次回より年賀状じまい開始
最近、昼夜が逆転しており、お昼過ぎに寝る、そして20:00位に起きるという、私の中の正常運用になってしまいました。(学生時代からこうなる。放っておくとこのサイクルになってしまう)
そのようななか、23:00位にポストを覗きに行ったら来てました。
「今年は見送った人の年賀状が…」
そのようななか、23:00位にポストを覗きに行ったら来てました。
私は11年前にココで書いているように、「毎年年賀状を受け取ると、「その日をその人から受け取った日として記録」しておき、次の年にその人には元旦、ないしは元旦以外に付くように調整している」のですが、ここ数年明らかに「私の年賀状が届いてから、出してきている。」人がチラホラ見え始め、元旦外3カウントで「翌年は一旦出さないで様子を見てみる。」というアルゴリズムでやりとしていました。
そのようなか、出さなかった人から1/3に来てしまい、1/3の夜受け取りであれば、その深夜(1/4の深夜)に投函すれば、1/4に集荷、近場であれば1/6~1/7に配達…という流れになる訳ですが、個人的にはこれでは到着が遅すぎます。可能であれば1/1に来てくれれば1/3~1/5以内に届くように手配できたのですが… う~ん…
そして"しかたなく"慌てて先程深夜のコンビニに無地&インクジェット対応の年賀はがきを買いに行ったところ、5件回って全滅…という始末。
店員さんに状況を聴いてみると、どの店も「この時代、年賀状が売れないので少量しか入荷していない&年末まであるが、1/1で売り切れる」とのことでした。
日本ではTwitterやLINE、Instagramを代表とするSNSが盛んなので、若い人は「あけおめ」の一行で済んでしまう訳で、「年賀状なんて今の時代に合わないよなぁ~」と、20年以上前から思ってはいるものの、その古いしきたりにしたがっているオッサンここにいます。
ワザワザ「紙」で「イラストを考えて」、「(人により)その人向けにメッセージを書いて」、「(今の時代家庭にあるかないかも疑問視な)プリンタ」で、「最高にコストがかかるインクを使って(プリンタが無駄にインクを消耗しようとする。またメーカーにより使わない色があっても一つでも枯渇していたら印刷すらできない)」、更に「(裏表上下の印刷失敗の可能性がある)年賀はがきの印刷」をするなんて、最高に無駄ってなものです。(昔、これに同調した人にだけビットマップで送ったこともあったけどw)
このことから、来年から段階的に「年賀状じまい」をしていこうと思います。
なお、上述の人にはメールで、年賀状を出していないことのお詫び&一足早い「年賀状じまい」を宣言しました。
「段階的」にとは思うので、これには先ず「篩に掛ける」必要があり、以下のフローで且ついずれかが真(True)になる方が対象となります。
【判定フロー】
(1) 約5年以上のオン・オフラインでセッションがない方。
(2) ここ数年の到着記録から1/3の時点で私が出した人で私のところに年賀状が
来ていない方。
(3) 個人宛メッセージすらなくテンプレート印刷(botが出したかのようなもの)の人。
(これは例え自作イラストでも。ただ刷っただけの場合はテンプレートと同様とする)
(1)がTrueなら年賀状だけの付き合いなので、メッセージ内に「年賀状じまい」宣言。Falseなら(2)へ。
(2)は到着記録から「次回はこちらから出さない」アルゴリズムも発動しつつ、来てしまったら年賀状を出してメッセージ内に「年賀状じまい」宣言。Falseなら(3)へ。
(3)は来年も元旦に年賀状を送り、メッセージ内に「年賀状じまい」宣言をしたメッセージを書く。
…という感じです。
これで出す枚数を片手位にまで一気に落とせたら御の字で、(3)までFalseになる人は、「人柄が良すぎなので、この古いしきたりを続けるしかないな…(やるな、オマエ。オマエには負けたよ…(´ー`) 俺も全力で出すよ…)」ってところです。(今でも結局5名近くいるのですが…(^^;)
ただ、このアルゴリズムで(1)がFalseになる時点で、私と近年コンタクトを取っている事になるので、そのような人なら「年賀状なんて出す必要ないんじゃねーの?」と思ってしまいます。
そう思うと、「これだけ何十年も出し続けている年賀状って、そもそもなんだろう?」って今更ながら思ったので、「年賀状 意味」で出てくる検索のトップのサイト内容に
[引用]
日ごろお世話になっている方々へ感謝の意を表し、遠方の方には新年を祝う言葉と共に変わらないお付き合いをお願いする気持ちを込めて送ります。親しい相手には結婚や出産、進学や就職等の近況報告を、仕事の関係者等には日ごろのお礼をしたためるのが一般的です。
…なんだろう。やっぱりメール、ないしビデオ電話で十分な気が…(^^ゞ
個人的には「このテの年賀状のやりとりというのは全く無駄とは思わず、古いしきたりが全て悪いとは思わない。けれど、相手の近況も分からない、敬意のかけらも感じないものなら要らないだろう…(特に上述の(3)は私というアイデンティティは相手は何一つ考慮していないという見解)」という感覚です。
これがあと10年、20年になるとお年賀が来る・来ないで「生存確認」が可能とかになるのだろうけど、たとえ逝去されたと分かっても、「付き合いが何十年もないのに、どーすりゃいいの?」とただ、年賀状を出さなくなるだけなので、上述でやろうとしていることの結果と何一つ変わらないという事実に、「やはり来年実行するお。」って気になりました。
とりあえず目標は高く、片手枚数…だ。
そのようなか、出さなかった人から1/3に来てしまい、1/3の夜受け取りであれば、その深夜(1/4の深夜)に投函すれば、1/4に集荷、近場であれば1/6~1/7に配達…という流れになる訳ですが、個人的にはこれでは到着が遅すぎます。可能であれば1/1に来てくれれば1/3~1/5以内に届くように手配できたのですが… う~ん…
そして"しかたなく"慌てて先程深夜のコンビニに無地&インクジェット対応の年賀はがきを買いに行ったところ、5件回って全滅…という始末。
店員さんに状況を聴いてみると、どの店も「この時代、年賀状が売れないので少量しか入荷していない&年末まであるが、1/1で売り切れる」とのことでした。
日本ではTwitterやLINE、Instagramを代表とするSNSが盛んなので、若い人は「あけおめ」の一行で済んでしまう訳で、「年賀状なんて今の時代に合わないよなぁ~」と、20年以上前から思ってはいるものの、その古いしきたりにしたがっているオッサンここにいます。
ワザワザ「紙」で「イラストを考えて」、「(人により)その人向けにメッセージを書いて」、「(今の時代家庭にあるかないかも疑問視な)プリンタ」で、「最高にコストがかかるインクを使って(プリンタが無駄にインクを消耗しようとする。またメーカーにより使わない色があっても一つでも枯渇していたら印刷すらできない)」、更に「(裏表上下の印刷失敗の可能性がある)年賀はがきの印刷」をするなんて、最高に無駄ってなものです。(昔、これに同調した人にだけビットマップで送ったこともあったけどw)
このことから、来年から段階的に「年賀状じまい」をしていこうと思います。
なお、上述の人にはメールで、年賀状を出していないことのお詫び&一足早い「年賀状じまい」を宣言しました。
「段階的」にとは思うので、これには先ず「篩に掛ける」必要があり、以下のフローで且ついずれかが真(True)になる方が対象となります。
【判定フロー】
(1) 約5年以上のオン・オフラインでセッションがない方。
(2) ここ数年の到着記録から1/3の時点で私が出した人で私のところに年賀状が
来ていない方。
(3) 個人宛メッセージすらなくテンプレート印刷(botが出したかのようなもの)の人。
(これは例え自作イラストでも。ただ刷っただけの場合はテンプレートと同様とする)
(1)がTrueなら年賀状だけの付き合いなので、メッセージ内に「年賀状じまい」宣言。Falseなら(2)へ。
(2)は到着記録から「次回はこちらから出さない」アルゴリズムも発動しつつ、来てしまったら年賀状を出してメッセージ内に「年賀状じまい」宣言。Falseなら(3)へ。
(3)は来年も元旦に年賀状を送り、メッセージ内に「年賀状じまい」宣言をしたメッセージを書く。
…という感じです。
これで出す枚数を片手位にまで一気に落とせたら御の字で、(3)までFalseになる人は、「人柄が良すぎなので、この古いしきたりを続けるしかないな…(やるな、オマエ。オマエには負けたよ…(´ー`) 俺も全力で出すよ…)」ってところです。(今でも結局5名近くいるのですが…(^^;)
ただ、このアルゴリズムで(1)がFalseになる時点で、私と近年コンタクトを取っている事になるので、そのような人なら「年賀状なんて出す必要ないんじゃねーの?」と思ってしまいます。
そう思うと、「これだけ何十年も出し続けている年賀状って、そもそもなんだろう?」って今更ながら思ったので、「年賀状 意味」で出てくる検索のトップのサイト内容に
[引用]
日ごろお世話になっている方々へ感謝の意を表し、遠方の方には新年を祝う言葉と共に変わらないお付き合いをお願いする気持ちを込めて送ります。親しい相手には結婚や出産、進学や就職等の近況報告を、仕事の関係者等には日ごろのお礼をしたためるのが一般的です。
…なんだろう。やっぱりメール、ないしビデオ電話で十分な気が…(^^ゞ
個人的には「このテの年賀状のやりとりというのは全く無駄とは思わず、古いしきたりが全て悪いとは思わない。けれど、相手の近況も分からない、敬意のかけらも感じないものなら要らないだろう…(特に上述の(3)は私というアイデンティティは相手は何一つ考慮していないという見解)」という感覚です。
これがあと10年、20年になるとお年賀が来る・来ないで「生存確認」が可能とかになるのだろうけど、たとえ逝去されたと分かっても、「付き合いが何十年もないのに、どーすりゃいいの?」とただ、年賀状を出さなくなるだけなので、上述でやろうとしていることの結果と何一つ変わらないという事実に、「やはり来年実行するお。」って気になりました。
とりあえず目標は高く、片手枚数…だ。
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