「X年後の関係者たち あのムーブメントの舞台裏 SEGAアーケードゲーム/セガサターン・次世代ゲーム機」を視聴
やーっと!時間が取れたので、2月頭と3月頭に録画していた、本番組を視聴しました。

第2回のハドソン編もそうですが、
なんとなく「しくじり先生」っぽい臭いを感じます…(^^;

第2回のハドソン編もそうですが、
なんとなく「しくじり先生」っぽい臭いを感じます…(^^;
まずは「SEGAアーケードゲーム」から。
そうそうたるメンツ。これは全然しくじってないですね。
この方たちのお陰でゲームセンターが明るくなった!
そして、その功績のお陰で「ニワカが都市伝説と思う」ようになった!w

なんちゃら警察に吊るし上げられるような字幕…
スタッフがニワカだった。(^^;

当時○○○(アーケードタイトル)ビルって色々とありましたね。
「魔界村ビル」とかw (それこそ都市伝説)
しっかし、「ハングオン」ってそこまでインカムが良かったなんて知らなかったです。(^^ゞ 当時、セガ系列のゲームセンターに幾つか通ってましたが、私の地域ではこのゲームはかなりの閑古鳥状態でした…
私自身も当時ハングオンのプレー経験はあるものの、生涯の「スペースハリアー」のプレー回数で比較すると1/256位は違います。(^^; (スーパーハングオンになったらもう少し人気ありましたが…)

流石に跳ね馬のエンブレムはNGなのかな?(^^;

「R-360」と「D3BOS」はアテンダントが付いてて、
「アトラクションだな、コレ…」って感じでした。
特にD3BOSは操作が一切ないので、ビックリハウスに入った感が強く、R-360の方が凄いと思いました。(私の場合は「G-LOC」でプレーした感想)
最初はデカイ筐体なだけで人気なかったなぁ~ シミジミ
「フリッキーの曲が甲高く鳴るだけの機械」という位置づけで、ゲームセンターの入り口にあるものの、誰もやっていませんでした。
私が「おぉっ!」と思ったのは、1990年初頭のニューUFOキャッチャー辺りになって、「オバケのQ太郎」と「怪物くん」のぬいぐるみが雑誌で紹介された時に、「なんじゃ、このぬいぐるみの凄いクオリティはっ!」と、一気に虜になった思い出があります。当時はまだ景品が取りやすくて100発100中で2個ゲットし、片方の景品を女の子のナンパ目的に利用していましたw
鈴木裕さんのレジェンドは様々なメディアで有名すぎですね。
漫画もあったし、雑誌のインタビューでもよく語られました。お陰で番組の説明が私的に当たり前過ぎというか…(^^;
この方のピークは個人的には「バーチャファイター2… 行って3までかなぁ~」という感じがしてて、「シェンムー」は時代が早すぎた…というかリリースが遅すぎた(過大広告状態になってしまっていた)感があります。
しかし、ハングオン~バーチャファイター3までの功績により、ゲーム史の中でレジェンド級のクリエイターで且つ凄腕のエンジニア(プロデューサーでなく自分でメイクしていたのが、これまた素敵…)となったのは事実なので、まだまだ現役で何か生み出していただける事を期待してしまいます。

私は完全にスルーしていましたが、当時の人気は凄かった…(らしいw)
この中の一人に私の幼なじみがいたわけですが、当時は変な感覚でした。(それも私は仕事が忙しい&格ゲーのせいでゲームセンターから遠のいていたため、後から人づてで彼が有名人になっていたことを聞かされて驚いたのですが。(^^ゞ)
なお、去年この記事を読んで、「ハンドル名の由来、俺が本人から聞いたのと若干解釈が違うぞ。(^^;」となったりしたのはここだけの話w
鉄人のビデオとかが販売されて凄く売れたのも全て鈴木裕さんのお陰で、幼なじみがその流れで格ゲー関連の会社を興すことになった(現在も運営中)と思うと物凄い影響力です。
次に「セガサターン・次世代ゲーム機」を。
PlayStationよりも10日早くリリースされたハード。
当時は、プレイステーションの発売日が12月3日(1,2,3)というのと、お洒落な「リッジレーサー」がローンチだったため、「センスいいなぁ~」なんて思いつつも、どちらのハードも購入は様子見でした。
プレイステーションを様子見した理由は「最初に欲しいソフトが無かった」というのと、F田くんが、某社の第一弾ソフトを開発していたので、「これが出るまで待とうかな…」という感じで買うのを先送りにしました。
…が、なかなかそのゲームがリリースされずに(今だから言えるけど、当時としてはゲーム開発では先端言っていたC++のプログラミングの話をする流れでゲームデータなどは先行して見せてもらったりしてたけど、メンツがメンツで開発に難航していたのを聴いていた)、翌年の春に「ジオグラフシール ジャンピングフラッシュ!」が発売されて、それをF田くんの家でプレーしたところ、「こっ、これは買うしか無い… 前作(X68000版)よりも凄い事になった…((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル」と、F田くん開発のゲームリリースを待たずに買うことに…(そして結局リリースされてもF田くんのゲームをしばらく買ってなかった事実。(^^;)
サターンの方も結局欲しいソフトがなかなか出てこなかったのでしばらく買わず(というか、先行してPCのゲームの方が凄かった)、妹がサターンを作っているところで働いており、社割りで買ってきたので、それで遊んでいたという…(テレビゲームなんてやったことない人間が本体を買ってきて驚いたという…(^^;)
サターンは私にとって、正直「中途半端なハード」でした。理由は以下のとおり。
(1) アーケードゲームの移植がウリ。(けれど完璧移植ではない)
(2) PC-FXのようなラインナップ。ギャルゲーがウリ。(けれどPCの方がエロ規制なし)
(3) オリジナリティやゲーム性の高いゲームタイトルが皆無。
(良くも悪くも当時の日本的なソフトばかり)
特に(3)は個人的にキツかったです。最初の1年位はサターンとプレイステーションは同じような感じでしたが、プレイステーションは2年目位からメキメキとこの辺りの差別化が強くなっていった感じです。後述しますが、「これじゃぁ、サターンは市場が育たないな…」と早々に見切りを付けていました。(もちろん、サターンにも魅力のあるソフトが発売された時は買っていましたが、プレイステーションのソレには足元にも…)
この回はアーケード回のメンツよりはパンチが薄い…
しかも…
また本数バカな人が出てくるのか…
相変わらずゲーム機やソフトを雑に扱うな…と思いましたが、中古でバカ買いしているような人間は、こういう扱いするかもなぁ~と。
しょっぱなから、しくじり先生のような流れが…(^^;
ハードを買わせるには、ローンチが大事ってことで。(いまのPS5への戒め)
当時この辺のセンスに物凄く嫌悪感を持ってて、
「なんで、セガってこんなCM打つんだろう? 東京の会社なのに…」
…なんて思ったり。なんちゃら専務もまた然り。
正直「オシャレもへったくれもない」と思ってました。「魅力のあるゲームを出せばいいだけ。」って感じです。1990年代中盤辺りから洋ゲーの凄さを見せつけられていた(魅せられていた)私は、本当に面白いゲームであれば、国と文化が違ってても後々全世界で勝てるということを確信していた頃だったので、営業力よりも企画力の無さにガッカリしていました。
そこへきて1990年後半に入るに連れ…
完全に詰んだ頃。(^^;
F田くんと、「ホント売り方下手なまま終わるよね…」って感じで、二人で行う会合は常にプレイステーションのソフト開発の話でもちきり。
プレイステーションは載っているハードとソフト(ライブラリ)のセンスが良すぎました。あと、ナムコと(後々)スクウェアを味方につけたのが強かったです。
そして、「セガサターン敗因」のトークでは…
「ドラクエ VII」は無いw
これは1994年の春の時点でF田くんから聴いていたことですが、「ソニーは開発ライブラリがしっかりしていて、セガはそれが全く無い。」「全力で突っ走るプログラミングをするので移植が困難らしい。」でした。
このせいでサードパーティの参入が遅くなったのと、先端行った表現を行うゲームの開発が滞ったそうです。
また、ナムコのようなメーカーは「ソニーのライブラリのレベルでは速度性能が出ないせいで、最初から自社でカリカリにチューニングしてライブラリを作っていた」とのことでした。ようは「その気になれば、性能がサターンよりも低くても、かなり難しいことも実現することができたというハードウェアの設計」となり、センスが良かったのだと思います。また、「CPU 2つ搭載」も「2つあることの弊害があるということも理解していない」のがアーケード上がりの会社なのかなぁ~と思ったりしました。
これはドリームキャストでも同じ轍を踏んだので、「この会社は学習しないのかな…」と思いました。「他社のアセンブラコードを見ると、やたらと"NOP"が入りまくってて、最初何してんだろと思っちゃたよ。(^^;」というF田くんの発言は今でも私の中に強烈に残っています。(私はマルチプロセッサの仕組みが分かっていたので即、「それって○○○のせいだよねw」みたいな)
結局「ゲームはメーカー一つで作っている訳ではないと思ってないオゴリがこの結果を出した」という個人的見解があります。
古参は頭を悩ます時代…
購買ユーザー層が昔よりもカジュアルになったこと、お金の落とし方が単純にプレーを楽しむだけはなくなったこと(勝負する箇所が読みづらい)、開発の垣根が低くなったこと(パイが大きくなった割には競争相手がそれ以上に大きくなった)により、生き残りをかけるのが本当に大変になってきたと思います。これは任天堂やソニーでさえ、そうなる気がしています。
まだ、ハード・ハード言われていますが、個人的には「世界的にはとっくにPCメーカーが裏で地盤を作り上げた」と思っており、PSなんちゃらだの、Switchの次世代がどーたらとか騒がれても、「ふ~ん。( ´_ゝ`)」って冷めてしまいます。
現存のメーカーは過去のタイトル(IP)を大事にしながら、更なる魅力的なゲーム(&キャラクター)デザインを生み出し、横展開できるかがキモになると思っているので、セガさんは今後どこに向かうのか興味津々なところです。
◇ ◇ ◇
2つの番組を見て、やっぱり「失敗の話より、レジェンドのオーラルヒストリーを聴く方が楽しいなぁ~」って感じでした。失敗談はもう何度も見ているので、お腹いっぱいです。(^^;
あと、個人的に中古ゲームを沢山持っているゲストは勘弁してほしいかな…その人のトークの時間が尺的に勿体ないという感じです。そんなのは時間無制限(?)の動画配信ででもやっててくださいってところですね。(逆にレジェンドの動画配信で無制限でもいいけどw もちろんレジェンドが潤う形で)
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そして、その功績のお陰で「ニワカが都市伝説と思う」ようになった!w

なんちゃら警察に吊るし上げられるような字幕…
スタッフがニワカだった。(^^;

当時○○○(アーケードタイトル)ビルって色々とありましたね。
「魔界村ビル」とかw (それこそ都市伝説)
しっかし、「ハングオン」ってそこまでインカムが良かったなんて知らなかったです。(^^ゞ 当時、セガ系列のゲームセンターに幾つか通ってましたが、私の地域ではこのゲームはかなりの閑古鳥状態でした…
私自身も当時ハングオンのプレー経験はあるものの、生涯の「スペースハリアー」のプレー回数で比較すると1/256位は違います。(^^; (スーパーハングオンになったらもう少し人気ありましたが…)

流石に跳ね馬のエンブレムはNGなのかな?(^^;

「R-360」と「D3BOS」はアテンダントが付いてて、
「アトラクションだな、コレ…」って感じでした。
特にD3BOSは操作が一切ないので、ビックリハウスに入った感が強く、R-360の方が凄いと思いました。(私の場合は「G-LOC」でプレーした感想)
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「フリッキーの曲が甲高く鳴るだけの機械」という位置づけで、ゲームセンターの入り口にあるものの、誰もやっていませんでした。
私が「おぉっ!」と思ったのは、1990年初頭のニューUFOキャッチャー辺りになって、「オバケのQ太郎」と「怪物くん」のぬいぐるみが雑誌で紹介された時に、「なんじゃ、このぬいぐるみの凄いクオリティはっ!」と、一気に虜になった思い出があります。当時はまだ景品が取りやすくて100発100中で2個ゲットし、片方の景品を女の子のナンパ目的に利用していましたw
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漫画もあったし、雑誌のインタビューでもよく語られました。お陰で番組の説明が私的に当たり前過ぎというか…(^^;
この方のピークは個人的には「バーチャファイター2… 行って3までかなぁ~」という感じがしてて、「シェンムー」は時代が早すぎた…というかリリースが遅すぎた(過大広告状態になってしまっていた)感があります。
しかし、ハングオン~バーチャファイター3までの功績により、ゲーム史の中でレジェンド級のクリエイターで且つ凄腕のエンジニア(プロデューサーでなく自分でメイクしていたのが、これまた素敵…)となったのは事実なので、まだまだ現役で何か生み出していただける事を期待してしまいます。

私は完全にスルーしていましたが、当時の人気は凄かった…(らしいw)
この中の一人に私の幼なじみがいたわけですが、当時は変な感覚でした。(それも私は仕事が忙しい&格ゲーのせいでゲームセンターから遠のいていたため、後から人づてで彼が有名人になっていたことを聞かされて驚いたのですが。(^^ゞ)
なお、去年この記事を読んで、「ハンドル名の由来、俺が本人から聞いたのと若干解釈が違うぞ。(^^;」となったりしたのはここだけの話w
鉄人のビデオとかが販売されて凄く売れたのも全て鈴木裕さんのお陰で、幼なじみがその流れで格ゲー関連の会社を興すことになった(現在も運営中)と思うと物凄い影響力です。
次に「セガサターン・次世代ゲーム機」を。
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当時は、プレイステーションの発売日が12月3日(1,2,3)というのと、お洒落な「リッジレーサー」がローンチだったため、「センスいいなぁ~」なんて思いつつも、どちらのハードも購入は様子見でした。
プレイステーションを様子見した理由は「最初に欲しいソフトが無かった」というのと、F田くんが、某社の第一弾ソフトを開発していたので、「これが出るまで待とうかな…」という感じで買うのを先送りにしました。
…が、なかなかそのゲームがリリースされずに(今だから言えるけど、当時としてはゲーム開発では先端言っていたC++のプログラミングの話をする流れでゲームデータなどは先行して見せてもらったりしてたけど、メンツがメンツで開発に難航していたのを聴いていた)、翌年の春に「
サターンの方も結局欲しいソフトがなかなか出てこなかったのでしばらく買わず(というか、先行してPCのゲームの方が凄かった)、妹がサターンを作っているところで働いており、社割りで買ってきたので、それで遊んでいたという…(テレビゲームなんてやったことない人間が本体を買ってきて驚いたという…(^^;)
サターンは私にとって、正直「中途半端なハード」でした。理由は以下のとおり。
(1) アーケードゲームの移植がウリ。(けれど完璧移植ではない)
(2) PC-FXのようなラインナップ。ギャルゲーがウリ。(けれどPCの方がエロ規制なし)
(3) オリジナリティやゲーム性の高いゲームタイトルが皆無。
(良くも悪くも当時の日本的なソフトばかり)
特に(3)は個人的にキツかったです。最初の1年位はサターンとプレイステーションは同じような感じでしたが、プレイステーションは2年目位からメキメキとこの辺りの差別化が強くなっていった感じです。後述しますが、「これじゃぁ、サターンは市場が育たないな…」と早々に見切りを付けていました。(もちろん、サターンにも魅力のあるソフトが発売された時は買っていましたが、プレイステーションのソレには足元にも…)
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しかも…
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相変わらずゲーム機やソフトを雑に扱うな…と思いましたが、中古でバカ買いしているような人間は、こういう扱いするかもなぁ~と。
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ハードを買わせるには、ローンチが大事ってことで。(いまのPS5への戒め)
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「なんで、セガってこんなCM打つんだろう? 東京の会社なのに…」
…なんて思ったり。なんちゃら専務もまた然り。
正直「オシャレもへったくれもない」と思ってました。「魅力のあるゲームを出せばいいだけ。」って感じです。1990年代中盤辺りから洋ゲーの凄さを見せつけられていた(魅せられていた)私は、本当に面白いゲームであれば、国と文化が違ってても後々全世界で勝てるということを確信していた頃だったので、営業力よりも企画力の無さにガッカリしていました。
そこへきて1990年後半に入るに連れ…
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F田くんと、「ホント売り方下手なまま終わるよね…」って感じで、二人で行う会合は常にプレイステーションのソフト開発の話でもちきり。
プレイステーションは載っているハードとソフト(ライブラリ)のセンスが良すぎました。あと、ナムコと(後々)スクウェアを味方につけたのが強かったです。
そして、「セガサターン敗因」のトークでは…
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これは1994年の春の時点でF田くんから聴いていたことですが、「ソニーは開発ライブラリがしっかりしていて、セガはそれが全く無い。」「全力で突っ走るプログラミングをするので移植が困難らしい。」でした。
このせいでサードパーティの参入が遅くなったのと、先端行った表現を行うゲームの開発が滞ったそうです。
また、ナムコのようなメーカーは「ソニーのライブラリのレベルでは速度性能が出ないせいで、最初から自社でカリカリにチューニングしてライブラリを作っていた」とのことでした。ようは「その気になれば、性能がサターンよりも低くても、かなり難しいことも実現することができたというハードウェアの設計」となり、センスが良かったのだと思います。また、「CPU 2つ搭載」も「2つあることの弊害があるということも理解していない」のがアーケード上がりの会社なのかなぁ~と思ったりしました。
これはドリームキャストでも同じ轍を踏んだので、「この会社は学習しないのかな…」と思いました。「他社のアセンブラコードを見ると、やたらと"NOP"が入りまくってて、最初何してんだろと思っちゃたよ。(^^;」というF田くんの発言は今でも私の中に強烈に残っています。(私はマルチプロセッサの仕組みが分かっていたので即、「それって○○○のせいだよねw」みたいな)
結局「ゲームはメーカー一つで作っている訳ではないと思ってないオゴリがこの結果を出した」という個人的見解があります。
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購買ユーザー層が昔よりもカジュアルになったこと、お金の落とし方が単純にプレーを楽しむだけはなくなったこと(勝負する箇所が読みづらい)、開発の垣根が低くなったこと(パイが大きくなった割には競争相手がそれ以上に大きくなった)により、生き残りをかけるのが本当に大変になってきたと思います。これは任天堂やソニーでさえ、そうなる気がしています。
まだ、ハード・ハード言われていますが、個人的には「世界的にはとっくにPCメーカーが裏で地盤を作り上げた」と思っており、PSなんちゃらだの、Switchの次世代がどーたらとか騒がれても、「ふ~ん。( ´_ゝ`)」って冷めてしまいます。
現存のメーカーは過去のタイトル(IP)を大事にしながら、更なる魅力的なゲーム(&キャラクター)デザインを生み出し、横展開できるかがキモになると思っているので、セガさんは今後どこに向かうのか興味津々なところです。
2つの番組を見て、やっぱり「失敗の話より、レジェンドのオーラルヒストリーを聴く方が楽しいなぁ~」って感じでした。失敗談はもう何度も見ているので、お腹いっぱいです。(^^;
あと、個人的に中古ゲームを沢山持っているゲストは勘弁してほしいかな…その人のトークの時間が尺的に勿体ないという感じです。そんなのは時間無制限(?)の動画配信ででもやっててくださいってところですね。(逆にレジェンドの動画配信で無制限でもいいけどw もちろんレジェンドが潤う形で)
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