ファミコン通信の仕事って、アルバイトでもそんなに貰えるんだ…」なんて思いました。しかし、この時は普通にスルーしました。
さて、少し話が変わるのですが、私は当時、ニッポン放送のラジオ番組であるオールナイトニッポンを聴いており、水曜日第一部の小泉今日子さんの番組を聴いていたのですが、この番組が始まってすぐに、ファミコン通信編集部のスタッフとゲームフリークの田尻智さんが出てくる「ファミバカコーナー」というものが放送されて始め、「おおおぉぉぉ!こんな番組がっ!」と、Y本くんにすぐに連絡しました。
毎週楽しみに聴いて、色々なファミコンのゲームを紹介してくれる(それと、ちょっとした裏技も披露してくれる)この番組は、私にとってとても有意義な時間となっていました。時間枠が10~15分程度だったので、ファミっ子大作戦でやっていたような新作ランキングもなければ、現在長期に渡って放送しているゲームセンターCXのように長々とプレーする訳でもないのですが、音声だけというのに、ファミコン通信編集部のユルい感じが、もの凄くかもし出されていた放送となっていました。
そして、これを聴いているウチに、「この編集部で働きたい…」と。
【当時のライターの方々】
当時のファミコン通信編集部は、今のファミ通にいらっしゃる個性的なライターの方よりも、256倍は強まった個性的な方がいたような気がします。
…いや、というよりも、最初にこのような方達により創刊されて、現在のファミ通がある訳で、今の方達も個性的ですが、創立者の方達のファーストインパクトのお陰で、私にとって「この方達以上な個性的な人は、どれもテンプレートの焼き増しになってしまっている」という感じです。
元々80年代のアスキー系の雑誌の編集部は、みんなこんな感じの方々ばっかりだったので、これが社風だったのでしょうね。
ざっと名前を思い出すと、浜村通信さん、とうふ屋ファミ坊さん、ガスコン金谷さん、TACO.Xさん、水野てんちょさん、渋谷洋一さん、そして架空の女性、森下万里子さん(当時は実在していたのかと思っていましたw)などなど、皆さんの記事やクロスレビューは本当に素晴らしいものでした。(みんなTACO.Xさんの言葉を当てにしてましたよね!w)
この中で、特に憧れだったのは、「ハイローラー」という用語を生んだ、よくツナギを来て、後にCBR250RRに乗って、ギターの形をしたコントローラーを使ってゲームをプレーしていた渋谷洋一さんでした。特に当時あったコーナーの「アーケード・マニアック」は本当に素晴らしく、私のブログの「昔のゲームの想い出」日記が50%インスパイアされたもので(残りの50%は田尻智さんの「パックランドでつかまえて」です)、「いつか会えないものかなぁ~」なんて思いながら記事を読んでいました。(なんでも当時のファミコン通信によると、渋谷洋一さんは、書く記事はトンガっているのに、本人は極めて腰の低い好青年だったとかw)
【そして再び応募の広告が】
ある日、いつものようにファミコン通信を買って記事を読んでいたところ、再びスタッフ(アルバイト)募集の広告が。
今度はいてもたってもいられなくなり、ファミコン編集部に電話をしました。
ファミコン通信編集部の方(以下:ファミ通):「はい、ファミコン通信編集部です。」
OKI:「(繋がった! ドキドキ…)
わたくし、ファミコン通信のNo.XXXの記事で、アルバイト募集中の広告を
見たものなのですが、現在もアルバイトの募集はされていますか?」
ファミ通:「あっ、ハイ。していますよ。」
OKI:「本当ですか! 私、そちらで働きたいのですが、何か条件などは
あるのでしょうか?」
ファミ通:「ハイ。条件ありますよ! え~、No.XXXを見たという事は最新号ですよね。
以前、No.YYYでもアルバイト募集していて、そこに条件が色々と書いあったのですが、
その号はお持ちですか?」
OKI:「あります! 創刊号から持っています!」
ファミ通:「あ~、それでしたら、No.WWWにゲーム採用試験のコーナーがあったの
知ってます? あの条件がクリアできれば、テストプレイヤーとかできますね。」
OKI:「分かります。あのクイズですよね! 仕事の方はテストプレイヤーとか
あるんですね。寝ないで攻略とかするものでしょうか? 『椅子寝り』とかですよね。」
ファミ通:「(笑) そうそう。それです。(笑) 知ってますねぇ~」
OKI:「はい! いつも徹夜でゲームしてるので、幾らでもゲームできます!」
ファミ通:「分かりました。それでは、No.YYYの募集条件を見ていただいて、
条件が合えば履歴書を送ってください。ところで、お住いは東京近郊でしょうか?」
OKI:「え~と、ギリギリ東京近郊です。」
ファミ通:「そうですか、コレ、結構重要なので、条件をよく見ておいてください。」
OKI:「はい、分かりました。ありがとうございます。」
ファミ通:「はい、それでは履歴書の方、お待ちしております。」
非常に丁寧で紳士的な応対に、「これって、あのファミコン通信なのか?」と思いながらも、電話のうしろではファミリーコンピュータの色々なピコピコ音がオーバーラップで鳴っており、「いかにもゲーム編集部」というBGMでした。今思うと、「これが真のプロの応対で、真のプロだからこそ、あのユルい文章が書ける才能なのかな…」って感じですが、当時は「すんなり電話が繋がり、且つ気持ちの良い応対」にビックリしたものです。
【驚愕の事実】
「うおぉぉぉぉ! エキサイテングだぜ!」と創刊号ばりに興奮した後は、「さて、No.YYYとNo.WWWを漁ってみるか…」と少し冷静になりがら、バックナンバーを本棚から漁り、No.WWWが先に見付かったので、ゲーム採用試験の記事を久々に読みました。
その記事の内容はファミリーコンピュータのゲームの裏技や、幾つかのゲームの仕様についてクイズ形式になっているもので、ファミリースタジアムの選手の名前や、女神転生の悪魔の合体で生成される悪魔の名前、色々なゲームの裏技について記述されていました。私はこの日記で散々書いているように、スポーツゲームは苦手ジャンルなのですが、それを抜いても、そこそこの解答率でした。
「いっ、イケる… イケるぞ… よしっ!イケるぞぉ~。」と、ファミコン通信をブルブル震えながら持っている私は、ムスカがラピュタ語を読んでいるような感じだったでしょう。かなりの感触を掴んだ感じでした。流石(?)周りでは「ゲームの神様」とか不名誉な称号を貰っていただけありますw
「次に、No.YYYの募集内容をっと…」
ガサガサと漁っていると見付かりました。アルバイトの応募条件が記述されているNo.YYY。そして記事を読んでいて、驚愕な事実が…
「南青山の編集部まで、どんな時でも1時間以内で来る事ができる方」
「…な、なんだ、この条件… こんな事書いてあるから、『どんな時でも来れないと行けない」んだよな…恐らく深夜でも、呼び出しがかかるって事に違いないんだろうな…」
私の家(当時は実家)から、南青山のファミコン通信まで、どう見積っても1時間30分弱はかかってしまう… 条件に適合できない…
「うおおおぉぉぉ! な、なんでじゃ~!」 当時の私は叫びました(爆)
「こーなりゃ、実家でなくて一人暮らしだ。それしか手は無い。」
急遽、夕飯時に家族会議です。
OKI:「あのさ… 俺、ゲームの雑誌書いている所で働きたいんだけど。」
父:「へぇ~。雑誌ねぇ。雑誌の記事を書くのか?どんな仕事なんだ?」
OKI:「うん。ゲームをやって、その攻略記事とか書く感じ。」
父:「へぇ~。それって幾らもらえるんだ?」
OKI:「なんでも雑誌によると、アルバイトから始まって、月30万は固いみたい。」
父:「30万!? そんな貰えるのか? それは嘘なんじゃないのか?
たかがアルバイトだろ?」
OKI:「え~とね、それには色々と条件があって、ようは『徹夜』。
徹夜でゲームをやる仕事なんだ。休みなしのブッ続けで。」
父:「徹夜!? そんな仕事なのか? スゲーなぁ~。」
OKI:「うん、でもゲームなら幾らでもできるし、いつも徹夜でやっているから
問題無い。」
父:「そ~か~。まぁ、やりたいなら好きにすればいいんじゃない。
オマエ、部屋にもゲームセンターの台がある位だしな。」
OKI:「でさぁ、その雑誌の応募条件がさ、南青山の編集部まで1時間以内で
来れないとならない条件でさ、ここからだと通える条件じゃないので、
東京で一人暮らしをしたいんだよね。月30万位稼げれば、ワンルーム位は
借りれるしね。」
父:「ふ~ん。なるほどね。」
と話はトントン拍子に決まりそうになった時、黙って聴いていた母親が口を開きました。
母:「ダメです。」
OKI & 父:「エッ?」
母:「ダメです。そんなの許しません。」
OKI:「な、なんで…」
母:「ダメです。だって考えてもみなさい。たかがアルバイトでしょ。
正社員でもないし保証が無い。ましてはオマエ、一人暮らしだなんて、
家の事なんてロクに何一つしないで、生きてきた子供が、何が急に一人暮らしだ。
バカも休み休み言いなさい。」
OKI:「そ、そんなの誰だって最初は初めてな訳だし、色々と苦労するもんじゃん!
今迄やってなかったって、一人暮らしを始めれば慣れて行くもんだよ!」
母:「ダメですっ! それだったら、まずはどこかに就職をしてみて、
一人暮らしをしてから、その雑誌で働けばいいでしょ。その仕事が逃げる訳でも無いし。」
普段は温厚で、且つ私が何をやっても(部屋にゲーム台を置いても)、意見なんて言わない母親が、物凄い理論武装と激昂です。
いままでを振り返ると、私が少し変な横道に反れそうな時(例えば不良になりそう等)は、決ってこんなだった事を思い出しました。
ようは「おかしなベクトルに向いたという臭いを察知するとこのように発動する」訳です。その時の母親は肝っ玉オカンモードになっていました。
今思うと、「それも母親が考えた、一つの正しい解」という事が分かりますが、当時は意見を反対されて、私は聞く耳を持たずにかなりムキになっていました。
OKI:「もういいっ! 独りで考えるっ!」
そういって、(幼稚な)私は部屋で籠城して一日程、色々と考えました。
この時点で当時の私が成りたかった職業はというと、
1.コンピュータプログラマ(エンジニア)(できればゲーム系)
2.ゲーム関係のライター
3.獣医
4.医者
「3.」「4.」は当時よりも、もっと子供の時に憧れた職業で、この時点では殆ど論外に近い状態になっており、結局のところ「1.」「2.」でした。それも、「1.」が7割位を占めていた感じだったと思います。
母親に言われなくても、「ゲーム雑誌のアルバイトという"不安定な職業"(失礼!)についたら、父親のようになってしまう…(※この時の父親は母親のヒモでした)」そう思った私は、最もインテリっぽい臭いのするコンピュータ系の仕事に就きたかったんだと思います。(学校も行かないでプログラミングしていた位だし)
そして結局、自分の腑甲斐無さ(一人暮らしもできない、学校に対する態度もゴニュゴニュな状態だった事)を鑑みて、ファミコン通信のライターのアルバイトを諦めました。
【エピローグ (その1)】
1996年(1995年の後半だったかな…)にゲーメストの彼に久々に会ってプロトタイプのQuakeを見せてあげ、その後1996年にQuakeがリリースされて爆発的に流行り、彼がQuakeに物凄くハマったという事で、Quakeを先行して紹介してあげたお礼に高田馬場にある彼の事務所(この時点でフリーのゲームライターになっていた)に招待されたところ、部屋がゲームセンターのようになっていました(まぁ、ライターですから経費でなんでも買ってましたw)。そこにはバーチャファイターの新作(プロトタイプ)が置いてあり、やりこまれたレイストームや、その他諸々のアーケードゲーム、そして何よりマンションの一部屋がネットワークゲーム用のコロシアムになっていました。PCが数台に渡りLAN構成にて接続され、一部の端末はインターネットに繋っており、当時としては最先端なゲームルームです。
OKI:「なんじゃ、この部屋。個人で構築される部屋じゃないよ。
俺の会社のサーバルームみたいだ…
でも、こういうの好きだったよね。横浜のバトルテックでトップ張ってたらしいしw
でもキミ、コンピュータに明るくなかったじゃん。」
幼馴染:「ええw 実はこの部屋、渋谷洋一さんに組んでもらったんです。」
OKI:「えええっ! そーなの? あの人、今何やってんの?」
幼馴染:「僕と一緒に雑誌でQuakeの記事とか書いてますよ。」
OKI:「そーなのっ!? あの人、なんでファミコン通信辞めたの?」
幼馴染:「それはまぁ… 色々と…」
OKI:「そーなんだ… まぁ、色々とあったんだね。」
幼馴染:「OKIさんには、是非渋谷さんに会って欲しいですよ。基板も一杯持ってるし、
話も合うと思います。今度紹介しますね。」
OKI:「マジ! ラッキー! (でも、もう基板はやってないんだけどね…)」
その日は喜んで、帰宅しました。
…で、現在14年位経っていますが、未だに渋谷洋一さんとは会えておりません。あのヤロウ、アギギ…
【エピローグ (その2)】
2000年。全国にある某コンビニエンスストアの情報端末のフロントエンドを設計し、某タイトーの工場がある某小田急線の駅の近くにある、とても小さなソフトハウスに開発を委託し、そこのエンジニア数人と仕事をしていたところ、妙な流れから「ムジュラの仮面」の話が出て、その一人とヲタ話が盛り上がったところ、
某エンジニア(以下:某エ):「OKIさん、ゲーム詳しいですね。」
OKI:「えぇまぁ、昔はゲームセンターに入り浸りでしたからねぇ~」
某エ:「そーなんですか。それにしてはマニアックなw
もしかして昔、基板とか持ってた人だったりして。」
OKI:「あぁ~、実家にありますよw」
某エ:「やっぱり~。やっぱりボクらの業界は、
ガンプラとゲームとアニメの話が出来れば、大抵仲良しですよねw」
OKI:「あはははは。(^▽^;
しかし、結構ゲームお詳しいですね。かなりやり込んでいたんですか?」
某エ:「えぇ。実はボク、この仕事の前はファミ通でアルバイトしていたんです。」
OKI:「えええぇぇぇ~!? なんとまぁ!」
某エ:「でも、仕事がキツくて、辞めちゃいました。」
OKI:「もったいない… どんな仕事してたんですか? ライターだったとか?」
某エ:「いえ、葉書を読んで仕分けたり、ゲーマーの人のお手伝いとか…」
OKI:「ゲームとかプレーして、レポートとかしなかったんですか?」
某エ:「それはかなり上手じゃないと無理ですね。正直、神技ですよ。」
OKI:「そーなんですか~」
某エ:「あんな所居たら、頭おかしくなっちゃいますよ。アルバイトだし、
保証もないし、お先真っ暗です。僕はコンピュータが元々好きだったので、
こうしてプログラムとかできるし、結婚もできたし、辞めて良かったです。」
OKI:「保証も無くて、お先真っ暗ですか… (どっかで聴いたような…)」
某エ:「ところでOKIさん、ムジュラは買うんですか?」
OKI:「えぇ、買いますよ。拡張パック付きのを。(`▽´)」
とまぁ、そーですか… ファミ通で働くと、人によってこのような分岐もあるんだなぁ~と思いました。
雑誌の編集(ライター)はエンドユーザ(読者)からすると、とても光り輝いて見えますが、光ある所には影あり…という事を意識させられました。
◇ ◇ ◇
でもですね、結局は私にとって未体験な仕事な訳ですから、やっぱり憧れてしまう訳ですよ。
今現在私がしている仕事(業界)は私にとって天職なので、やめる訳には行きませんが、それですと結局は無い物ねだりになってしまうし、隣の芝生は青く見えてしまうものです。タラレバではありませんが、もしもアルバイトでも良いので、ファミコン通信で働いてい"たら"や、働いてい"れば"…とか、たま~に思ったりします。
今の自分の仕事の状態? えぇ、そりゃまぁ非常に満足しています♪ (´▽`)
でも… う~ん… 気になる職業です。ゲーム雑誌ライター。
地球は核の炎に包まれた…
…って、北斗の拳のような年表表記ですが、まぁ、年代は80年代後半という事でw
私はファミコン通信を創刊号から買っており、あのアスキーのライターの方々特有の文章や編集部のノリが非常に好きで、隔週(最初は週刊じゃありませんでした)を楽しみに、ファミコン通信を買っていました。
そんな中、ある号を買っていて、「アルバイト募集」という広告を見かけました。「へぇ~。今は人手が足りないんだ… 何々?アルバイトで月30万稼げる? ファミコン通信の仕事って、アルバイトでもそんなに貰えるんだ…」なんて思いました。しかし、この時は普通にスルーしました。
さて、少し話が変わるのですが、私は当時、ニッポン放送のラジオ番組であるオールナイトニッポンを聴いており、水曜日第一部の小泉今日子さんの番組を聴いていたのですが、この番組が始まってすぐに、ファミコン通信編集部のスタッフとゲームフリークの田尻智さんが出てくる「ファミバカコーナー」というものが放送されて始め、「おおおぉぉぉ!こんな番組がっ!」と、Y本くんにすぐに連絡しました。
毎週楽しみに聴いて、色々なファミコンのゲームを紹介してくれる(それと、ちょっとした裏技も披露してくれる)この番組は、私にとってとても有意義な時間となっていました。時間枠が10~15分程度だったので、ファミっ子大作戦でやっていたような新作ランキングもなければ、現在長期に渡って放送しているゲームセンターCXのように長々とプレーする訳でもないのですが、音声だけというのに、ファミコン通信編集部のユルい感じが、もの凄くかもし出されていた放送となっていました。
そして、これを聴いているウチに、「この編集部で働きたい…」と。
【当時のライターの方々】
当時のファミコン通信編集部は、今のファミ通にいらっしゃる個性的なライターの方よりも、256倍は強まった個性的な方がいたような気がします。
…いや、というよりも、最初にこのような方達により創刊されて、現在のファミ通がある訳で、今の方達も個性的ですが、創立者の方達のファーストインパクトのお陰で、私にとって「この方達以上な個性的な人は、どれもテンプレートの焼き増しになってしまっている」という感じです。
元々80年代のアスキー系の雑誌の編集部は、みんなこんな感じの方々ばっかりだったので、これが社風だったのでしょうね。
ざっと名前を思い出すと、浜村通信さん、とうふ屋ファミ坊さん、ガスコン金谷さん、TACO.Xさん、水野てんちょさん、渋谷洋一さん、そして架空の女性、森下万里子さん(当時は実在していたのかと思っていましたw)などなど、皆さんの記事やクロスレビューは本当に素晴らしいものでした。(みんなTACO.Xさんの言葉を当てにしてましたよね!w)
この中で、特に憧れだったのは、「ハイローラー」という用語を生んだ、よくツナギを来て、後にCBR250RRに乗って、ギターの形をしたコントローラーを使ってゲームをプレーしていた渋谷洋一さんでした。特に当時あったコーナーの「アーケード・マニアック」は本当に素晴らしく、私のブログの「昔のゲームの想い出」日記が50%インスパイアされたもので(残りの50%は田尻智さんの「パックランドでつかまえて」です)、「いつか会えないものかなぁ~」なんて思いながら記事を読んでいました。(なんでも当時のファミコン通信によると、渋谷洋一さんは、書く記事はトンガっているのに、本人は極めて腰の低い好青年だったとかw)
【そして再び応募の広告が】
ある日、いつものようにファミコン通信を買って記事を読んでいたところ、再びスタッフ(アルバイト)募集の広告が。
今度はいてもたってもいられなくなり、ファミコン編集部に電話をしました。
ファミコン通信編集部の方(以下:ファミ通):「はい、ファミコン通信編集部です。」
OKI:「(繋がった! ドキドキ…)
わたくし、ファミコン通信のNo.XXXの記事で、アルバイト募集中の広告を
見たものなのですが、現在もアルバイトの募集はされていますか?」
ファミ通:「あっ、ハイ。していますよ。」
OKI:「本当ですか! 私、そちらで働きたいのですが、何か条件などは
あるのでしょうか?」
ファミ通:「ハイ。条件ありますよ! え~、No.XXXを見たという事は最新号ですよね。
以前、No.YYYでもアルバイト募集していて、そこに条件が色々と書いあったのですが、
その号はお持ちですか?」
OKI:「あります! 創刊号から持っています!」
ファミ通:「あ~、それでしたら、No.WWWにゲーム採用試験のコーナーがあったの
知ってます? あの条件がクリアできれば、テストプレイヤーとかできますね。」
OKI:「分かります。あのクイズですよね! 仕事の方はテストプレイヤーとか
あるんですね。寝ないで攻略とかするものでしょうか? 『椅子寝り』とかですよね。」
ファミ通:「(笑) そうそう。それです。(笑) 知ってますねぇ~」
OKI:「はい! いつも徹夜でゲームしてるので、幾らでもゲームできます!」
ファミ通:「分かりました。それでは、No.YYYの募集条件を見ていただいて、
条件が合えば履歴書を送ってください。ところで、お住いは東京近郊でしょうか?」
OKI:「え~と、ギリギリ東京近郊です。」
ファミ通:「そうですか、コレ、結構重要なので、条件をよく見ておいてください。」
OKI:「はい、分かりました。ありがとうございます。」
ファミ通:「はい、それでは履歴書の方、お待ちしております。」
非常に丁寧で紳士的な応対に、「これって、あのファミコン通信なのか?」と思いながらも、電話のうしろではファミリーコンピュータの色々なピコピコ音がオーバーラップで鳴っており、「いかにもゲーム編集部」というBGMでした。今思うと、「これが真のプロの応対で、真のプロだからこそ、あのユルい文章が書ける才能なのかな…」って感じですが、当時は「すんなり電話が繋がり、且つ気持ちの良い応対」にビックリしたものです。
【驚愕の事実】
「うおぉぉぉぉ! エキサイテングだぜ!」と創刊号ばりに興奮した後は、「さて、No.YYYとNo.WWWを漁ってみるか…」と少し冷静になりがら、バックナンバーを本棚から漁り、No.WWWが先に見付かったので、ゲーム採用試験の記事を久々に読みました。
その記事の内容はファミリーコンピュータのゲームの裏技や、幾つかのゲームの仕様についてクイズ形式になっているもので、ファミリースタジアムの選手の名前や、女神転生の悪魔の合体で生成される悪魔の名前、色々なゲームの裏技について記述されていました。私はこの日記で散々書いているように、スポーツゲームは苦手ジャンルなのですが、それを抜いても、そこそこの解答率でした。
「いっ、イケる… イケるぞ… よしっ!イケるぞぉ~。」と、ファミコン通信をブルブル震えながら持っている私は、ムスカがラピュタ語を読んでいるような感じだったでしょう。かなりの感触を掴んだ感じでした。流石(?)周りでは「ゲームの神様」とか不名誉な称号を貰っていただけありますw
「次に、No.YYYの募集内容をっと…」
ガサガサと漁っていると見付かりました。アルバイトの応募条件が記述されているNo.YYY。そして記事を読んでいて、驚愕な事実が…
「…な、なんだ、この条件… こんな事書いてあるから、『どんな時でも来れないと行けない」んだよな…恐らく深夜でも、呼び出しがかかるって事に違いないんだろうな…」
私の家(当時は実家)から、南青山のファミコン通信まで、どう見積っても1時間30分弱はかかってしまう… 条件に適合できない…
「うおおおぉぉぉ! な、なんでじゃ~!」 当時の私は叫びました(爆)
「こーなりゃ、実家でなくて一人暮らしだ。それしか手は無い。」
急遽、夕飯時に家族会議です。
OKI:「あのさ… 俺、ゲームの雑誌書いている所で働きたいんだけど。」
父:「へぇ~。雑誌ねぇ。雑誌の記事を書くのか?どんな仕事なんだ?」
OKI:「うん。ゲームをやって、その攻略記事とか書く感じ。」
父:「へぇ~。それって幾らもらえるんだ?」
OKI:「なんでも雑誌によると、アルバイトから始まって、月30万は固いみたい。」
父:「30万!? そんな貰えるのか? それは嘘なんじゃないのか?
たかがアルバイトだろ?」
OKI:「え~とね、それには色々と条件があって、ようは『徹夜』。
徹夜でゲームをやる仕事なんだ。休みなしのブッ続けで。」
父:「徹夜!? そんな仕事なのか? スゲーなぁ~。」
OKI:「うん、でもゲームなら幾らでもできるし、いつも徹夜でやっているから
問題無い。」
父:「そ~か~。まぁ、やりたいなら好きにすればいいんじゃない。
オマエ、部屋にもゲームセンターの台がある位だしな。」
OKI:「でさぁ、その雑誌の応募条件がさ、南青山の編集部まで1時間以内で
来れないとならない条件でさ、ここからだと通える条件じゃないので、
東京で一人暮らしをしたいんだよね。月30万位稼げれば、ワンルーム位は
借りれるしね。」
父:「ふ~ん。なるほどね。」
と話はトントン拍子に決まりそうになった時、黙って聴いていた母親が口を開きました。
母:「ダメです。」
OKI & 父:「エッ?」
母:「ダメです。そんなの許しません。」
OKI:「な、なんで…」
母:「ダメです。だって考えてもみなさい。たかがアルバイトでしょ。
正社員でもないし保証が無い。ましてはオマエ、一人暮らしだなんて、
家の事なんてロクに何一つしないで、生きてきた子供が、何が急に一人暮らしだ。
バカも休み休み言いなさい。」
OKI:「そ、そんなの誰だって最初は初めてな訳だし、色々と苦労するもんじゃん!
今迄やってなかったって、一人暮らしを始めれば慣れて行くもんだよ!」
母:「ダメですっ! それだったら、まずはどこかに就職をしてみて、
一人暮らしをしてから、その雑誌で働けばいいでしょ。その仕事が逃げる訳でも無いし。」
普段は温厚で、且つ私が何をやっても(部屋にゲーム台を置いても)、意見なんて言わない母親が、物凄い理論武装と激昂です。
いままでを振り返ると、私が少し変な横道に反れそうな時(例えば不良になりそう等)は、決ってこんなだった事を思い出しました。
ようは「おかしなベクトルに向いたという臭いを察知するとこのように発動する」訳です。その時の母親は肝っ玉オカンモードになっていました。
今思うと、「それも母親が考えた、一つの正しい解」という事が分かりますが、当時は意見を反対されて、私は聞く耳を持たずにかなりムキになっていました。
OKI:「もういいっ! 独りで考えるっ!」
そういって、(幼稚な)私は部屋で籠城して一日程、色々と考えました。
この時点で当時の私が成りたかった職業はというと、
1.コンピュータプログラマ(エンジニア)(できればゲーム系)
2.ゲーム関係のライター
3.獣医
4.医者
「3.」「4.」は当時よりも、もっと子供の時に憧れた職業で、この時点では殆ど論外に近い状態になっており、結局のところ「1.」「2.」でした。それも、「1.」が7割位を占めていた感じだったと思います。
母親に言われなくても、「ゲーム雑誌のアルバイトという"不安定な職業"(失礼!)についたら、父親のようになってしまう…(※この時の父親は母親のヒモでした)」そう思った私は、最もインテリっぽい臭いのするコンピュータ系の仕事に就きたかったんだと思います。(学校も行かないでプログラミングしていた位だし)
そして結局、自分の腑甲斐無さ(一人暮らしもできない、学校に対する態度もゴニュゴニュな状態だった事)を鑑みて、ファミコン通信のライターのアルバイトを諦めました。
【エピローグ (その1)】
1996年(1995年の後半だったかな…)にゲーメストの彼に久々に会ってプロトタイプのQuakeを見せてあげ、その後1996年にQuakeがリリースされて爆発的に流行り、彼がQuakeに物凄くハマったという事で、Quakeを先行して紹介してあげたお礼に高田馬場にある彼の事務所(この時点でフリーのゲームライターになっていた)に招待されたところ、部屋がゲームセンターのようになっていました(まぁ、ライターですから経費でなんでも買ってましたw)。そこにはバーチャファイターの新作(プロトタイプ)が置いてあり、やりこまれたレイストームや、その他諸々のアーケードゲーム、そして何よりマンションの一部屋がネットワークゲーム用のコロシアムになっていました。PCが数台に渡りLAN構成にて接続され、一部の端末はインターネットに繋っており、当時としては最先端なゲームルームです。
OKI:「なんじゃ、この部屋。個人で構築される部屋じゃないよ。
俺の会社のサーバルームみたいだ…
でも、こういうの好きだったよね。横浜のバトルテックでトップ張ってたらしいしw
でもキミ、コンピュータに明るくなかったじゃん。」
幼馴染:「ええw 実はこの部屋、渋谷洋一さんに組んでもらったんです。」
OKI:「えええっ! そーなの? あの人、今何やってんの?」
幼馴染:「僕と一緒に雑誌でQuakeの記事とか書いてますよ。」
OKI:「そーなのっ!? あの人、なんでファミコン通信辞めたの?」
幼馴染:「それはまぁ… 色々と…」
OKI:「そーなんだ… まぁ、色々とあったんだね。」
幼馴染:「OKIさんには、是非渋谷さんに会って欲しいですよ。基板も一杯持ってるし、
話も合うと思います。今度紹介しますね。」
OKI:「マジ! ラッキー! (でも、もう基板はやってないんだけどね…)」
その日は喜んで、帰宅しました。
…で、現在14年位経っていますが、未だに渋谷洋一さんとは会えておりません。あのヤロウ、アギギ…
【エピローグ (その2)】
2000年。全国にある某コンビニエンスストアの情報端末のフロントエンドを設計し、某タイトーの工場がある某小田急線の駅の近くにある、とても小さなソフトハウスに開発を委託し、そこのエンジニア数人と仕事をしていたところ、妙な流れから「ムジュラの仮面」の話が出て、その一人とヲタ話が盛り上がったところ、
某エンジニア(以下:某エ):「OKIさん、ゲーム詳しいですね。」
OKI:「えぇまぁ、昔はゲームセンターに入り浸りでしたからねぇ~」
某エ:「そーなんですか。それにしてはマニアックなw
もしかして昔、基板とか持ってた人だったりして。」
OKI:「あぁ~、実家にありますよw」
某エ:「やっぱり~。やっぱりボクらの業界は、
ガンプラとゲームとアニメの話が出来れば、大抵仲良しですよねw」
OKI:「あはははは。(^▽^;
しかし、結構ゲームお詳しいですね。かなりやり込んでいたんですか?」
某エ:「えぇ。実はボク、この仕事の前はファミ通でアルバイトしていたんです。」
OKI:「えええぇぇぇ~!? なんとまぁ!」
某エ:「でも、仕事がキツくて、辞めちゃいました。」
OKI:「もったいない… どんな仕事してたんですか? ライターだったとか?」
某エ:「いえ、葉書を読んで仕分けたり、ゲーマーの人のお手伝いとか…」
OKI:「ゲームとかプレーして、レポートとかしなかったんですか?」
某エ:「それはかなり上手じゃないと無理ですね。正直、神技ですよ。」
OKI:「そーなんですか~」
某エ:「あんな所居たら、頭おかしくなっちゃいますよ。アルバイトだし、
保証もないし、お先真っ暗です。僕はコンピュータが元々好きだったので、
こうしてプログラムとかできるし、結婚もできたし、辞めて良かったです。」
OKI:「保証も無くて、お先真っ暗ですか… (どっかで聴いたような…)」
某エ:「ところでOKIさん、ムジュラは買うんですか?」
OKI:「えぇ、買いますよ。拡張パック付きのを。(`▽´)」
とまぁ、そーですか… ファミ通で働くと、人によってこのような分岐もあるんだなぁ~と思いました。
雑誌の編集(ライター)はエンドユーザ(読者)からすると、とても光り輝いて見えますが、光ある所には影あり…という事を意識させられました。
でもですね、結局は私にとって未体験な仕事な訳ですから、やっぱり憧れてしまう訳ですよ。
今現在私がしている仕事(業界)は私にとって天職なので、やめる訳には行きませんが、それですと結局は無い物ねだりになってしまうし、隣の芝生は青く見えてしまうものです。タラレバではありませんが、もしもアルバイトでも良いので、ファミコン通信で働いてい"たら"や、働いてい"れば"…とか、たま~に思ったりします。
今の自分の仕事の状態? えぇ、そりゃまぁ非常に満足しています♪ (´▽`)
でも… う~ん… 気になる職業です。ゲーム雑誌ライター。
コメント
あれ?似てるw
確かに似てますよねw
私が動物好きなのは、家に色々な生き物がいたからという感じです。その流れで獣医になりたい…という感じでしたね。どんな生き物がいたのか、今度書いてみます。
医者は… 人間のメカニズムに興味があったのと、なんとなく人を助けたいという思いからでした。「医者になりたい」と周りに言ったら、クラスメートに「やらしい」とからかわれ、嫌になりましたw
(産婦人科とか裸の診療でも想像したんですかね… 小学校低学年の時の出来事でした。マセたクラスメートだ。(^^;)
医者は… 人間のメカニズムに興味があったのと、なんとなく人を助けたいという思いからでした。「医者になりたい」と周りに言ったら、クラスメートに「やらしい」とからかわれ、嫌になりましたw
(産婦人科とか裸の診療でも想像したんですかね… 小学校低学年の時の出来事でした。マセたクラスメートだ。(^^;)
私がなりたかった職業
どうもこんばんわです~。(^^)
自分が愛読している雑誌の編集部から募集告知が出ていたりすると、「これは!」…てな感じになりますよね。
ブログの記事を読んで頂いて、もうご存知かと思いますが…
私の場合、ライター募集の告知を見て応募した所、ライターという保証が無い形ではなく、編集部員(社員)として採用されたにも関わらず、編集部員でありながら結局はライターみたいに文章を書いていた(爆)という、弱小編集プロダクションの悲哀を味わう事になりました(まぁ色々と勉強になりましたが…笑)。
さて、私がなりたかった職業を、小学校の時から順に追って行くと…
画家(絵心無いのに…笑)
音響関連(MAD系が好きなだけで…笑)
カメラマン(ほぼ独学なのに…笑)
ゲーム関連(これはある意味叶ったのかも)
てな感じですね。
あと、エピローグ(その2)の某エンジニアさんが経験されたバイト内容ですが、私が専門学校を中退した時に始めた某出版社の編集部付バイトの仕事内容に似ていますね(笑)。
ハガキ整理やゲーマーの人のお手伝いという内容を見ると、恐らくはライター(物書き)での募集というよりも、編集(エディター)手伝いという形での募集だったのかな?と推測します。
自分が愛読している雑誌の編集部から募集告知が出ていたりすると、「これは!」…てな感じになりますよね。
ブログの記事を読んで頂いて、もうご存知かと思いますが…
私の場合、ライター募集の告知を見て応募した所、ライターという保証が無い形ではなく、編集部員(社員)として採用されたにも関わらず、編集部員でありながら結局はライターみたいに文章を書いていた(爆)という、弱小編集プロダクションの悲哀を味わう事になりました(まぁ色々と勉強になりましたが…笑)。
さて、私がなりたかった職業を、小学校の時から順に追って行くと…
画家(絵心無いのに…笑)
音響関連(MAD系が好きなだけで…笑)
カメラマン(ほぼ独学なのに…笑)
ゲーム関連(これはある意味叶ったのかも)
てな感じですね。
あと、エピローグ(その2)の某エンジニアさんが経験されたバイト内容ですが、私が専門学校を中退した時に始めた某出版社の編集部付バイトの仕事内容に似ていますね(笑)。
ハガキ整理やゲーマーの人のお手伝いという内容を見ると、恐らくはライター(物書き)での募集というよりも、編集(エディター)手伝いという形での募集だったのかな?と推測します。
ゲーム雑誌関係の仕事といっても、色々とあるものですね
ディレクターにも○○ディレクターが一杯あるみたいに…
私の場合は、「ゲームをただただやる仕事」か、「物書き」がやってみたかったですね。遊びでなくちゃんと「仕事」として。
わで~んさんは、それを仕事として実現されたので非常に羨しいです。
そして、今のお仕事を聴く限りでは、やっぱり出版される事が天職に感じます。
やりたい事を仕事にできるというのは良いですよね。心身ともに。
カメラマンになりたかったのは、ブログの写真で生きてらっしゃいますね。(^^)
エピローグ(その2)の方は、仕事でドキュメントが全然書けない人だったので、わで~んさんの推測するとおり、恐らく編集手伝いなどで入ったのかもしれません。
2000年の頃のファミ通は、ライターが完全にアイドル化してましたし、恐らく相当な狭き門だったりしたのでしょうね。
私の場合は、「ゲームをただただやる仕事」か、「物書き」がやってみたかったですね。遊びでなくちゃんと「仕事」として。
わで~んさんは、それを仕事として実現されたので非常に羨しいです。
そして、今のお仕事を聴く限りでは、やっぱり出版される事が天職に感じます。
やりたい事を仕事にできるというのは良いですよね。心身ともに。
カメラマンになりたかったのは、ブログの写真で生きてらっしゃいますね。(^^)
エピローグ(その2)の方は、仕事でドキュメントが全然書けない人だったので、わで~んさんの推測するとおり、恐らく編集手伝いなどで入ったのかもしれません。
2000年の頃のファミ通は、ライターが完全にアイドル化してましたし、恐らく相当な狭き門だったりしたのでしょうね。
ああ、見返したら・・・
まあ、御存知の通り、獣医以外は全て経験していますねw
色々な仕事してみたいなぁ~
ただいま~。いまさっき帰宅しました。(^^)
たまにこの業界以外で働く事を考えてみますが…
「やっぱり無理だろうなぁ~」とw
以前、休日に日雇いのバイトをした事があるのですが、その時に思った事が「今の業界って本当に素晴らしいなぁ~」と思いました。(^^)
たまにこの業界以外で働く事を考えてみますが…
「やっぱり無理だろうなぁ~」とw
以前、休日に日雇いのバイトをした事があるのですが、その時に思った事が「今の業界って本当に素晴らしいなぁ~」と思いました。(^^)
コメントの投稿
« 王冠見ていたら… l Home l 昔のゲームの想い出 [0162] 「モンスターバッシュ」 [セガ] [1982] [アーケード] »
私が成りたかった職業は
1.獣医
2.動物園の飼育係り
3.コンピュータプログラマ(エンジニア)(できればゲーム系)
4.ゲーム関係
でしたw
オーバー昼休みの時間で何かいてるのかw