昔のゲームの想い出 (番外編) [0030]
《ゲームセンターと不良》
ここ数日、ネット上で「昔のゲームセンターには不良がウロウロしてたみたいな都市伝説」というような話題を挙げた人がバズっているのを見かけて、「へぇ~ 都市伝説ねぇ…」なんて思って発言者を見たところ…
…あぁ… みたいな。_(:3 」∠)_ゴロリ
都市伝説云々はその人の境遇や価値観に基づいているので、そこは置いておいて、妙なインフルエンサーだと色々と大変ですなという事で。(なお、個人的には「年齢の割には妙に経験不足(ニワカ)だな…」とは思いました。(^^ゞ)
バカみたいな中古ソフト収集に力を入れるのも良いけど、こういう生き字引な
投稿本を買って(収集して)読むと、熱い1980年代を追体験できる…かも?w
ということ(?)で、私的には「1980年代は不良の巣窟と言われたゲームセンター」で見かけた不良たちのことでも書こうかな…と。
ここ数日、ネット上で「昔のゲームセンターには不良がウロウロしてたみたいな都市伝説」というような話題を挙げた人がバズっているのを見かけて、「へぇ~ 都市伝説ねぇ…」なんて思って発言者を見たところ…
…あぁ… みたいな。_(:3 」∠)_ゴロリ
都市伝説云々はその人の境遇や価値観に基づいているので、そこは置いておいて、妙なインフルエンサーだと色々と大変ですなという事で。(なお、個人的には「年齢の割には妙に経験不足(ニワカ)だな…」とは思いました。(^^ゞ)
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投稿本を買って(収集して)読むと、熱い1980年代を追体験できる…かも?w
ということ(?)で、私的には「1980年代は不良の巣窟と言われたゲームセンター」で見かけた不良たちのことでも書こうかな…と。
【ゲームセンターにおける不良の定義】
まずは何を持って「ゲームセンターにおける不良」というかを定義しないと良くない気がするのですが、私的には経験から以下のように定義します。ちなみに「未成年なのにタバコを吸う」とかは、個人的にはあまり不良の枠に入らないです。私の住んでいる地域的なこともあり、10代前半からの喫煙者が多かったので、「背伸びしている子供がイキがっている」程度に感じていました。(このせいで天の邪鬼の私は未だにタバコを吸えなく今に来てしまったという…(^^ゞ)
[不良と判断する行為]
(1) 客のプレーの邪魔をする。
目隠し、画面隠し、体を揺らす、レバーに手をかける、電源を落とすなど。
奇声をあげてうるさくするなども対象。
(2) 客から金銭を巻き上げる。
カツアゲ、脅迫、暴力など。
(3) 店の人に迷惑を掛ける。
(1), (2)の流れから店員が出ないとならないケースや、
風俗営業適正化法を厳守しない、ゲームセンター内で別事件を起こして、
警察沙汰になるなど。
(4) 店の器物を窃盗または破壊する。
店内の装飾(ポスターなど)を窃盗、ゲーム機材を破壊、
レジから金を盗むなど。
とりあえずこんな感じですね。私はこれらを見てきました。
店内/外で喧嘩をしているのはちょいちょい見ましたが、カツアゲのために暴力を振っているか、店の人とトラブって殴り合っているような場合は「不良」の分類に入ります。
ただし、1990年代に入ってから対戦格闘ゲーム系で、負けた腹いせから始まる喧嘩は不良のカテゴリに入りません。血の気が多い輩がリアルに戯れているだけという感覚です。(既に社会人だったので、「ガキは血の気が多いなぁ~ 昔のことを思うと人のこと言えないけど…」という感じでした)
更に経験的には…
[不良と判断する行為 番外(ヤバめ)]
(a) 人のプレー中にタバコの煙を吹きかけて邪魔をする。
(b) 人のプレー中に水で溶かしたニコチンを飲ませようとする。
(b)は流石にキレれました。こちらのプレー中に、「はい、飲み物。」と、人がちゃんと見ていないのをいいことに、タバコの吸殻をマクドナルドのジュースコップに入れて溶けたニコチン水をストローを挿して差し出してきたものを気づかずに一口飲んだ時は、ソッコーで吐きました。その怒りでゲームセンター内で人に飛びかかって殴り倒したのは後にも先にもこれくらいです。コイツは正に「(人として)不良(品)」でした。(その後仲良くなったけど)
そして、一般的に「不良」と呼ばれる人の外見というのは… 大抵が学生の姿をしており、
[カジュアル不良(笑)]
(A) ボンタン、ドカン、長ラン、短ラン。(1980年代はスカジャンなど)
(B) リーゼント、短髪の鬼剃り。
(C) 茶髪、金髪、メッシュ。
(D) 菊りんメガネ。(朋友はコレかけてた)
という感じで、1980年代は沢山いましたw 人に危害を与えずにカッコだけ強面(こわおもて)の連中は沢山いて、ゲームをする時は皆で仲良く遊んでいました。特に「熱血硬派くにおくん」がリリースされた時は本当に沢山のカジュアル不良達がゲームセンターに来ました。みんなコレ目当てで遊びに来ていて、金がなくなると特にカツアゲをするでもなく、私がプレーしているゲームを見に来たりして、多い時はギャラリーとして20人位に囲まれて、その中心に私がいたときには、「OKIくんが、学ラン姿の不良に囲まれてカツアゲされているみたいに見えた。」と、一緒に来ていた友人に言われりして、ちょっと心外でしたw
(とはいっても、実際は私がヤラレてないだけで、カツアゲ自体は発生してはいたのですが…(^^;)
ということで一般的にいう「ゲームセンターの不良」というのは、行為的には「弱いものからカツアゲをしている」ということと、視覚的には「カジュアル不良(笑)」を偏見で言っている感じかなぁ~と思います。
出現場所は場末の照明が暗いゲームセンターでエンカウントしやすいという印象です。
なお、私の場合はゲームが上手だったせいかヤラレたことはなく、むしろ好意的に寄ってこられていたので、「今考えると運が良かったかも…」という感じでした。
【ゲームセンターに来店する不良の全盛期と衰退】
日本のゲームセンター市場は1978年あたりから始まるため、不良の歴史を鑑みると、ゲームセンターのカテゴリ的には「ツッパリ」「ヤンキー」が起源となる気がします。
店内が暗かったのはおおよそ1980年末位までなので、それ以降は徐々に減っていった気がします。(それでも当然ゼロにはならない)
店内が明るくなったのは「UFOキャッチャー」の功績で、1990年初頭から景品がぬいぐるみになってから一気に加速していった感があります。この影響でゲームセンターは全年齢・全性別の客層になり、呼称も「アミューズメントパーク」となり、且つ店舗の規律向上、店員もオッサンから若い人にスイッチしつつ、且つ家庭用テレビゲームの普及も広まって、全てが明るい流れとなり、不良と呼ばれる種族が来店しなくなっていった感じがします。(加えてその頃のヤンキー(現在R50~60)は社会に出始めていて、「子供の遊ぶテレビゲームは卒業」というのもあります)
【テレビゲームと不良とオタク】
1990年代になるとテレビゲームの映像向上の流れにより、アニメーション(マンガ)ビジュアルが多数導入されて来て、萌え(←当時はまだこうは言わない)が入り、徐々にテレビゲームはインドア系(1980年代後半~1990年初頭位は「ネクラ」「オタク」と呼ぶカテゴリで括られ始めた)になりつつあり、不良(もしくは硬派)からすると「気持ち悪い」という世間体が入り始め、1980年代の「ツッパリ」「ヤンキー」はゲームセンターに徐々に来なくなりました。(週刊ヤングマガジンと週刊少年チャンピオンを読んでいる漢は来ない!<< 超偏見)
「不良とオタクが交差するとき、物語は始まる!」…とはならず、単純に対戦格闘ゲームブームが来て、猫も杓子も非常に仲良く(時にはリアルストリートファイトしながら)、テレビゲームがごく普通に楽しまれるものとなり、1990年中盤以降に10代位の学生にとっては、「ゲームセンター楽しいところ。」という印象がバッチリ浸透したという流れとなります。
【現在(2021年)】
現在は「ゲームセンター(アミューズメントパーク)」というと、クレーンゲーム、プリントシール機、対戦格闘ゲーム、対戦カードゲームがメインとなり、これとは別にレトロゲームファン(主にR50以上)向けに若干の20世紀時代のビデオゲームが置いてあるという構成となり、店内は明るく、おしぼりもあり、店によっては禁煙という健全そのものになっています。
このような店舗を見ている人からすると、冒頭のように「昔のゲームセンターには不良がウロウロしてたみたいな都市伝説」に映ること間違いなしです。
現在はコロナ禍のお陰で、昨年より次々と閉店となっている傾向にありますが(それ以前に減少傾向)、不良も少ない優等生なゲームセンターは女子学生や家族向けに進化を続けていくのかなと思います。
まぁ、そのようなゲームセンターに「私は一切魅力を持たないのですが!」
( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン
まずは何を持って「ゲームセンターにおける不良」というかを定義しないと良くない気がするのですが、私的には経験から以下のように定義します。ちなみに「未成年なのにタバコを吸う」とかは、個人的にはあまり不良の枠に入らないです。私の住んでいる地域的なこともあり、10代前半からの喫煙者が多かったので、「背伸びしている子供がイキがっている」程度に感じていました。(このせいで天の邪鬼の私は未だにタバコを吸えなく今に来てしまったという…(^^ゞ)
[不良と判断する行為]
(1) 客のプレーの邪魔をする。
目隠し、画面隠し、体を揺らす、レバーに手をかける、電源を落とすなど。
奇声をあげてうるさくするなども対象。
(2) 客から金銭を巻き上げる。
カツアゲ、脅迫、暴力など。
(3) 店の人に迷惑を掛ける。
(1), (2)の流れから店員が出ないとならないケースや、
風俗営業適正化法を厳守しない、ゲームセンター内で別事件を起こして、
警察沙汰になるなど。
(4) 店の器物を窃盗または破壊する。
店内の装飾(ポスターなど)を窃盗、ゲーム機材を破壊、
レジから金を盗むなど。
とりあえずこんな感じですね。私はこれらを見てきました。
店内/外で喧嘩をしているのはちょいちょい見ましたが、カツアゲのために暴力を振っているか、店の人とトラブって殴り合っているような場合は「不良」の分類に入ります。
ただし、1990年代に入ってから対戦格闘ゲーム系で、負けた腹いせから始まる喧嘩は不良のカテゴリに入りません。血の気が多い輩がリアルに戯れているだけという感覚です。(既に社会人だったので、「ガキは血の気が多いなぁ~ 昔のことを思うと人のこと言えないけど…」という感じでした)
更に経験的には…
[不良と判断する行為 番外(ヤバめ)]
(a) 人のプレー中にタバコの煙を吹きかけて邪魔をする。
(b) 人のプレー中に水で溶かしたニコチンを飲ませようとする。
(b)は流石にキレれました。こちらのプレー中に、「はい、飲み物。」と、人がちゃんと見ていないのをいいことに、タバコの吸殻をマクドナルドのジュースコップに入れて溶けたニコチン水をストローを挿して差し出してきたものを気づかずに一口飲んだ時は、ソッコーで吐きました。その怒りでゲームセンター内で人に飛びかかって殴り倒したのは後にも先にもこれくらいです。コイツは正に「(人として)不良(品)」でした。(その後仲良くなったけど)
そして、一般的に「不良」と呼ばれる人の外見というのは… 大抵が学生の姿をしており、
[カジュアル不良(笑)]
(A) ボンタン、ドカン、長ラン、短ラン。(1980年代はスカジャンなど)
(B) リーゼント、短髪の鬼剃り。
(C) 茶髪、金髪、メッシュ。
(D) 菊りんメガネ。(朋友はコレかけてた)
という感じで、1980年代は沢山いましたw 人に危害を与えずにカッコだけ強面(こわおもて)の連中は沢山いて、ゲームをする時は皆で仲良く遊んでいました。特に「熱血硬派くにおくん」がリリースされた時は本当に沢山のカジュアル不良達がゲームセンターに来ました。みんなコレ目当てで遊びに来ていて、金がなくなると特にカツアゲをするでもなく、私がプレーしているゲームを見に来たりして、多い時はギャラリーとして20人位に囲まれて、その中心に私がいたときには、「OKIくんが、学ラン姿の不良に囲まれてカツアゲされているみたいに見えた。」と、一緒に来ていた友人に言われりして、ちょっと心外でしたw
(とはいっても、実際は私がヤラレてないだけで、カツアゲ自体は発生してはいたのですが…(^^;)
ということで一般的にいう「ゲームセンターの不良」というのは、行為的には「弱いものからカツアゲをしている」ということと、視覚的には「カジュアル不良(笑)」を偏見で言っている感じかなぁ~と思います。
出現場所は場末の照明が暗いゲームセンターでエンカウントしやすいという印象です。
なお、私の場合はゲームが上手だったせいかヤラレたことはなく、むしろ好意的に寄ってこられていたので、「今考えると運が良かったかも…」という感じでした。
【ゲームセンターに来店する不良の全盛期と衰退】
日本のゲームセンター市場は1978年あたりから始まるため、不良の歴史を鑑みると、ゲームセンターのカテゴリ的には「ツッパリ」「ヤンキー」が起源となる気がします。
店内が暗かったのはおおよそ1980年末位までなので、それ以降は徐々に減っていった気がします。(それでも当然ゼロにはならない)
店内が明るくなったのは「UFOキャッチャー」の功績で、1990年初頭から景品がぬいぐるみになってから一気に加速していった感があります。この影響でゲームセンターは全年齢・全性別の客層になり、呼称も「アミューズメントパーク」となり、且つ店舗の規律向上、店員もオッサンから若い人にスイッチしつつ、且つ家庭用テレビゲームの普及も広まって、全てが明るい流れとなり、不良と呼ばれる種族が来店しなくなっていった感じがします。(加えてその頃のヤンキー(現在R50~60)は社会に出始めていて、「子供の遊ぶテレビゲームは卒業」というのもあります)
【テレビゲームと不良とオタク】
1990年代になるとテレビゲームの映像向上の流れにより、アニメーション(マンガ)ビジュアルが多数導入されて来て、萌え(←当時はまだこうは言わない)が入り、徐々にテレビゲームはインドア系(1980年代後半~1990年初頭位は「ネクラ」「オタク」と呼ぶカテゴリで括られ始めた)になりつつあり、不良(もしくは硬派)からすると「気持ち悪い」という世間体が入り始め、1980年代の「ツッパリ」「ヤンキー」はゲームセンターに徐々に来なくなりました。(週刊ヤングマガジンと週刊少年チャンピオンを読んでいる漢は来ない!<< 超偏見)
「不良とオタクが交差するとき、物語は始まる!」…とはならず、単純に対戦格闘ゲームブームが来て、猫も杓子も非常に仲良く(時にはリアルストリートファイトしながら)、テレビゲームがごく普通に楽しまれるものとなり、1990年中盤以降に10代位の学生にとっては、「ゲームセンター楽しいところ。」という印象がバッチリ浸透したという流れとなります。
【現在(2021年)】
現在は「ゲームセンター(アミューズメントパーク)」というと、クレーンゲーム、プリントシール機、対戦格闘ゲーム、対戦カードゲームがメインとなり、これとは別にレトロゲームファン(主にR50以上)向けに若干の20世紀時代のビデオゲームが置いてあるという構成となり、店内は明るく、おしぼりもあり、店によっては禁煙という健全そのものになっています。
このような店舗を見ている人からすると、冒頭のように「昔のゲームセンターには不良がウロウロしてたみたいな都市伝説」に映ること間違いなしです。
現在はコロナ禍のお陰で、昨年より次々と閉店となっている傾向にありますが(それ以前に減少傾向)、不良も少ない優等生なゲームセンターは女子学生や家族向けに進化を続けていくのかなと思います。
まぁ、そのようなゲームセンターに「私は一切魅力を持たないのですが!」
( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン
コメント
カジュアルもカジュアルでした(笑)
ボンタン狩りじゃい!(ビー・バップ・ハイスクール風)
>ゲーセンと不良で連想してしまったのが、
>1980年代当時のタイトー系ロケーションの入口にあった
>「健全宣言」の電飾スタンドですね。
そんなのあったんですね。ちょっと記憶にないです…(^^ゞ
近所にタイトー直営店が無かったから見たことないのかもです。
タイトー系のものを沢山置く店にはシルクハットのオッサンが映った電飾スタンドが回ってましたw (裏には「ゲーム」って書いてありました)
>比較的安全に遊べたのはいわゆる駄菓子屋ゲーセンだったのでは…
>と個人的に思っています。
確かにその傾向はありましたね。子供しか集らないからですね。
しかし完全に安全地帯かというと、私の地元に至っては中・高生レベルのヤンキー達が駄菓子屋にて小学生からカツアゲしているのを見た事あります。
全く面識のないヤンキー(年上)だったので、最初は助ける事もできず…だったのですが、そのヤンキーの一人にその駄菓子屋の息子が含まれていたので、店のオバちゃんにチクッて以後その光景を見なくなりました。
(自分の家のゲームなのに、なんでカツアゲしてまでゲームしていたのか全く理解できませんでした)
>それに影響された人たち(私を含みます…笑)
>が自分で買いに行くという感じでした。
わで~んさんは「ワタリ38cmくらいの物を着用してた」んですもんねw
この頃はズボンの商品名に色々な名前があったのが面白かったです。
カウンタック、コブラとかの車の名前もあれば、ビー・バップ・ハイスクールの影響からヒロシ、トオルとかありました。
(……あれっ?この辺の流れ、なんか昔わで~んさんのブログにコメントしたような記憶が…(^^ゞ)
>私を含むほとんどは普通の坊主頭だったと記憶しています。(^^;
なんと!そうだったんですね。(^^;
私の方は坊主刈りは中学生以上は野球部オンリーでした。
小学生以下は「スポーツ刈り(笑)」が多かったですw
>ビデオゲームがゲーセンの稼ぎ頭だった時代、
>ペンシルビルなどの条件から窓が無いゲーセンが
>多かった点もあるのでは…と思いました。
そうなんですね~ 私の通っていた場所は大半は窓があり、その場合は全部黒フィルム&目張り状態でした。
過去に書いた、
http://ockeysprogramming.blog42.fc2.com/blog-entry-1091.html
の30個所中、窓が無いお店は片手で数えられる程度でした。(地下店舗などは当然無かったです)
こう鑑みると地域による感じっぽいですね。(´▽`)
(超偏見で新宿や渋谷のゲームセンターなどは全部窓がなさそうw)
>店の事務所からの死角ができやすいということで、
>不良のカツアゲの格好の場となることがデメリット
>だったのではないでしょうか。
これはその通りですね。暗闇&店番の死角で実施されていました。
店によっては店員無視の目の前で実施されていたので、世紀末(1987年位ですが)状態な時もありました。
(逆に目の前のカツアゲを止めたオジサンのお店もありました。不良とバトルになってましたが… 最後に「二度と来るなっ!」って怒鳴ってて、カッコよかったです)
>1990年代初頭から中盤のゲーセンが明るくなりだした時期は、
>大手メーカーがゲーセンのテーマパーク化(アミューズメントパーク化)に
>傾倒していった時期
急に明るくなりましたよね。私の地元で女性店員の姿を見始めたのも1990年入ってからです。入口に置いてあるUFOキャッチャーからフリッキーのネームエントリの曲やソニックのBGMが流れるようになって位からが健全化が始まったイメージです。
バンダイがプライズ品でぬいぐるみ参入してきた位(確か1992年位)の時、この景品(怪物くん)を取って、これを使ってゲームセンターで女の子をナンパした事がある位です(爆)
プリクラは大分後ですよね。私が殆どゲームセンター行ってない頃に急激に流行った感じがします。私が殆ど行かなくなったゲーセンで唯一レイストームをプレーしにいって、クリアして感無量になっている隣でJKがキャッキャ言いながら撮っていたイメージがありますw
>今でこそ市民権を得ているビデオゲームですが、
>肩身の狭い思いをしていた時期もありましたね…
ほんとですよねぇ~
「おまえ宮崎系?」と会社で言われた時は、その後はゲームに関しては「隠れキリシタン状態」でしたからねぇ~
>今は、胸を張って「ゲーマーです!」と言えるようになった
コレ、なにげに凄い事だと思ってます。
実はこんなにも長くブログ書いていますが、私は自分の事を「ゲーマー」って殆んど言ってないんですよね。
「ゲーマー」って「1つのゲームを極めている(ようとしている)人」、「カンストを目指している人」というイメージがあるので、私はこれに該当しないんですよね。
全くそう発言していない訳でもないのですが、私の方向性は「フリーク(ちょっと変な方にコア・マニアック)」に近い感じがしているので、純粋にテレビゲームを楽しむ事はしているものの、もうちょっとプログラミング寄りとか、メーカーの癖を調べる、歴史的な流れを追う…等、そのような嗜好性をもっており、そこまでプレーが上手い訳でもない事から「私はゲーマーではないな…」と思うため、言っても「元ゲーマー」とか言う感じだったりしますw
私的にわで~んさんはコレまでの戦歴から「ゲーマー」だと思ってます。( ・∀・)
>1980年代当時のタイトー系ロケーションの入口にあった
>「健全宣言」の電飾スタンドですね。
そんなのあったんですね。ちょっと記憶にないです…(^^ゞ
近所にタイトー直営店が無かったから見たことないのかもです。
タイトー系のものを沢山置く店にはシルクハットのオッサンが映った電飾スタンドが回ってましたw (裏には「ゲーム」って書いてありました)
>比較的安全に遊べたのはいわゆる駄菓子屋ゲーセンだったのでは…
>と個人的に思っています。
確かにその傾向はありましたね。子供しか集らないからですね。
しかし完全に安全地帯かというと、私の地元に至っては中・高生レベルのヤンキー達が駄菓子屋にて小学生からカツアゲしているのを見た事あります。
全く面識のないヤンキー(年上)だったので、最初は助ける事もできず…だったのですが、そのヤンキーの一人にその駄菓子屋の息子が含まれていたので、店のオバちゃんにチクッて以後その光景を見なくなりました。
(自分の家のゲームなのに、なんでカツアゲしてまでゲームしていたのか全く理解できませんでした)
>それに影響された人たち(私を含みます…笑)
>が自分で買いに行くという感じでした。
わで~んさんは「ワタリ38cmくらいの物を着用してた」んですもんねw
この頃はズボンの商品名に色々な名前があったのが面白かったです。
カウンタック、コブラとかの車の名前もあれば、ビー・バップ・ハイスクールの影響からヒロシ、トオルとかありました。
(……あれっ?この辺の流れ、なんか昔わで~んさんのブログにコメントしたような記憶が…(^^ゞ)
>私を含むほとんどは普通の坊主頭だったと記憶しています。(^^;
なんと!そうだったんですね。(^^;
私の方は坊主刈りは中学生以上は野球部オンリーでした。
小学生以下は「スポーツ刈り(笑)」が多かったですw
>ビデオゲームがゲーセンの稼ぎ頭だった時代、
>ペンシルビルなどの条件から窓が無いゲーセンが
>多かった点もあるのでは…と思いました。
そうなんですね~ 私の通っていた場所は大半は窓があり、その場合は全部黒フィルム&目張り状態でした。
過去に書いた、
http://ockeysprogramming.blog42.fc2.com/blog-entry-1091.html
の30個所中、窓が無いお店は片手で数えられる程度でした。(地下店舗などは当然無かったです)
こう鑑みると地域による感じっぽいですね。(´▽`)
(超偏見で新宿や渋谷のゲームセンターなどは全部窓がなさそうw)
>店の事務所からの死角ができやすいということで、
>不良のカツアゲの格好の場となることがデメリット
>だったのではないでしょうか。
これはその通りですね。暗闇&店番の死角で実施されていました。
店によっては店員無視の目の前で実施されていたので、世紀末(1987年位ですが)状態な時もありました。
(逆に目の前のカツアゲを止めたオジサンのお店もありました。不良とバトルになってましたが… 最後に「二度と来るなっ!」って怒鳴ってて、カッコよかったです)
>1990年代初頭から中盤のゲーセンが明るくなりだした時期は、
>大手メーカーがゲーセンのテーマパーク化(アミューズメントパーク化)に
>傾倒していった時期
急に明るくなりましたよね。私の地元で女性店員の姿を見始めたのも1990年入ってからです。入口に置いてあるUFOキャッチャーからフリッキーのネームエントリの曲やソニックのBGMが流れるようになって位からが健全化が始まったイメージです。
バンダイがプライズ品でぬいぐるみ参入してきた位(確か1992年位)の時、この景品(怪物くん)を取って、これを使ってゲームセンターで女の子をナンパした事がある位です(爆)
プリクラは大分後ですよね。私が殆どゲームセンター行ってない頃に急激に流行った感じがします。私が殆ど行かなくなったゲーセンで唯一レイストームをプレーしにいって、クリアして感無量になっている隣でJKがキャッキャ言いながら撮っていたイメージがありますw
>今でこそ市民権を得ているビデオゲームですが、
>肩身の狭い思いをしていた時期もありましたね…
ほんとですよねぇ~
「おまえ宮崎系?」と会社で言われた時は、その後はゲームに関しては「隠れキリシタン状態」でしたからねぇ~
>今は、胸を張って「ゲーマーです!」と言えるようになった
コレ、なにげに凄い事だと思ってます。
実はこんなにも長くブログ書いていますが、私は自分の事を「ゲーマー」って殆んど言ってないんですよね。
「ゲーマー」って「1つのゲームを極めている(ようとしている)人」、「カンストを目指している人」というイメージがあるので、私はこれに該当しないんですよね。
全くそう発言していない訳でもないのですが、私の方向性は「フリーク(ちょっと変な方にコア・マニアック)」に近い感じがしているので、純粋にテレビゲームを楽しむ事はしているものの、もうちょっとプログラミング寄りとか、メーカーの癖を調べる、歴史的な流れを追う…等、そのような嗜好性をもっており、そこまでプレーが上手い訳でもない事から「私はゲーマーではないな…」と思うため、言っても「元ゲーマー」とか言う感じだったりしますw
私的にわで~んさんはコレまでの戦歴から「ゲーマー」だと思ってます。( ・∀・)
No title
自分の中のゲーセン史観だと――どうも前も書いたような気もしますが――ゲーセンが明るくなったのはアップライト筐体の普及と同期していたという印象があります。テーブル筐体だとどうしても反射があるので店内の照明を絞らざるを得なかったと思うのですよね。自分がゲーセンに出入りしだしたころには筐体の上にかぶせる段ボールが置いてあった店がまだ辛うじてあったのを憶えていますが(という話をOKIさんのブログにコメントした気が……かぶってたらすみません)、一、二年で急速にアップライト筐体が普及し、同時期にUFOキャッチャーが登場し、ゲーセンが明るくなっていったと記憶しています。OKIさんの書かれている通り80年代末のことです。
土地柄もあるのかもしれませんが、自分の体感の範囲ではカツアゲとかはほとんどなかったように思います(噂はときどき聞きました)。ただ、ゲーセンの帰りに怖いお兄さんに絡まれたりしたことはあって、少しの間ゲーセンから足が遠のいた、という体験はあります。このあたりの話、歳が数年違うと、あるいは住んでいる土地が違うと、似たような時期のゲーセンの話をしていてもがらっと様子が違うのだろうと思います。
健全宣言のサイン、まったく記憶にないです。タイトー系は家の近所と、学校の近くと、二ヶ所通っていたのですが。面白いです。
土地柄もあるのかもしれませんが、自分の体感の範囲ではカツアゲとかはほとんどなかったように思います(噂はときどき聞きました)。ただ、ゲーセンの帰りに怖いお兄さんに絡まれたりしたことはあって、少しの間ゲーセンから足が遠のいた、という体験はあります。このあたりの話、歳が数年違うと、あるいは住んでいる土地が違うと、似たような時期のゲーセンの話をしていてもがらっと様子が違うのだろうと思います。
健全宣言のサイン、まったく記憶にないです。タイトー系は家の近所と、学校の近くと、二ヶ所通っていたのですが。面白いです。
No title
> ゲーセンが明るくなったのはアップライト筐体の普及と同期
ですね。高潮のさんもおっしゃるとおり、1980年代後半に
アップライトのエアロシティ筐体(システム24の周波数対応)+UFOキャッチャー(の"ぬいぐるみプライズ" << まだバンプレストなし)がおおよそ同時期って感じで、その頃から明るくなった感じですよね。
そしてゲームセンターの内装が小綺麗になってきたのも丁度この頃で、全てが一気に揃った感があります。(これが上述でわで~んさんがコメントされた「健全宣言」なのもかもしれないですね)
> 自分がゲーセンに出入りしだしたころには筐体の上に
> かぶせる段ボールが置いてあった店がまだ辛うじてあった
辛うじて…の時期なんですね。1980年代後中盤位から…なんですかねぇ…
私的には最終的に見ていたのは1992年位までで、駄菓子屋(のテーブル筐体)でした。
その頃は既にアップライトがゲームセンターで沢山設置されている時代で、対戦台に至っては全てアップライトオンリーでした。(テーブル台は麻雀が多かったです)
> という話をOKIさんのブログにコメントした気が……
その記憶がなかったので、高潮のさんのコメントを検索してみたところ、全14コメント中には、そのくだりはありませんでした。
もしかしたら別の方のSNSでされたコメントかもですね。(世の中レトロアーケードゲームの事を熱く語る方が沢山いらっしゃいますからねぇ~ そちらでコメントされたの…かも?(^^))
> 土地柄もあるのかもしれませんが、自分の体感の
> 範囲ではカツアゲとかはほとんどなかったように思います
かなり健全な地域ですね。以前ご紹介された高潮のさんのブログを読んだ感じのイメージだと東京近郊お住まいという雰囲気があるのですが、もし1980年代でもその地域でしたら、遭遇していないなんて相当奇跡に感じます。もしくは通っていたゲーセンがほぼ1点集中で、そこが超健全だったとか…
いや、巣鴨キャロットのような総本山近辺は、ガチ勢すぎてヤンキーなんて入店しないとか聴いたことがあるので、そういう素晴らしいロケだったりとか夢が広がります。
> ただ、ゲーセンの帰りに怖いお兄さんに絡まれたりした
> ことはあって、少しの間ゲーセンから足が遠のいた、
> という体験はあります。
それはちょっとトラウマ入っちゃいますねぇ~
1980年代はカツアゲ行為自体がゲーセン関係無しで全国で的にあったわけで、そういう意味では昭和生まれの宿命なのかも知れないですね。(^^;
> このあたりの話、歳が数年違うと、あるいは住んでいる
> 土地が違うと、似たような時期のゲーセンの話をしていても
> がらっと様子が違うのだろうと思います。
ですね。そのことは十分理解しているので、私の場合一回り以上違う人とテレビゲームの話をするときは、話を合わせるためにかなりマイルドに話をしつつ、「過去のゲームというのは…」みたいなウンチク語りはあまりしないようにしていますね。テレビゲームは1977年から現在までそこそこ嗜んでいるので、相手のレベルに合わせて話すようにしてます。カツアゲなんて今の2, 30代には通用しなさそうですし。
(ここの日記ではアーケードマニアックレベルで書いたりしちゃってますが。(^^ゞ)
> 健全宣言のサイン、まったく記憶にないです。
私と同じですね。見た記憶がありません。
タイトーの「かなり影響度の高いロケ」とかにはあったのかもですね。こちらでは海老名や熊谷、綱島にタイトーの工場や研究所があったので、その近辺のロケとかに遊びに行っていたら見かけることができたのかもしれないです。
これは勝手な憶測ですが、
https://onitama.tv/gamemachine/archive.html
を念入りに調べたら、その事が書いてあるかも知れない…とは思いました。
ですね。高潮のさんもおっしゃるとおり、1980年代後半に
アップライトのエアロシティ筐体(システム24の周波数対応)+UFOキャッチャー(の"ぬいぐるみプライズ" << まだバンプレストなし)がおおよそ同時期って感じで、その頃から明るくなった感じですよね。
そしてゲームセンターの内装が小綺麗になってきたのも丁度この頃で、全てが一気に揃った感があります。(これが上述でわで~んさんがコメントされた「健全宣言」なのもかもしれないですね)
> 自分がゲーセンに出入りしだしたころには筐体の上に
> かぶせる段ボールが置いてあった店がまだ辛うじてあった
辛うじて…の時期なんですね。1980年代後中盤位から…なんですかねぇ…
私的には最終的に見ていたのは1992年位までで、駄菓子屋(のテーブル筐体)でした。
その頃は既にアップライトがゲームセンターで沢山設置されている時代で、対戦台に至っては全てアップライトオンリーでした。(テーブル台は麻雀が多かったです)
> という話をOKIさんのブログにコメントした気が……
その記憶がなかったので、高潮のさんのコメントを検索してみたところ、全14コメント中には、そのくだりはありませんでした。
もしかしたら別の方のSNSでされたコメントかもですね。(世の中レトロアーケードゲームの事を熱く語る方が沢山いらっしゃいますからねぇ~ そちらでコメントされたの…かも?(^^))
> 土地柄もあるのかもしれませんが、自分の体感の
> 範囲ではカツアゲとかはほとんどなかったように思います
かなり健全な地域ですね。以前ご紹介された高潮のさんのブログを読んだ感じのイメージだと東京近郊お住まいという雰囲気があるのですが、もし1980年代でもその地域でしたら、遭遇していないなんて相当奇跡に感じます。もしくは通っていたゲーセンがほぼ1点集中で、そこが超健全だったとか…
いや、巣鴨キャロットのような総本山近辺は、ガチ勢すぎてヤンキーなんて入店しないとか聴いたことがあるので、そういう素晴らしいロケだったりとか夢が広がります。
> ただ、ゲーセンの帰りに怖いお兄さんに絡まれたりした
> ことはあって、少しの間ゲーセンから足が遠のいた、
> という体験はあります。
それはちょっとトラウマ入っちゃいますねぇ~
1980年代はカツアゲ行為自体がゲーセン関係無しで全国で的にあったわけで、そういう意味では昭和生まれの宿命なのかも知れないですね。(^^;
> このあたりの話、歳が数年違うと、あるいは住んでいる
> 土地が違うと、似たような時期のゲーセンの話をしていても
> がらっと様子が違うのだろうと思います。
ですね。そのことは十分理解しているので、私の場合一回り以上違う人とテレビゲームの話をするときは、話を合わせるためにかなりマイルドに話をしつつ、「過去のゲームというのは…」みたいなウンチク語りはあまりしないようにしていますね。テレビゲームは1977年から現在までそこそこ嗜んでいるので、相手のレベルに合わせて話すようにしてます。カツアゲなんて今の2, 30代には通用しなさそうですし。
(ここの日記ではアーケードマニアックレベルで書いたりしちゃってますが。(^^ゞ)
> 健全宣言のサイン、まったく記憶にないです。
私と同じですね。見た記憶がありません。
タイトーの「かなり影響度の高いロケ」とかにはあったのかもですね。こちらでは海老名や熊谷、綱島にタイトーの工場や研究所があったので、その近辺のロケとかに遊びに行っていたら見かけることができたのかもしれないです。
これは勝手な憶測ですが、
https://onitama.tv/gamemachine/archive.html
を念入りに調べたら、その事が書いてあるかも知れない…とは思いました。
No title
すみません、どこかよそで書いたみたいです。といってもこんな頃のゲーセンの話を書き込む先が(自分にとっては)そんなにあちこちにあるはずもなし、普通に謎です。どこだったんだろう……。
カツアゲについては自分がやられたとか見かけたとか自分の友達がやられたとか、そのレベルではなかったということなんですが、おっしゃる通りたぶん治安はかなりよかったほうだと思います。喫煙ぐらいなら時々見かけました。巣鴨キャロットみたいなところではなかったです。
別のエントリですが、健全宣言の調査、面白かったです。特に「健全」でめちゃくちゃたくさんヒットするくだりで笑ってしまいました。当時は深刻な問題だったのでしょうね。
カツアゲについては自分がやられたとか見かけたとか自分の友達がやられたとか、そのレベルではなかったということなんですが、おっしゃる通りたぶん治安はかなりよかったほうだと思います。喫煙ぐらいなら時々見かけました。巣鴨キャロットみたいなところではなかったです。
別のエントリですが、健全宣言の調査、面白かったです。特に「健全」でめちゃくちゃたくさんヒットするくだりで笑ってしまいました。当時は深刻な問題だったのでしょうね。
No title
>すみません、どこかよそで書いたみたいです。
>といってもこんな頃のゲーセンの話を書き込む先が(自分にとっては)
>そんなにあちこちにあるはずもなし、普通に謎です。どこだったんだろう……。
結果(証拠)的に本サイトではないということで。ひとつ。
(高潮のさんのコメントの検索時、都築和彦先生についてコメントされていたりしたのを久々に見て笑ってしまいました。
http://ockeysprogramming.blog42.fc2.com/blog-entry-1711.html#comment)
>カツアゲについては自分がやられたとか見かけたとか自分の友達が
>やられたとか、そのレベルではなかったということなんですが、
>おっしゃる通りたぶん治安はかなりよかったほうだと思います。
>喫煙ぐらいなら時々見かけました。
>巣鴨キャロットみたいなところではなかったです。
なるほど、羨ましい地域ですね。
都心でもそんな聖地みたいなところで育っていたら、私ももっと健全にゲームを嗜んでいたかも知れないです。
>別のエントリですが、健全宣言の調査、面白かったです。
まぁ、話のタネ(というか私の興味が強かったのですが)ということで。
>特に「健全」でめちゃくちゃたくさんヒットするくだりで笑ってしまいました。
>当時は深刻な問題だったのでしょうね。
当時(1980初頭~1980中期少し後位まで)は深刻も深刻でしたね。新聞にゲームセンター(娯楽場)は「悪の巣窟」位書いてある記事とか見てましたし、義務教育までの学校では出入り禁止が常に言われていましたし、当時のドラマなどでも場末のゲームセンターは不良のたまり場的な映像が沢山ありましたしね。
しかしテレビゲームの魅力に取り憑かれていたので、私的には当然そんなのは無視でしたがw
>といってもこんな頃のゲーセンの話を書き込む先が(自分にとっては)
>そんなにあちこちにあるはずもなし、普通に謎です。どこだったんだろう……。
結果(証拠)的に本サイトではないということで。ひとつ。
(高潮のさんのコメントの検索時、都築和彦先生についてコメントされていたりしたのを久々に見て笑ってしまいました。
http://ockeysprogramming.blog42.fc2.com/blog-entry-1711.html#comment)
>カツアゲについては自分がやられたとか見かけたとか自分の友達が
>やられたとか、そのレベルではなかったということなんですが、
>おっしゃる通りたぶん治安はかなりよかったほうだと思います。
>喫煙ぐらいなら時々見かけました。
>巣鴨キャロットみたいなところではなかったです。
なるほど、羨ましい地域ですね。
都心でもそんな聖地みたいなところで育っていたら、私ももっと健全にゲームを嗜んでいたかも知れないです。
>別のエントリですが、健全宣言の調査、面白かったです。
まぁ、話のタネ(というか私の興味が強かったのですが)ということで。
>特に「健全」でめちゃくちゃたくさんヒットするくだりで笑ってしまいました。
>当時は深刻な問題だったのでしょうね。
当時(1980初頭~1980中期少し後位まで)は深刻も深刻でしたね。新聞にゲームセンター(娯楽場)は「悪の巣窟」位書いてある記事とか見てましたし、義務教育までの学校では出入り禁止が常に言われていましたし、当時のドラマなどでも場末のゲームセンターは不良のたまり場的な映像が沢山ありましたしね。
しかしテレビゲームの魅力に取り憑かれていたので、私的には当然そんなのは無視でしたがw
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不良によるカツアゲなどが横行していたのは、主に個人オペレータの店舗なのかもしれませんが、そんな中でも比較的安全に遊べたのはいわゆる駄菓子屋ゲーセンだったのでは…と個人的に思っています。
>カジュアル不良
1980年代の初頭は、ある意味そういった服装などが学生の間で流行した時代でしたね。
私の地元でも、最初はみんな普通の学ランだったりしましたが、兄がいる人や上級生と懇意にしている人はお下がりの中ランやボンタンを着てくるようになり、それに影響された人たち(私を含みます…笑)が自分で買いに行くという感じでした。
私の地元では、9割がたの中学校が坊主頭でしたが、剃り込みを入れたり眉毛を細くしたりといった極々少数の人たちは、カジュアルではなくむしろ本気の人といった感じだったので、私を含むほとんどは普通の坊主頭だったと記憶しています。(^^;
>店内が暗かった
これについて私も考えてみたのですが、ビデオゲームがゲーセンの稼ぎ頭だった時代、ペンシルビルなどの条件から窓が無いゲーセンが多かった点もあるのでは…と思いました。
あと、ペンシルビルをゲーセンの店舗にする場合、店の事務所からの死角ができやすい(間口からの通路にも筐体を設置している場合など)ということで、不良のカツアゲの格好の場となることがデメリットだったのではないでしょうか。
OKIさんが仰る通り、1990年代初頭から中盤のゲーセンが明るくなりだした時期は、大手メーカーがゲーセンのテーマパーク化(アミューズメントパーク化)に傾倒していった時期でもあり、ちょうどUFOキャッチャーやプリント倶楽部のリリースとも重なっていった時期、そしてペンシルビルのゲーセンが次第に淘汰されていく序章となった時期でもあると言えるでしょうね。
>テレビゲームはインドア系
今でこそ市民権を得ているビデオゲームですが、肩身の狭い思いをしていた時期もありましたね…
アニメ、特撮、マンガ、そしてゲームなどのインドア系趣味が総じて「オタク」と呼ばれていた頃、趣味はゲームですと言うのを憚られたあの時代…本当に辛かったのを覚えています。
今は、胸を張って「ゲーマーです!」と言えるようになったので、そういう意味では良い時代になったと思います。(^^)