昔のゲームの想い出 (番外編) [0028]
《理解されない趣味》
今年から3ヶ月放送されていた「トクサツガガガ」。1話をたまたま見て、「あ~。1980年代後半から1990年中盤位までのオタク迫害状態を思い出させるアレッぽいな~」と思いつつ、全7話を楽しく見させてもらいました。
物語としては、
前半:オタクを全面的に隠す話+オタク仲間ができる話
中盤:オタク仲間で意気投合する話
後半:親にオタクを認めてもらおうとする話
という構成でしたが、中盤の特撮ヲタとアイドルヲタ(それも若干ジャニーズオタク寄り)のコラボは、ちょっと納得行かなかなったかなぁ~と。
この感覚、以前、山田玲司さんの「Bバージン」にも感じたもので、この作品のオタクというのは1980年後半のアレとは違って、「生物ヲタ」なんですよね。
○○○ヲタというのは色々あるし、根クラ・根アカもあるので、ある意味なんでもアリっちゃアリなのですが、コソコソやるのをオタクというものにして、別カテゴリーを一括りにして共存させるのは結構厳しいのでは?と個人的には思ってます。
しかし、共存できるカテゴリーがあるのも事実で、「アニメ+テレビゲーム」というのは親和性が高いと思ってます。
上述のアイドルヲタも、「声優アイドル('=.アニメ)+特撮ヲタ」なら分るのですが、「ジャニヲタ+特撮ヲタ」は、そうそう無いような気がしてたりします。(私の見解が狭いとも思いますが…)
まぁ、劇中のように「イケメン俳優が特撮に出ているから融合」なら若干分かるのですが、主人公は完全に俳優よりもキャラやセットのヲタなので、ミーハーって感じではないんですよね。それが融合するとはちょっと流れ的に無理があるかな…と。
そして前半と後半、これは良く分り共感しまくりました。
1話の掴みが良かった分、中盤に首を傾げながらも、そのまま完走して見れたという感じです。
という事で、この前半と後半部分を私の中の想い出に合わせて、書いてみようと思います。
今年から3ヶ月放送されていた「トクサツガガガ」。1話をたまたま見て、「あ~。1980年代後半から1990年中盤位までのオタク迫害状態を思い出させるアレッぽいな~」と思いつつ、全7話を楽しく見させてもらいました。
物語としては、
前半:オタクを全面的に隠す話+オタク仲間ができる話
中盤:オタク仲間で意気投合する話
後半:親にオタクを認めてもらおうとする話
という構成でしたが、中盤の特撮ヲタとアイドルヲタ(それも若干ジャニーズオタク寄り)のコラボは、ちょっと納得行かなかなったかなぁ~と。
この感覚、以前、山田玲司さんの「Bバージン」にも感じたもので、この作品のオタクというのは1980年後半のアレとは違って、「生物ヲタ」なんですよね。
○○○ヲタというのは色々あるし、根クラ・根アカもあるので、ある意味なんでもアリっちゃアリなのですが、コソコソやるのをオタクというものにして、別カテゴリーを一括りにして共存させるのは結構厳しいのでは?と個人的には思ってます。
しかし、共存できるカテゴリーがあるのも事実で、「アニメ+テレビゲーム」というのは親和性が高いと思ってます。
上述のアイドルヲタも、「声優アイドル('=.アニメ)+特撮ヲタ」なら分るのですが、「ジャニヲタ+特撮ヲタ」は、そうそう無いような気がしてたりします。(私の見解が狭いとも思いますが…)
まぁ、劇中のように「イケメン俳優が特撮に出ているから融合」なら若干分かるのですが、主人公は完全に俳優よりもキャラやセットのヲタなので、ミーハーって感じではないんですよね。それが融合するとはちょっと流れ的に無理があるかな…と。
そして前半と後半、これは良く分り共感しまくりました。
1話の掴みが良かった分、中盤に首を傾げながらも、そのまま完走して見れたという感じです。
という事で、この前半と後半部分を私の中の想い出に合わせて、書いてみようと思います。
【オタク迫害】
私が「オタク」という言葉を聴き始めたのは、1980年中盤位に(アニメ・ゲーム)雑誌や漫画などからで、「へぇ~。相手の事を『おたく(あなた)』と呼ぶ意味から言うんだ~。名前で呼ばない人がいるんだな。」というものでした。
意味的には「マニア」「フリーク」に近く、この時点で既にこの言葉を使っていた私としては結構違和感があり、大体「ゲームマニア」と言っていたのですが、1988年のアノ事件により、当時のカルチャーから、「ロリコン=美少女アニメ=テレビゲーム」が全て一括りにされ、1990年に「趣味はテレビゲームです。」と言った時には、「えっ?OKIってオタクなの?」「オマエ、宮崎系?」などと言われたものです。
テレビゲームがオタクに括られたのは、テレビゲームに「アニメで出てくるような美少女が頻繁に登場してき始めた時代(+エロゲーも徐々に盛んになってきた時代)」だったので同類と思われたのだと思います。それ以前のテレビゲームは「勉強しないモヤシっ子が遊ぶ物」だったり、アーケードに至っては「ゲームセンターは不良の溜り場」と言われた位のものだったので、たった数年で一気に「根暗が美少女にハアハア」するようなものに変化した感じに当時は思ったものです。私も美少女キャラとか恥かしくて使わなかったし!
加えてアノ事件によって1989~1991年位までは、ゾンビ映画と並んでいた猟奇系映画がレンタルビデオ屋から一気に消えたのも印象深かったです。(当時は友人が小さな裏ビデオ屋と一緒に裏で借りてこないと見れなかった程、大きなレンタルビデオ屋からタイトルが消えていた程です)
今現在過去を振り返ると、エニックスの黒歴史(笑)「ロリータ・シンドローム」などが、これに近かったので、テレビゲームがアノ事件で括られるトリガーになってもしかた無いかなぁ~とも思います。(当時このゲームを雑誌で見ていましたが、「何故こんなにも猟奇的なのか理解に苦しんで見てました。」)
これにより、私も1990年代前半は会社では隠れキリシタンならぬ、隠れオタクをやっていました。オタク迫害(・A・)イクナイ!!
しかし、中には職場でも「オタクを周囲に表明をしている人」もいて、そのような人が高性能ヲタクニオイセンサーで私をキャッチし、私に声をかけてくれたりして(トクサツガガガでいうところの「トライガーの人」ばりに私に声をかけたかったらしいw)、その後は職場でも一緒にゲームを楽しんだ事もあるので、類友ができると密な交流ができる事も事実だったりします。
話の論点がズレますが、1980年頭は上述の「ゲームセンターは不良の溜り場」の時代、学校の夏休みに入る直前「娯楽場では遊ばないように。」と先生が言うと、即クラスメートの数人が「OKI~、おまえゲームセンター行ってんじゃねーよー」とか、先生も「先生も噂はよく聞いている。OKI、ゲームセンターで遊ぶんじゃないぞ。」とバッシングされたものです。
テレビゲームは悪くない!テレビゲーム迫害(・A・)イクナイ!!
【親にテレビゲームを認めてもらえない】
これはR40~R50… いや、今でもR10でテレビゲームをプレーする事を禁止されている家庭があった(ある)のを知っています。これは、その親の時代的背景や育ち・教育から発生しているもので、「子供にはテレビゲームを遊ばせない」という教育方針により、ゲームで遊ぶ事を禁止されているといったものです。
何人かのテレビゲームを禁止した親の意見を鵜呑みにすると、ゲームをプレーする事に対して「バカになる」「中毒性がある」「不良になる」「社会不適合者になる」と、極論ではあるものの「的は得ている」発言をしています。
「自分の子供がこれらに当てハマると困る」という考えです。
しかし、私が知っている人(両手で数えられる程度ですが)は、テレビゲームを禁止されていても、結局は違う要因で「親が困る結果」になっていたりするので、「過剰に禁止するのはいかがものか」と思っています。
これまで聴いた事のあるテレビゲーム関連に禁止に関する事項には、
(1) テレビゲーム自体を買ってもらえない。(購入・プレー禁止)
(2) テレビゲームを持っている友人と遊んではいけない。(交流・プレー禁止)
(3) ゲームセンター入場禁止。(入場・プレー禁止)
(4) テレビゲームは1日n時間まで。(時間制限)
(5) テレビゲームをプレーしすぎるとアダプターを隠される。(プレー禁止)
といったものがあり、当時これらを友人達から聴くと、「どれだけ酷い親なんだ…」と怒りを覚えたものです。
逆に「テレビゲームを親が買ってくる」「親が一緒にプレーする」「親の方がゲームにハマる」といった家庭の話を聴くと、「どれだけアットホームな親なんだ…」と思ったりもしました。(これはどろラッコ家の事だったり)
上述の(1)や(2)は、私の身近ではY田家の母親の教育方針がソレで、テレビゲーム(ジャンルは広くゲーム&ウオッチ込み)を買ってもらえなかったY田くんは、(1)の影響で友人がゲームを買うと、その家に行って(行った事は親には言わない)ゲームを堪能していました。(その影響もあって、私の家によく遊びにきてました)
ある日、公園でゲーム&ウオッチの「ドンキーコング」を遊んでいた年下の友人にソレを遊ばせてもらった事があったのですが、その子のゲーム&ウオッチの電池が切れるまで遊んでしまい、友人達に「○○○くんのゲームの新品の電池が切れるまで、一人で遊びやがって!この貧乏人!」と数人からバッシングに受けていたのを見た事がありました。ゲームを禁止されていた分、その魅力的なゲームは友人の電池が切れてしまう程、楽しかったのだと思います。これを禁止するなんて、本当に彼の母親をクソ親だと今でも思ってます。
また、(2)に関しては私も被害にあいました。
【Y田家「OKIくんと遊ぶな」事件】
私は近所…いや、学校で有名(?)なテレビゲーム好きだったため、親の間でも私がゲームバカだった事が知られていました。当時ゲームセンターに堂々と行く子というのはクラスメートでは私しかおらず、近所では親にノビノビ育ててもらっていたO滝先輩とゲーメストの彼の幼馴染み2人がいたので(皆学年バラバラ)、ツルんでゲームセンターに行けていた分、私に近づけばテレビゲームの事が知れる&一緒に連れってもらえるという考えで、人が寄ってきました。(このお陰でO滝先輩やゲーメストの彼は私の友人と知り合いになったケースが多々あったという不思議な関係になっていました。もちろんY田も彼らと知り合いになったその一人です)
私がスプリンガーにハマっていた頃も、彼は「僕もゲームセンターに行きたい!」と一緒に行きたがるのですが、以前彼を連れて遊びに行こうと家に行った時、彼の母親に「アンタ、どーせゲームセンターに行くよね? 行くんだろ? 行かないハズがない。 行くに決っている!」位の事を言われ、遊びに行くのを拒否られた事がありました。
私もウソを言う気がなかったので、「行くよ。なんで行っちゃ行けないの?」と言うと、「勉強もしないで、そんな事ばっかりしているとバカになるだけ。」と言われたりしました。今思うと間違ってはいないのですが、当時は子供心ながらに凄く悔しかったトラウマがあります。
その4年後、学校の駅伝大会があるため、20:00位から近所で走り込み練習をしようと、クラスメートのまこくんと練習を一緒にする話になり、その話にY田が「僕も一緒に練習したい。」と言ってきたので、「Y田の家って、夜に外に出るとかウルサイんじゃなかったっけ?」という問いに、「大丈夫。抜け出すから。」と、悪い事をしている訳でもないのに、何故「抜け出す」とかになるんだろ…と思いつつ、その日の夜にまこくんと合流して、走り込みを始めました。
少し走り込んだところ、
まこ:「△△△(Y田の名前)、やっぱり来ないね。」
OKI:「まぁ、いつもの約束破りかもしれないしね。
(彼は恐しい程ドタキャンをする悪癖がある)」
と少し走り込んでいたところ、「呼びに行こうよ。」とまこくんが言うので、「え~。俺嫌だよ。あそこのババア俺の事大嫌いだし、平気で人前で怒鳴るヒステリーババアだもん。」と拒否ったところ、「じゃぁ、俺が呼びに行くよ。」とまこくんが呼び出す事になりました。
まこくんはY田の親戚で、その流れもあってY田の母親とは普通に接しているとの事でした。
Y田の家の玄関から10m位近付いたところで、「じゃぁ、俺は玄関後ろの草むらに隠れているから、うまく呼び出して。」とまこくんにミッションを依頼しようとしたところ、彼の家の玄関の電気がパッと灯きました。
「あれっ? もしかして、抜け出そうとしているのか?」と二人で目を合わせ、少し様子を見る事に。
その1分後に再び電気が消えました。「あれれ?」と思った矢先に「玄関の戸が静かに開き始めました。」、二人して「やっぱり抜け出して来るんだ。さっきの電気は靴の位置を確認してたのかな…」と様子を見ていると、再び玄関の電気が灯いたと思った矢先に、
「△△△っ!あんたどこ行くの!!!」
と空気をつんざく怒鳴り声が。
「あちゃ~。見つかったのか…」と、二人して溜息をつき、まこくんが「よし、俺が説得してくるよ。」と玄関に向いました。
私は玄関裏の茂みで様子見です。
まこ:「こんばんは~」
ババア:「まこちゃん、こんな時間にどうしたの?」
まこ:「△△△を迎えに来ました。」
ババア:「迎えに来ましたって、どこに行くの?何をするの?」
まこ:「これから来週の駅伝大会の練習で近所を走る約束してたんです。」
ババア:「こんな時間から!?8時過ぎてるよ。」
まこ:「時間調整して、都合が良い時間がこの時間になったんです。」
ババア:「まこちゃんと二人で走るの?」
まこ:「いえ、OKIくんもいるので3人です。」
OKI:「(バッ、まこくん何言ってんだよ!)」
ババア:「OKIくん~~~~~」
ババアの顔が般若のような顔にメタモルフォーゼしました。
ババア:「OKIくんと遊ぶのっ!?」
まこ:「いえ、3人で走り込みの練習です!」
ババア:「嘘おっしゃい!!
あの子がいるんだから、どーせゲームセンターよ!!
走り込みなんてウソ!!
これからゲームセンターに行くんでしょ!!」
まこ:「行きませんよ~!」
ババア:「五月蝿い!!OKIくんなんかと遊ぶなー!!!」
まこ:「分りました。今日は2人で走り込みます。△△△また今度な!」
…すごすごと戻ってきたまこくん。
OKI:「ダメだよ、まこくん。あのババアに俺の名前はNGだって。」
まこ:「あそこまで毛嫌いするってスゴくない?OKIくん何したんだよ。」
OKI:「なんもしてねーって。俺=ゲーム=悪っていう方程式なんだよ。」
まこ:「すげーな~。そんな考え方ってあるの?」
OKI:「ある家にはあるんだろ。まこくん家みたいにゲームを容認する家も
あれば、Y田の家みたいなのもあるってことだよ。」
まこ:「いや、でも『OKIくんと遊ぶな』は酷いよ。」
OKI:「まーなー。俺が側にいた事も知らずになw
まぁ、居ても言いそうだけどな、あのババアなら。」
という会話をして、まこくんと二人で練習をしました。
「テレビゲームが嫌いな家庭」はこれくらい言ってくるという想い出だったりします。
【「筐体購入グーパン」事件】
私がテーブル筐体を買った事から、Y田が私の家に来ては、筐体について質問をしてくるようになりました。
「幾らで買えるの?」「扱うの難しいの?」など、90年代に入って「自宅をゲーセンにする」と、皆がワクワクしていた頃のあの状態です。
1990年の春、Y田が数年悩みに悩み、掘っ建て小屋のようなゲームセンターから筐体を買いました。基板は彼が好きな「ソロモンの鍵」です。彼は親の目を盗んではゲームセンターに行き、ソロモンの鍵を30面(スパイダーマンが初めて出る面)まで進める事ができた、思い入れのあるゲームです。2人でプレーすると、私が30面位で1機死んで、彼が初めて1面をプレーするので、2人で最低3時間は筐体を掴んでしまったゲームだったりします。ちなみに彼は結局クリアできないまま今に至りますw
「OKIくん!筐体買ったんだけど、ちょっと見に来て。」と言うので、「へぇ~買ったんだ。」と思い、「ん? 今オバサンって家に居るの?」との問いに、「いま出掛けている。」との事で、休日の昼間に彼の家に行く事に。
この頃は彼との付き合いがかなり薄くなっていたのと、彼もバイトを幾つかやってて、親から見ても大人になってきたという見解もあったのか、家にファミリーコンピュータが置いてあったり、私がたまに彼の家に電話して、彼のオカンが電話を取ってしまっても、普通に取り次いでくれる程度の距離になっていました。(以前は、私だと分かると電話を切られてたりしたので、基本的にこちらからかけないようにしたり、連絡があってこちらからかける必要がある場合は彼のオカンいない日中の時間を狙ったりと気を使っていた)
しかし、私的には『Y田家にはOKIくんと遊ぶな』の掟がある事から、基本的に彼の家に行くのには抵抗がありました。親が居ない時を見計らって、たまに会いに行っていた程度の付き合いになっていました。
彼の部屋は2階にあり、18インチモニターテーブル筐体もそこにありました。(18インチが良いという話を彼にしていたので、それを選んだのだと思われる)
電源がまだ入っていない筐体に、「おぉ~。結構綺麗な筐体じゃない。焼き付きも無さげだし。」と、ソロモンの鍵を起動してもらったところ、
「画面がボケボケの状態」
でした。
「んっ!? なんでコレ、こんなにピントが合ってないの?」との問いに、「分からないんだ。だからOKIくんに見てもらうと思って。」
「(なんだよ、そーいうことかー)」と、最近会ってなかったので、なんで呼ばれたか分かったものの、同じ筐体仲間が増えるのは良いな…と思い、筐体を開きながら話を始めました。
OKI:「これ、いつ買ったの?」
Y田:「今日。」
OKI:「へぇ~。じゃぁ、さっき届いたんだ?」
Y田:「うん。」
OKI:「へぇ~。買って直ぐに調子悪かったから、俺を呼んだんだね…」
OKI:「……ん? この筐体を買った事って、オバサンは知ってるの?」
Y田:「まだ…」
OKI:「えっ!? 筐体買うのに理解あるの?」
…と、質問をした矢先に… 凄い勢いで「ドン!ドン!ドン!」と階段を駆け上がってくる音が…
「ガチャッ!」と彼の部屋を開けた母親が、その光景を見て取った行動は…
ババア:「…ナニコレ、ナニコレ…(目を疑う光景を見ているような小声)」
ババア:「ナニコレ!!ナニコレ!!(顔が般若になり、怒号に近い声)」
ババア:「△△△ぁ~!!!」
と雄叫びを上げると共に、Y田に向って『顔面をグーパン』で殴りつけてきました。
女性が男性をグーパンで殴り、人がフッ飛ぶところを見たのは、後にも先にもこれが最初で最後の光景(今のところ)でした。
フッ飛んで壁に打ち付けられるY田。その光景は物凄くスローモーションに感じ且つリフレインしました。
感覚で言うと、「カメラアングルが3回変って敵が死ぬシーン」… ゲームでいうと「影牢」で3連コンボをキメた時のようなシーンのようでした。
トクサツガガガのビンタなんてまだカワイイものです。
Y田は殴られたほっぺたを押えたまま無言、そこに間髪入れずにババアが、
ババア:「なんなのぉ~コレはっ!!!
なんでこんなものがウチにあるのよぉ~!!!
あなたがこ・こ・ま・で・バ・カだったなんて思わなかったわぁ~!!!」
と叫び、
ババア:「おとーーーさーーーーん!!!
おとーーーさーーーーん!!!ちょっと来てーーー!!!」
と援軍を呼び出しました。
彼の父親は、彼に無関心(で且つ、ちょっと♀好きのクズ)なとこがあって、彼のやる事に口出しはしないキャラなのですが、
父親:「なんだぁ~。大声で。
おっ?なんだコレ、こんなの買ったんだ。」
ババア:「そーなのよー!おとうさんからも何か言ってやって!!」
父親:「いやぁ、コレ、重いんじゃないの?ここに置いてて平気なの?」
ババア:「そんな事じゃないでしょ!ゲーム台よ!!
こんなもの買うなんて信じられない!!!」
と一人で喚き散らしていました。そして怒りで部屋を出て行く際の捨てゼリフが。
ババア:「いい、△△△。
今日中にこれを捨てなさい。捨てないとオマエを捨てるからね。」
OKI:「(えぇ~!そこまで…)」
と、下の階に「ドン!ドン!ドン」と降りて行きました。
父親は「こういうの買うなら、相談しなきゃダメだぞ。」と一言言って降りて行きました。
半べそのY田を見るのが居たたまれなり、「Y田、俺帰るね…」と言って、そのまま帰りました。
何故、彼が筐体を買ったのを彼の母親が察知したのか不明ですが、私が家に来てから30分位内の出来事でした。
後から聴いた話では、結局筐体はボヤけたまま使われず、当日ではなかったものの、後日処分をしたとの事でした。
(勿体無い… けれど、私の部屋は手狭だったので、受け取る訳には行かなかった)
その後、Y田も強かで、基板だけを買っては、私の家や他の筐体を買い始めた友人の家で遊ぶようになりました。
私の家では「ソロモンの鍵」「メルヘンメイズ」「アテナ」「フェアリーランドストーリー」などを持ち込んでは遊んでいました。
その数年後にこれら基板を燃えるゴミに出したと知って、私は愕然としたという…(-_-;
◇ ◇ ◇
テレビゲームを禁止されている家庭… なぜここまでに理解されないのか、本当に不思議でなりません。
「親がテレビゲームに殺されでもしたのか?」と思ったりしますが、そんな糞な教育を受けてこなかったので、一生理解できないと思っています。
子供がバカになったっていいじゃない。その人の人生なんだし。最初に「その趣味をやると何故ダメになる」のか、その親の価値観で教えてあげ、禁止するのではなく、「自分で理解させないと」。そして、もしそれを本人が後から後悔したら、「その理由は教えてあげたから分ってるよね。」と言ってあげるだけで良いと思うんだけどな。逆に幼少の頃にそれを禁止にしてしまい、「当時、僕は遊べなかったから、今死ぬ程遊んでるんだー!」と恨み節で親にブツけられても(それも場合により、社会不適合になってしまっても)、困るだけだじゃないの?…と思ったりします。
世の中にはダイバーシティってものもあるし、オタク趣味ばっかりやってたら、それのエキスパートになる人(会社を興したり)もいる訳だし、それを一概に「悪い」なんて決めつけるのも如何なものかと思います。
何かを抑制というのは負のエネルギーも蓄積するって事を理解しない親は『返ってその親の方がバカ』だと思うポリシーを持ってたりします。

大事なものを処分(壊)される時の負のパワーは
親子の絆すらブチ破る瞬発力がある。
◇ ◇ ◇
2000年過ぎた頃にはテレビゲームは子供の遊びの筆頭に立ち、2000年後半にはCMでも家族で爽やかにWiiをプレーしている光景も見れて、確固たる地位を得た今となっては、「テレビゲームを一切やるな。」は、ほぼなくなったかなぁ~と、良い時代になったとシミジミします。
さて、私も勉強をしないで、時間泥棒の「ドラゴンクエストビルダーズ2」をプレーするかな。
(先日まで1のチャレンジをクリアしていたので、昨晩からやっと始めた)
私が「オタク」という言葉を聴き始めたのは、1980年中盤位に(アニメ・ゲーム)雑誌や漫画などからで、「へぇ~。相手の事を『おたく(あなた)』と呼ぶ意味から言うんだ~。名前で呼ばない人がいるんだな。」というものでした。
意味的には「マニア」「フリーク」に近く、この時点で既にこの言葉を使っていた私としては結構違和感があり、大体「ゲームマニア」と言っていたのですが、1988年のアノ事件により、当時のカルチャーから、「ロリコン=美少女アニメ=テレビゲーム」が全て一括りにされ、1990年に「趣味はテレビゲームです。」と言った時には、「えっ?OKIってオタクなの?」「オマエ、宮崎系?」などと言われたものです。
テレビゲームがオタクに括られたのは、テレビゲームに「アニメで出てくるような美少女が頻繁に登場してき始めた時代(+エロゲーも徐々に盛んになってきた時代)」だったので同類と思われたのだと思います。それ以前のテレビゲームは「勉強しないモヤシっ子が遊ぶ物」だったり、アーケードに至っては「ゲームセンターは不良の溜り場」と言われた位のものだったので、たった数年で一気に「根暗が美少女にハアハア」するようなものに変化した感じに当時は思ったものです。私も美少女キャラとか恥かしくて使わなかったし!
加えてアノ事件によって1989~1991年位までは、ゾンビ映画と並んでいた猟奇系映画がレンタルビデオ屋から一気に消えたのも印象深かったです。(当時は友人が小さな裏ビデオ屋と一緒に裏で借りてこないと見れなかった程、大きなレンタルビデオ屋からタイトルが消えていた程です)
今現在過去を振り返ると、エニックスの黒歴史(笑)「ロリータ・シンドローム」などが、これに近かったので、テレビゲームがアノ事件で括られるトリガーになってもしかた無いかなぁ~とも思います。(当時このゲームを雑誌で見ていましたが、「何故こんなにも猟奇的なのか理解に苦しんで見てました。」)
これにより、私も1990年代前半は会社では隠れキリシタンならぬ、隠れオタクをやっていました。オタク迫害(・A・)イクナイ!!
しかし、中には職場でも「オタクを周囲に表明をしている人」もいて、そのような人が高性能ヲタクニオイセンサーで私をキャッチし、私に声をかけてくれたりして(トクサツガガガでいうところの「トライガーの人」ばりに私に声をかけたかったらしいw)、その後は職場でも一緒にゲームを楽しんだ事もあるので、類友ができると密な交流ができる事も事実だったりします。
話の論点がズレますが、1980年頭は上述の「ゲームセンターは不良の溜り場」の時代、学校の夏休みに入る直前「娯楽場では遊ばないように。」と先生が言うと、即クラスメートの数人が「OKI~、おまえゲームセンター行ってんじゃねーよー」とか、先生も「先生も噂はよく聞いている。OKI、ゲームセンターで遊ぶんじゃないぞ。」とバッシングされたものです。
テレビゲームは悪くない!テレビゲーム迫害(・A・)イクナイ!!
【親にテレビゲームを認めてもらえない】
これはR40~R50… いや、今でもR10でテレビゲームをプレーする事を禁止されている家庭があった(ある)のを知っています。これは、その親の時代的背景や育ち・教育から発生しているもので、「子供にはテレビゲームを遊ばせない」という教育方針により、ゲームで遊ぶ事を禁止されているといったものです。
何人かのテレビゲームを禁止した親の意見を鵜呑みにすると、ゲームをプレーする事に対して「バカになる」「中毒性がある」「不良になる」「社会不適合者になる」と、極論ではあるものの「的は得ている」発言をしています。
「自分の子供がこれらに当てハマると困る」という考えです。
しかし、私が知っている人(両手で数えられる程度ですが)は、テレビゲームを禁止されていても、結局は違う要因で「親が困る結果」になっていたりするので、「過剰に禁止するのはいかがものか」と思っています。
これまで聴いた事のあるテレビゲーム関連に禁止に関する事項には、
(1) テレビゲーム自体を買ってもらえない。(購入・プレー禁止)
(2) テレビゲームを持っている友人と遊んではいけない。(交流・プレー禁止)
(3) ゲームセンター入場禁止。(入場・プレー禁止)
(4) テレビゲームは1日n時間まで。(時間制限)
(5) テレビゲームをプレーしすぎるとアダプターを隠される。(プレー禁止)
といったものがあり、当時これらを友人達から聴くと、「どれだけ酷い親なんだ…」と怒りを覚えたものです。
逆に「テレビゲームを親が買ってくる」「親が一緒にプレーする」「親の方がゲームにハマる」といった家庭の話を聴くと、「どれだけアットホームな親なんだ…」と思ったりもしました。(これはどろラッコ家の事だったり)
上述の(1)や(2)は、私の身近ではY田家の母親の教育方針がソレで、テレビゲーム(ジャンルは広くゲーム&ウオッチ込み)を買ってもらえなかったY田くんは、(1)の影響で友人がゲームを買うと、その家に行って(行った事は親には言わない)ゲームを堪能していました。(その影響もあって、私の家によく遊びにきてました)
ある日、公園でゲーム&ウオッチの「ドンキーコング」を遊んでいた年下の友人にソレを遊ばせてもらった事があったのですが、その子のゲーム&ウオッチの電池が切れるまで遊んでしまい、友人達に「○○○くんのゲームの新品の電池が切れるまで、一人で遊びやがって!この貧乏人!」と数人からバッシングに受けていたのを見た事がありました。ゲームを禁止されていた分、その魅力的なゲームは友人の電池が切れてしまう程、楽しかったのだと思います。これを禁止するなんて、本当に彼の母親をクソ親だと今でも思ってます。
また、(2)に関しては私も被害にあいました。
【Y田家「OKIくんと遊ぶな」事件】
私は近所…いや、学校で有名(?)なテレビゲーム好きだったため、親の間でも私がゲームバカだった事が知られていました。当時ゲームセンターに堂々と行く子というのはクラスメートでは私しかおらず、近所では親にノビノビ育ててもらっていたO滝先輩とゲーメストの彼の幼馴染み2人がいたので(皆学年バラバラ)、ツルんでゲームセンターに行けていた分、私に近づけばテレビゲームの事が知れる&一緒に連れってもらえるという考えで、人が寄ってきました。(このお陰でO滝先輩やゲーメストの彼は私の友人と知り合いになったケースが多々あったという不思議な関係になっていました。もちろんY田も彼らと知り合いになったその一人です)
私がスプリンガーにハマっていた頃も、彼は「僕もゲームセンターに行きたい!」と一緒に行きたがるのですが、以前彼を連れて遊びに行こうと家に行った時、彼の母親に「アンタ、どーせゲームセンターに行くよね? 行くんだろ? 行かないハズがない。 行くに決っている!」位の事を言われ、遊びに行くのを拒否られた事がありました。
私もウソを言う気がなかったので、「行くよ。なんで行っちゃ行けないの?」と言うと、「勉強もしないで、そんな事ばっかりしているとバカになるだけ。」と言われたりしました。今思うと間違ってはいないのですが、当時は子供心ながらに凄く悔しかったトラウマがあります。
その4年後、学校の駅伝大会があるため、20:00位から近所で走り込み練習をしようと、クラスメートのまこくんと練習を一緒にする話になり、その話にY田が「僕も一緒に練習したい。」と言ってきたので、「Y田の家って、夜に外に出るとかウルサイんじゃなかったっけ?」という問いに、「大丈夫。抜け出すから。」と、悪い事をしている訳でもないのに、何故「抜け出す」とかになるんだろ…と思いつつ、その日の夜にまこくんと合流して、走り込みを始めました。
少し走り込んだところ、
まこ:「△△△(Y田の名前)、やっぱり来ないね。」
OKI:「まぁ、いつもの約束破りかもしれないしね。
(彼は恐しい程ドタキャンをする悪癖がある)」
と少し走り込んでいたところ、「呼びに行こうよ。」とまこくんが言うので、「え~。俺嫌だよ。あそこのババア俺の事大嫌いだし、平気で人前で怒鳴るヒステリーババアだもん。」と拒否ったところ、「じゃぁ、俺が呼びに行くよ。」とまこくんが呼び出す事になりました。
まこくんはY田の親戚で、その流れもあってY田の母親とは普通に接しているとの事でした。
Y田の家の玄関から10m位近付いたところで、「じゃぁ、俺は玄関後ろの草むらに隠れているから、うまく呼び出して。」とまこくんにミッションを依頼しようとしたところ、彼の家の玄関の電気がパッと灯きました。
「あれっ? もしかして、抜け出そうとしているのか?」と二人で目を合わせ、少し様子を見る事に。
その1分後に再び電気が消えました。「あれれ?」と思った矢先に「玄関の戸が静かに開き始めました。」、二人して「やっぱり抜け出して来るんだ。さっきの電気は靴の位置を確認してたのかな…」と様子を見ていると、再び玄関の電気が灯いたと思った矢先に、
と空気をつんざく怒鳴り声が。
「あちゃ~。見つかったのか…」と、二人して溜息をつき、まこくんが「よし、俺が説得してくるよ。」と玄関に向いました。
私は玄関裏の茂みで様子見です。
まこ:「こんばんは~」
ババア:「まこちゃん、こんな時間にどうしたの?」
まこ:「△△△を迎えに来ました。」
ババア:「迎えに来ましたって、どこに行くの?何をするの?」
まこ:「これから来週の駅伝大会の練習で近所を走る約束してたんです。」
ババア:「こんな時間から!?8時過ぎてるよ。」
まこ:「時間調整して、都合が良い時間がこの時間になったんです。」
ババア:「まこちゃんと二人で走るの?」
まこ:「いえ、OKIくんもいるので3人です。」
OKI:「(バッ、まこくん何言ってんだよ!)」
ババア:「OKIくん~~~~~」
ババアの顔が般若のような顔にメタモルフォーゼしました。
ババア:「OKIくんと遊ぶのっ!?」
まこ:「いえ、3人で走り込みの練習です!」
ババア:「嘘おっしゃい!!
あの子がいるんだから、どーせゲームセンターよ!!
走り込みなんてウソ!!
これからゲームセンターに行くんでしょ!!」
まこ:「行きませんよ~!」
ババア:「五月蝿い!!OKIくんなんかと遊ぶなー!!!」
まこ:「分りました。今日は2人で走り込みます。△△△また今度な!」
…すごすごと戻ってきたまこくん。
OKI:「ダメだよ、まこくん。あのババアに俺の名前はNGだって。」
まこ:「あそこまで毛嫌いするってスゴくない?OKIくん何したんだよ。」
OKI:「なんもしてねーって。俺=ゲーム=悪っていう方程式なんだよ。」
まこ:「すげーな~。そんな考え方ってあるの?」
OKI:「ある家にはあるんだろ。まこくん家みたいにゲームを容認する家も
あれば、Y田の家みたいなのもあるってことだよ。」
まこ:「いや、でも『OKIくんと遊ぶな』は酷いよ。」
OKI:「まーなー。俺が側にいた事も知らずになw
まぁ、居ても言いそうだけどな、あのババアなら。」
という会話をして、まこくんと二人で練習をしました。
「テレビゲームが嫌いな家庭」はこれくらい言ってくるという想い出だったりします。
【「筐体購入グーパン」事件】
私がテーブル筐体を買った事から、Y田が私の家に来ては、筐体について質問をしてくるようになりました。
「幾らで買えるの?」「扱うの難しいの?」など、90年代に入って「自宅をゲーセンにする」と、皆がワクワクしていた頃のあの状態です。
1990年の春、Y田が数年悩みに悩み、掘っ建て小屋のようなゲームセンターから筐体を買いました。基板は彼が好きな「ソロモンの鍵」です。彼は親の目を盗んではゲームセンターに行き、ソロモンの鍵を30面(スパイダーマンが初めて出る面)まで進める事ができた、思い入れのあるゲームです。2人でプレーすると、私が30面位で1機死んで、彼が初めて1面をプレーするので、2人で最低3時間は筐体を掴んでしまったゲームだったりします。ちなみに彼は結局クリアできないまま今に至りますw
「OKIくん!筐体買ったんだけど、ちょっと見に来て。」と言うので、「へぇ~買ったんだ。」と思い、「ん? 今オバサンって家に居るの?」との問いに、「いま出掛けている。」との事で、休日の昼間に彼の家に行く事に。
この頃は彼との付き合いがかなり薄くなっていたのと、彼もバイトを幾つかやってて、親から見ても大人になってきたという見解もあったのか、家にファミリーコンピュータが置いてあったり、私がたまに彼の家に電話して、彼のオカンが電話を取ってしまっても、普通に取り次いでくれる程度の距離になっていました。(以前は、私だと分かると電話を切られてたりしたので、基本的にこちらからかけないようにしたり、連絡があってこちらからかける必要がある場合は彼のオカンいない日中の時間を狙ったりと気を使っていた)
しかし、私的には『Y田家にはOKIくんと遊ぶな』の掟がある事から、基本的に彼の家に行くのには抵抗がありました。親が居ない時を見計らって、たまに会いに行っていた程度の付き合いになっていました。
彼の部屋は2階にあり、18インチモニターテーブル筐体もそこにありました。(18インチが良いという話を彼にしていたので、それを選んだのだと思われる)
電源がまだ入っていない筐体に、「おぉ~。結構綺麗な筐体じゃない。焼き付きも無さげだし。」と、ソロモンの鍵を起動してもらったところ、
でした。
「んっ!? なんでコレ、こんなにピントが合ってないの?」との問いに、「分からないんだ。だからOKIくんに見てもらうと思って。」
「(なんだよ、そーいうことかー)」と、最近会ってなかったので、なんで呼ばれたか分かったものの、同じ筐体仲間が増えるのは良いな…と思い、筐体を開きながら話を始めました。
OKI:「これ、いつ買ったの?」
Y田:「今日。」
OKI:「へぇ~。じゃぁ、さっき届いたんだ?」
Y田:「うん。」
OKI:「へぇ~。買って直ぐに調子悪かったから、俺を呼んだんだね…」
OKI:「……ん? この筐体を買った事って、オバサンは知ってるの?」
Y田:「まだ…」
OKI:「えっ!? 筐体買うのに理解あるの?」
…と、質問をした矢先に… 凄い勢いで「ドン!ドン!ドン!」と階段を駆け上がってくる音が…
「ガチャッ!」と彼の部屋を開けた母親が、その光景を見て取った行動は…
ババア:「…ナニコレ、ナニコレ…(目を疑う光景を見ているような小声)」
ババア:「ナニコレ!!ナニコレ!!(顔が般若になり、怒号に近い声)」
ババア:「△△△ぁ~!!!」
と雄叫びを上げると共に、Y田に向って『顔面をグーパン』で殴りつけてきました。
女性が男性をグーパンで殴り、人がフッ飛ぶところを見たのは、後にも先にもこれが最初で最後の光景(今のところ)でした。
フッ飛んで壁に打ち付けられるY田。その光景は物凄くスローモーションに感じ且つリフレインしました。
感覚で言うと、「カメラアングルが3回変って敵が死ぬシーン」… ゲームでいうと「影牢」で3連コンボをキメた時のようなシーンのようでした。
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Y田は殴られたほっぺたを押えたまま無言、そこに間髪入れずにババアが、
ババア:「なんなのぉ~コレはっ!!!
なんでこんなものがウチにあるのよぉ~!!!
あなたがこ・こ・ま・で・バ・カだったなんて思わなかったわぁ~!!!」
と叫び、
ババア:「おとーーーさーーーーん!!!
おとーーーさーーーーん!!!ちょっと来てーーー!!!」
と援軍を呼び出しました。
彼の父親は、彼に無関心(で且つ、ちょっと♀好きのクズ)なとこがあって、彼のやる事に口出しはしないキャラなのですが、
父親:「なんだぁ~。大声で。
おっ?なんだコレ、こんなの買ったんだ。」
ババア:「そーなのよー!おとうさんからも何か言ってやって!!」
父親:「いやぁ、コレ、重いんじゃないの?ここに置いてて平気なの?」
ババア:「そんな事じゃないでしょ!ゲーム台よ!!
こんなもの買うなんて信じられない!!!」
と一人で喚き散らしていました。そして怒りで部屋を出て行く際の捨てゼリフが。
ババア:「いい、△△△。
今日中にこれを捨てなさい。捨てないとオマエを捨てるからね。」
OKI:「(えぇ~!そこまで…)」
と、下の階に「ドン!ドン!ドン」と降りて行きました。
父親は「こういうの買うなら、相談しなきゃダメだぞ。」と一言言って降りて行きました。
半べそのY田を見るのが居たたまれなり、「Y田、俺帰るね…」と言って、そのまま帰りました。
何故、彼が筐体を買ったのを彼の母親が察知したのか不明ですが、私が家に来てから30分位内の出来事でした。
後から聴いた話では、結局筐体はボヤけたまま使われず、当日ではなかったものの、後日処分をしたとの事でした。
(勿体無い… けれど、私の部屋は手狭だったので、受け取る訳には行かなかった)
その後、Y田も強かで、基板だけを買っては、私の家や他の筐体を買い始めた友人の家で遊ぶようになりました。
私の家では「ソロモンの鍵」「メルヘンメイズ」「アテナ」「フェアリーランドストーリー」などを持ち込んでは遊んでいました。
その数年後にこれら基板を燃えるゴミに出したと知って、私は愕然としたという…(-_-;
テレビゲームを禁止されている家庭… なぜここまでに理解されないのか、本当に不思議でなりません。
「親がテレビゲームに殺されでもしたのか?」と思ったりしますが、そんな糞な教育を受けてこなかったので、一生理解できないと思っています。
子供がバカになったっていいじゃない。その人の人生なんだし。最初に「その趣味をやると何故ダメになる」のか、その親の価値観で教えてあげ、禁止するのではなく、「自分で理解させないと」。そして、もしそれを本人が後から後悔したら、「その理由は教えてあげたから分ってるよね。」と言ってあげるだけで良いと思うんだけどな。逆に幼少の頃にそれを禁止にしてしまい、「当時、僕は遊べなかったから、今死ぬ程遊んでるんだー!」と恨み節で親にブツけられても(それも場合により、社会不適合になってしまっても)、困るだけだじゃないの?…と思ったりします。
世の中にはダイバーシティってものもあるし、オタク趣味ばっかりやってたら、それのエキスパートになる人(会社を興したり)もいる訳だし、それを一概に「悪い」なんて決めつけるのも如何なものかと思います。
何かを抑制というのは負のエネルギーも蓄積するって事を理解しない親は『返ってその親の方がバカ』だと思うポリシーを持ってたりします。

大事なものを処分(壊)される時の負のパワーは
親子の絆すらブチ破る瞬発力がある。
2000年過ぎた頃にはテレビゲームは子供の遊びの筆頭に立ち、2000年後半にはCMでも家族で爽やかにWiiをプレーしている光景も見れて、確固たる地位を得た今となっては、「テレビゲームを一切やるな。」は、ほぼなくなったかなぁ~と、良い時代になったとシミジミします。
さて、私も勉強をしないで、時間泥棒の「ドラゴンクエストビルダーズ2」をプレーするかな。
(先日まで1のチャレンジをクリアしていたので、昨晩からやっと始めた)
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