昔のゲームの想い出 [0158] 「DOOM」 [id Software] [1993] [PC-DOS]
《FPSなんて言葉ができるまえの歴史的FPSゲーム!》
今月の頭にIT系のニュースで報道された、「LHAフォーマットのファイル利用を控える件」にて、懐かしい想い出がフツフツと上ってきました。日本製で高圧縮アーカイブが実現できるフリーウェアの金字塔… 本当にお世話になりました。
もう時効だと思うので、少しだけカミングアウトしてしまうと、私が約10年前に某公営ギャンブルである○o○oの配信システムを開発した際、通信量を減らすために圧縮アーカイブをした、本フォーマットをファイル転送用に採用した事があり、某日本I○Mさんの神エンジニアと一緒に検討し、作者の吉崎栄泰さんから快諾をしていただき、実現に至った経緯があります。
それ以前には、1990~1995年まで自宅で使っていたX68000のファイルは全てLHAにてアーカイブしており、「無料じゃないZIPなんて金持ちのアメ公が使うもんだ。」なんて言ってました。しかし、Windows XPからZIPが採用されてからというもの、人とのやりとりは徐々にZIP形式に流れる方向に… 今では、「もう、ZIPじゃないと人とのやりとができないお! …くっ、くやしいっ! でも(ry)」みたいな。(まぁ、私の場合は暗号化をかけない場合はgzipで「tar zcvf」とかが多いですけどw)
という感じで、LHAの作者である吉崎栄泰さんには感謝しております。
………って、なんでDOOMからLHAの話が出るのでしょうか?
それはですねぇ~w (後述)

現在私は「DOOM COLLECTOR'S EDITON」を所持しています。
こいつはWindows XPとかでは挙動が怪しいので、
10年前のVAIOとかで遊べるようにしています。
ちなみに、本想い出は「DOOM」、「DOOM II」を一緒にします。(ずっと連続して遊んでいたので)
今月の頭にIT系のニュースで報道された、「LHAフォーマットのファイル利用を控える件」にて、懐かしい想い出がフツフツと上ってきました。日本製で高圧縮アーカイブが実現できるフリーウェアの金字塔… 本当にお世話になりました。
もう時効だと思うので、少しだけカミングアウトしてしまうと、私が約10年前に某公営ギャンブルである○o○oの配信システムを開発した際、通信量を減らすために圧縮アーカイブをした、本フォーマットをファイル転送用に採用した事があり、某日本I○Mさんの神エンジニアと一緒に検討し、作者の吉崎栄泰さんから快諾をしていただき、実現に至った経緯があります。
それ以前には、1990~1995年まで自宅で使っていたX68000のファイルは全てLHAにてアーカイブしており、「無料じゃないZIPなんて金持ちのアメ公が使うもんだ。」なんて言ってました。しかし、Windows XPからZIPが採用されてからというもの、人とのやりとりは徐々にZIP形式に流れる方向に… 今では、「もう、ZIPじゃないと人とのやりとができないお! …くっ、くやしいっ! でも(ry)」みたいな。(まぁ、私の場合は暗号化をかけない場合はgzipで「tar zcvf」とかが多いですけどw)
という感じで、LHAの作者である吉崎栄泰さんには感謝しております。
………って、なんでDOOMからLHAの話が出るのでしょうか?
それはですねぇ~w (後述)

現在私は「DOOM COLLECTOR'S EDITON」を所持しています。
こいつはWindows XPとかでは挙動が怪しいので、
10年前のVAIOとかで遊べるようにしています。
ちなみに、本想い出は「DOOM」、「DOOM II」を一緒にします。(ずっと連続して遊んでいたので)
【ファーストインプレッション】
1994年、私は協力会社としてお客様の所(秋葉原の隣の湯島)に常駐して外人の方と一緒に仕事をしていました。中国、オーストラリアの人が勤めている某金属会社の中にある医療系の部署という、社名からするとかなり掛け離れている業務をやっており、電子顕微鏡からスキャンされた人間の染色体の画像を画像処理にて輝度/コンストラスト処理や、染色体の分離/拡大/回転…と、どっかのシステム基板のような処理のプログラミングをしていました。ようは染色体を並べて、臨床結果となる電子カルテを作るシステムなんですけどね。そんな中、オーストラリアの人が海外から「Wolfenstein 3D」と「DOOM」を私の作業場に持ってきました。
Wolfenstein 3Dは雑誌で少し紹介されていたのを見ていたのですが、DOOMは初めて見たゲームで、「なんだ、このゲームは…」と思いました。そもそもWolfenstein 3D自体、動いているのを見た事がなかったので、結構ビックリしたのですが、これと同時に見たDOOMは、ソレとは比較にならない位、凄い表現をしており、正直「日本、やっぱゲームでも負けたな…」なんて、バブルが崩壊してから間もない、しかも少し遅めのバブル崩壊のコンピュータ業界(つまり崩壊の真っ只中)で、そのような事を感じました。
「凄いゲームですね! このゲームください!」と、あまり褒められた行動ではありませんでしたが、入手の仕方が分からなかったのと(リリースされたばかりの洋ゲーはどこで買えるのか、1990初頭では分からなかった)、とにかく凄かったので、今日にでも自分が使っている会社のPCで遊びたいと思い(ヲイw)、ガイジンさんにせがみました。「Could you give me this game.」みたいな、「とりあえず、Could youとかWould youとか丁寧な言葉で、どーにかして貰おうと必死」でした。
ガイジンさんは気前良く、「コピー シテモ イイヨ。」と言ってくれたので、インストール先のディレクトリからNetBEUI(残念ながらIPXじゃないですw)でコピーしようとファイルサイズを見てビックリ。当時としては結構なファイルサイズです。自宅に持って行くには結構なサイズだったので、「How many floppy disk does game need?」と聴いたら、「4マイ ダヨ。」みたいな感じでした。
「えぇ~! そんな枚数でいいの?」と思い、深く考えても仕方がないので、パッケージごとコピーをさせてもらって、インストールを開始。そこで見たものは、「ファイルを展開している処理」でした。
「あぁ~、なるほど。圧縮してたんだ。」
と思った矢先に目に飛び込んできたものは…
「LHA … Yoshi」
「あれっ? これ外国産のゲームなのに、なんでLHAとか出てるんだろ? しかも"Yoshi"って、たしかLHAの作者の人の名字とかに似てるな…」と。
「…!? …スゲー!このゲーム、日本のアーカイバ使ってんだ! スゲー!」と、一緒に仕事をしていた、アニキ(お客さん。10個上の人)に興奮しながら説明しました。
「こんな凄いゲームに、日本の圧縮アーカイバが使われているなんて…」と、私には全く関係ないのに、凄く誇らしい感じがしたのを良く覚えています。
しかも、US(code page 437)で、「Yoshi」なんてカッコ良すぎですね。
これがDOOMを初めて見た、当日の想い出ですw
その1, 2ヶ月後位から、雑誌でDOOMの記事を良く見掛けるようになりました。

当時はDOOMというと何故かこのシーンが良く掲載されているというイメージがあります。
公式サイトなんて時代的にまだ無い訳で、いつもこのシーンばっかり。
【感動の3D → ポリゴン → でも2D!?】
初めてこのゲームに出会ってから小一時間程プレーして、初めてステージ3をプレーしていた時の事、屋外通路の真ん中に毒のプールがあって、ここに落ちてしまったのですが、この下にあるスイッチを押下した際の事、「ゴゴゴゴゴ…」という音と共に、自分の落ちてしまった地面がせり上り、毒のプールから脱出したイベントを見て、「こ、こんな大きなフロアが動かせるなんて、す、凄過ぎる… なんなんだ、この処理は…」と、感動というよりも驚愕した想い出があります。当時は本当に「どーやって、こんな演算をしているんだろう…」と、数学が苦手な私は心から自分の馬鹿さを認識しました。今迄は2DのBGを平らい顔の人種が、平ったい処理ばかり見ていたので、3Dの、しかもポリゴンの、しかも超巨大な背景の当り判定に驚愕しました。
(この印象が15年位引き摺っているので、これを自分の表現として作ってみたりしましたw)
生涯忘れられないであろう驚愕の表現。
ゴゴゴと床が迫り上がります。
1993年のゲームというと、2DのBG/スプライト表現から、これに加えてポリゴンの表現が増えてきたという、今流行りの「3D元年」みたいな感覚があります(今流行りのこの用語も個人的にはいかがなものかと思うのですがw)。
当時として私が1992~1994年で見ていたポリゴンゲームというと、
1992年:バーチャレーシング
1993年:スターフォックス
1993年:リッジレーサー
1993年:バーチャファイター
1993年:DOOM
1994年:ジオグラフシール
という感じで、少し前からちょこちょこ出ていたフラットシェーディングの物(ウィニングランやハードドライビン等)よりは、テクスチャマッピングが実装されていたものが、急激に増えた感があります。
ちなみに、私は「Oh!X」にて、「テクスチャマッピング」という用語を覚え、その紹介サンプルがリッジレーサーだったので、1993年からテクスチャマッピングのアルゴリズムを覚えました。
DOOMも当時の技術をふんだんに用いており、テクスチャマッピングや、今で言うところのビルボードも実現されていました。(このビルボードってCG用語、いつ生まれたんですかねぇ…)
当時はこのような技術に大興奮の私は、DOOMを食い入るように見ており、敵(ゾンビ兵やインプ)やアイテムを360度から見ては、「これは多角度用にキャラを持っている。これは持っていない。」など、自分なりの解析をして楽しんでいました。
また、このゲームは今見ても素晴らしい(?)事に、「フォグが無い上に、無限に奥行きを描画する」というものがあり、F田くんと、「この無限に書き込む処理って、どーやってるんだろうね。」なんて、彼の部屋で色々と話し合ったものです。そして、この会合の数年後、ゲーム業界で3Dプログラミングをしている彼から「あの表現は、レイキャストという手法らしいよ。」という事を聴き、その実現方式を知って、「レイキャストってすっげ~!」なんて興奮したものです。ハードウェア性能や、プログラマのソフトウェアスキル、ゲームの世界観の仕様により、全ての奥行を描画しているゲームは非常に少ないので(普通は野外とか描画すると、リアルな表現のために、光源と大気の計算を行う事からデプスキューイングするのが当たり前ですしね)、このようなゲームってかなり希少だといまだに思っています。
他にもQuakeが出る少し前に知った事なのですが、「このゲームのマップは高さのある3Dに見えて、実は2Dで管理をしている」というもので(これはWikipediaにも記述されてますね)、これを初めてF田くんから聴いた時には、「なんで? 高さもあるし、画面は奥行の表現もされている3Dじゃん。なんで???」と、イミフな状態でした。現時点でも検索してもあまり詳細を説明しているサイトが少ないように見受けられますが、「簡単に言うと、ステージを2Dで上から見下ろしている管理なので、立体交差のレベルデザインができない」というと、ゲーム好きには分かり易いでしょうか。

フィールドが2Dなので、容易にマップの表現ができます。
このため立体交差している地形が存在していません。
また、検索して分った事なのですが、キャラクタがポリゴンでない事を「疑似3D」と謳っている方もいらっしゃるようですね。確かにそれもそのような言いまわしもできるかな…と思いました。(となると、「ゼノギアス」や「ドラゴンクエストVII」とかも、そうなりますね)
【シークレットが秀逸】
このゲームは、わざとらしい位シークレットの場所が見えているのに、そこに到達するのが非常に困難となっており、これを探す事が本当に楽しかった想い出があります。これをプレーしていた時は、インターネット検索も無いし(やっとIIJができた位で、私はインターネット電子メールはNifty-ServeのWIDEプロジェクト経由で読んでいた位)、洋ゲーなので情報が殆んど得られなかった感じで、「どーやって、あそこに到達できるんだろ? というか、本当にあそこに行けるのだろうか? ワザとあんな風に見せているだけなんじゃないだろうか?」位思いながらも、スペースキーを連打しながら、フィールドを何時間もウロついていました。会社でDOOMをしている時は、サウンドが鳴らせられなかったので、遠くで地形が変化してもそれを知る事ができず、自宅に帰ってから、「んっ!? 今、どこかで音が鳴った!」という感じで、遠くの場所に急いで行くと壁が開いていたりしていて、感動した事もありました。
現在なら「全世界の誰かしらが攻略サイトを開いている」ので、忘れていても検索すれば楽勝ですが、当時は自分で全ステージのシークレットを見付け出す事に苦行や快楽を見出していました。本当に楽しかったです。(*^^*)

1面からして、シークレットがかなり凄いレベルなんですよね。
【残虐ゲーの極み】
これは「DOOM II」の話になるのですが、1995年の1月に自社に戻り、今度は自社のPCで「DOOM II」をバリバリと遊んでいました。
昨年までのお客様の部署は、研究室のような場所の、かなり放任主義な感じだったので、初代DOOMをしまくりでしたが、流石に自社に戻ったらそうも行きません。平日はお昼休みに1時間、休日は勉強をしに会社に行っては、勉強の休憩がてらに6時間位DOOM IIで遊んでいました。(爆)
(もう何が楽しいかって、Revenantのホーミングミサイルをいかに避けながら、これを敵に当てて、敵同士の闘いを遠くで観戦するのが最高でしたw)
ある日の平日の昼休み、いつものようにモンスターの屍を山のように作っていると、後から社長がやってきて、私のゲーム画面を見るなり、
「なんだ、この死体の山はっ!
ここは宇宙の墓場かっ!?」
と大声を張り上げながらビックリしていました。
この社長は当時50代後半でしたが、DOOM IIの画面を見て、「宇宙の墓場」という台詞を吐き捨てたのが私的に超ヒットで(SFでも感じたのでしょうかねぇ?)、「社長、このゲームは敵であるモンスターを殺しまくるゲームなんです!」と喜んで説明しましたw
「OKIくん、こんなゲームばっかりやっていると、おかしな人間になるぞ。」と言われましたが、この時点で既に少しおかしい人間になっていたので、そんなのはクソ食らえって感じでしたw
(サラリーマンだっていうのに、髪の毛が茶褐色 or 金色になっていた馬鹿者だったし。(^^ゞ)
ゲームをやる人間は「幼稚」だの、「責任感が無い」だの、「残虐ゲームをやりすぎて、人の痛みを分からない」と言われやすいので、幾ら本当の事でも、この辺りはフォローして生きて行こうと常に思っています。
私は思うのですが、「中途半端に残虐ゲーをプレーしている人が、おかしな人間になる」のであって、「長年残虐ゲーをプレーしている人は、結構まとも」という見解があります。一回りして、紳士な心を持って(割り切ってとも言える)ゲームをしているというか…
傾向として、2000年過ぎからプレーしている人が、ネット廃人とか殺人鬼になっているような気がしてなりません。って、超偏見なのですが。(^^ゞ
これからもジェントルな大人のたしなみとして、残虐ゲーを楽しんでいこうと思います。(なんてw)
◇ ◇ ◇
このゲームで書く事は他にも山程ありますが、キリが無いのでそろそろ〆るとしますが、このゲームを始め、個人的には技術的なものがかなり確立したと感じた1993年となり、「ゲーセンと家庭用(& PC)の垣根は無くなる。」と思ったのも、この年でした。この時点で既に大人になっていたので、新しい技術もC/C++を使って自分でコーディングして実演できたし、本格的にゲームの表現を追求し始めた感じでした。そのような中、文頭で書いたように、パソコンの世界で素晴らしい功績を出していたフリーウェアを適用したり、VGAの256色モードを駆使してスプライトの搭載されていないハードウェアで、それの上を行く3D表現を実現した本ゲームは、生涯「本当に素晴らしかった。」と言い続けると思います。
1994年、私は協力会社としてお客様の所(秋葉原の隣の湯島)に常駐して外人の方と一緒に仕事をしていました。中国、オーストラリアの人が勤めている某金属会社の中にある医療系の部署という、社名からするとかなり掛け離れている業務をやっており、電子顕微鏡からスキャンされた人間の染色体の画像を画像処理にて輝度/コンストラスト処理や、染色体の分離/拡大/回転…と、どっかのシステム基板のような処理のプログラミングをしていました。ようは染色体を並べて、臨床結果となる電子カルテを作るシステムなんですけどね。そんな中、オーストラリアの人が海外から「Wolfenstein 3D」と「DOOM」を私の作業場に持ってきました。
Wolfenstein 3Dは雑誌で少し紹介されていたのを見ていたのですが、DOOMは初めて見たゲームで、「なんだ、このゲームは…」と思いました。そもそもWolfenstein 3D自体、動いているのを見た事がなかったので、結構ビックリしたのですが、これと同時に見たDOOMは、ソレとは比較にならない位、凄い表現をしており、正直「日本、やっぱゲームでも負けたな…」なんて、バブルが崩壊してから間もない、しかも少し遅めのバブル崩壊のコンピュータ業界(つまり崩壊の真っ只中)で、そのような事を感じました。
「凄いゲームですね! このゲームください!」と、あまり褒められた行動ではありませんでしたが、入手の仕方が分からなかったのと(リリースされたばかりの洋ゲーはどこで買えるのか、1990初頭では分からなかった)、とにかく凄かったので、今日にでも自分が使っている会社のPCで遊びたいと思い(ヲイw)、ガイジンさんにせがみました。「Could you give me this game.」みたいな、「とりあえず、Could youとかWould youとか丁寧な言葉で、どーにかして貰おうと必死」でした。
ガイジンさんは気前良く、「コピー シテモ イイヨ。」と言ってくれたので、インストール先のディレクトリからNetBEUI(残念ながらIPXじゃないですw)でコピーしようとファイルサイズを見てビックリ。当時としては結構なファイルサイズです。自宅に持って行くには結構なサイズだったので、「How many floppy disk does game need?」と聴いたら、「4マイ ダヨ。」みたいな感じでした。
「えぇ~! そんな枚数でいいの?」と思い、深く考えても仕方がないので、パッケージごとコピーをさせてもらって、インストールを開始。そこで見たものは、「ファイルを展開している処理」でした。
と思った矢先に目に飛び込んできたものは…
「あれっ? これ外国産のゲームなのに、なんでLHAとか出てるんだろ? しかも"Yoshi"って、たしかLHAの作者の人の名字とかに似てるな…」と。
「…!? …スゲー!このゲーム、日本のアーカイバ使ってんだ! スゲー!」と、一緒に仕事をしていた、アニキ(お客さん。10個上の人)に興奮しながら説明しました。
「こんな凄いゲームに、日本の圧縮アーカイバが使われているなんて…」と、私には全く関係ないのに、凄く誇らしい感じがしたのを良く覚えています。
しかも、US(code page 437)で、「Yoshi」なんてカッコ良すぎですね。
これがDOOMを初めて見た、当日の想い出ですw
その1, 2ヶ月後位から、雑誌でDOOMの記事を良く見掛けるようになりました。

当時はDOOMというと何故かこのシーンが良く掲載されているというイメージがあります。
公式サイトなんて時代的にまだ無い訳で、いつもこのシーンばっかり。
【感動の3D → ポリゴン → でも2D!?】
初めてこのゲームに出会ってから小一時間程プレーして、初めてステージ3をプレーしていた時の事、屋外通路の真ん中に毒のプールがあって、ここに落ちてしまったのですが、この下にあるスイッチを押下した際の事、「ゴゴゴゴゴ…」という音と共に、自分の落ちてしまった地面がせり上り、毒のプールから脱出したイベントを見て、「こ、こんな大きなフロアが動かせるなんて、す、凄過ぎる… なんなんだ、この処理は…」と、感動というよりも驚愕した想い出があります。当時は本当に「どーやって、こんな演算をしているんだろう…」と、数学が苦手な私は心から自分の馬鹿さを認識しました。今迄は2DのBGを平らい顔の人種が、平ったい処理ばかり見ていたので、3Dの、しかもポリゴンの、しかも超巨大な背景の当り判定に驚愕しました。
(この印象が15年位引き摺っているので、これを自分の表現として作ってみたりしましたw)
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ゴゴゴと床が迫り上がります。
1993年のゲームというと、2DのBG/スプライト表現から、これに加えてポリゴンの表現が増えてきたという、今流行りの「3D元年」みたいな感覚があります(今流行りのこの用語も個人的にはいかがなものかと思うのですがw)。
当時として私が1992~1994年で見ていたポリゴンゲームというと、
1992年:バーチャレーシング
1993年:スターフォックス
1993年:リッジレーサー
1993年:バーチャファイター
1993年:DOOM
1994年:ジオグラフシール
という感じで、少し前からちょこちょこ出ていたフラットシェーディングの物(ウィニングランやハードドライビン等)よりは、テクスチャマッピングが実装されていたものが、急激に増えた感があります。
ちなみに、私は「Oh!X」にて、「テクスチャマッピング」という用語を覚え、その紹介サンプルがリッジレーサーだったので、1993年からテクスチャマッピングのアルゴリズムを覚えました。
DOOMも当時の技術をふんだんに用いており、テクスチャマッピングや、今で言うところのビルボードも実現されていました。(このビルボードってCG用語、いつ生まれたんですかねぇ…)
当時はこのような技術に大興奮の私は、DOOMを食い入るように見ており、敵(ゾンビ兵やインプ)やアイテムを360度から見ては、「これは多角度用にキャラを持っている。これは持っていない。」など、自分なりの解析をして楽しんでいました。
また、このゲームは今見ても素晴らしい(?)事に、「フォグが無い上に、無限に奥行きを描画する」というものがあり、F田くんと、「この無限に書き込む処理って、どーやってるんだろうね。」なんて、彼の部屋で色々と話し合ったものです。そして、この会合の数年後、ゲーム業界で3Dプログラミングをしている彼から「あの表現は、レイキャストという手法らしいよ。」という事を聴き、その実現方式を知って、「レイキャストってすっげ~!」なんて興奮したものです。ハードウェア性能や、プログラマのソフトウェアスキル、ゲームの世界観の仕様により、全ての奥行を描画しているゲームは非常に少ないので(普通は野外とか描画すると、リアルな表現のために、光源と大気の計算を行う事からデプスキューイングするのが当たり前ですしね)、このようなゲームってかなり希少だといまだに思っています。
他にもQuakeが出る少し前に知った事なのですが、「このゲームのマップは高さのある3Dに見えて、実は2Dで管理をしている」というもので(これはWikipediaにも記述されてますね)、これを初めてF田くんから聴いた時には、「なんで? 高さもあるし、画面は奥行の表現もされている3Dじゃん。なんで???」と、イミフな状態でした。現時点でも検索してもあまり詳細を説明しているサイトが少ないように見受けられますが、「簡単に言うと、ステージを2Dで上から見下ろしている管理なので、立体交差のレベルデザインができない」というと、ゲーム好きには分かり易いでしょうか。

フィールドが2Dなので、容易にマップの表現ができます。
このため立体交差している地形が存在していません。
また、検索して分った事なのですが、キャラクタがポリゴンでない事を「疑似3D」と謳っている方もいらっしゃるようですね。確かにそれもそのような言いまわしもできるかな…と思いました。(となると、「ゼノギアス」や「ドラゴンクエストVII」とかも、そうなりますね)
【シークレットが秀逸】
このゲームは、わざとらしい位シークレットの場所が見えているのに、そこに到達するのが非常に困難となっており、これを探す事が本当に楽しかった想い出があります。これをプレーしていた時は、インターネット検索も無いし(やっとIIJができた位で、私はインターネット電子メールはNifty-ServeのWIDEプロジェクト経由で読んでいた位)、洋ゲーなので情報が殆んど得られなかった感じで、「どーやって、あそこに到達できるんだろ? というか、本当にあそこに行けるのだろうか? ワザとあんな風に見せているだけなんじゃないだろうか?」位思いながらも、スペースキーを連打しながら、フィールドを何時間もウロついていました。会社でDOOMをしている時は、サウンドが鳴らせられなかったので、遠くで地形が変化してもそれを知る事ができず、自宅に帰ってから、「んっ!? 今、どこかで音が鳴った!」という感じで、遠くの場所に急いで行くと壁が開いていたりしていて、感動した事もありました。
現在なら「全世界の誰かしらが攻略サイトを開いている」ので、忘れていても検索すれば楽勝ですが、当時は自分で全ステージのシークレットを見付け出す事に苦行や快楽を見出していました。本当に楽しかったです。(*^^*)

1面からして、シークレットがかなり凄いレベルなんですよね。
【残虐ゲーの極み】
これは「DOOM II」の話になるのですが、1995年の1月に自社に戻り、今度は自社のPCで「DOOM II」をバリバリと遊んでいました。
昨年までのお客様の部署は、研究室のような場所の、かなり放任主義な感じだったので、初代DOOMをしまくりでしたが、流石に自社に戻ったらそうも行きません。平日はお昼休みに1時間、休日は勉強をしに会社に行っては、勉強の休憩がてらに6時間位DOOM IIで遊んでいました。(爆)
(もう何が楽しいかって、Revenantのホーミングミサイルをいかに避けながら、これを敵に当てて、敵同士の闘いを遠くで観戦するのが最高でしたw)
ある日の平日の昼休み、いつものようにモンスターの屍を山のように作っていると、後から社長がやってきて、私のゲーム画面を見るなり、
ここは宇宙の墓場かっ!?」
と大声を張り上げながらビックリしていました。
この社長は当時50代後半でしたが、DOOM IIの画面を見て、「宇宙の墓場」という台詞を吐き捨てたのが私的に超ヒットで(SFでも感じたのでしょうかねぇ?)、「社長、このゲームは敵であるモンスターを殺しまくるゲームなんです!」と喜んで説明しましたw
「OKIくん、こんなゲームばっかりやっていると、おかしな人間になるぞ。」と言われましたが、この時点で既に少しおかしい人間になっていたので、そんなのはクソ食らえって感じでしたw
(サラリーマンだっていうのに、髪の毛が茶褐色 or 金色になっていた馬鹿者だったし。(^^ゞ)
ゲームをやる人間は「幼稚」だの、「責任感が無い」だの、「残虐ゲームをやりすぎて、人の痛みを分からない」と言われやすいので、幾ら本当の事でも、この辺りはフォローして生きて行こうと常に思っています。
私は思うのですが、「中途半端に残虐ゲーをプレーしている人が、おかしな人間になる」のであって、「長年残虐ゲーをプレーしている人は、結構まとも」という見解があります。一回りして、紳士な心を持って(割り切ってとも言える)ゲームをしているというか…
傾向として、2000年過ぎからプレーしている人が、ネット廃人とか殺人鬼になっているような気がしてなりません。って、超偏見なのですが。(^^ゞ
これからもジェントルな大人のたしなみとして、残虐ゲーを楽しんでいこうと思います。(なんてw)
このゲームで書く事は他にも山程ありますが、キリが無いのでそろそろ〆るとしますが、このゲームを始め、個人的には技術的なものがかなり確立したと感じた1993年となり、「ゲーセンと家庭用(& PC)の垣根は無くなる。」と思ったのも、この年でした。この時点で既に大人になっていたので、新しい技術もC/C++を使って自分でコーディングして実演できたし、本格的にゲームの表現を追求し始めた感じでした。そのような中、文頭で書いたように、パソコンの世界で素晴らしい功績を出していたフリーウェアを適用したり、VGAの256色モードを駆使してスプライトの搭載されていないハードウェアで、それの上を行く3D表現を実現した本ゲームは、生涯「本当に素晴らしかった。」と言い続けると思います。
コメント
No title
2年前上等です。(^^)
コメントありがとうございます。
たしかにDOOMはオープンソースになっているし、チューニングされているエンジンを使うのが吉ですよね。(^^)
DOOM同様にQuakeもそうなっているので、Tenebraeとかで動作させたりしてます。
http://goo.gl/RgcBZ
たしかにDOOMはオープンソースになっているし、チューニングされているエンジンを使うのが吉ですよね。(^^)
DOOM同様にQuakeもそうなっているので、Tenebraeとかで動作させたりしてます。
http://goo.gl/RgcBZ
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