昔のゲームの想い出 (番外編) [0027]
《テレビゲーム交流》
先日のドキュメント72時間「高田馬場 伝説のゲーセン」を見て、ゲーム内容の紹介も殆んど行わない上に、ゲームセンターの交流について着眼しているのを見て、「こういうの好きだなぁ~」と思いつつ、ゲームセンターに通っていた頃、コンシューマゲームを皆で遊んでいた頃の「人との交流」の想い出を書いてみたくなりました。
先日のドキュメント72時間「高田馬場 伝説のゲーセン」を見て、ゲーム内容の紹介も殆んど行わない上に、ゲームセンターの交流について着眼しているのを見て、「こういうの好きだなぁ~」と思いつつ、ゲームセンターに通っていた頃、コンシューマゲームを皆で遊んでいた頃の「人との交流」の想い出を書いてみたくなりました。
【1980-1982年】
私がゲームセンターに一人(=親、友人と一緒ではない)で遊びに行くようになったのは、おおよそ1980年からなのですが(インベーダーブーム後の第2の波の年)、ここから面識の無い人との交流が出てきました。
最初は近所のジャスコ(現:イオン)に「パックマン」「ポラリス」などが置かれ、ゲームセンターには「トランキライザーガン」「フェニックス」などが置かれ、駄菓子屋には「平安京エイリアン」「ムーンクレスタ」などが置かれ、よく分からない小屋には「ドラキュラハンター」が置いてあった…と、私の行動範囲は一気に広がりました。(お金を持ってようが無かろうが、放課後に遊びに行く日々でした)
そのような中、ギャラリーをしていると、プレイヤーの人が声を掛けてくれたり、ギャラリー同士で「あのプレーすごいね。」とか感想を言うようになり、そこから軽い雑談をする事を覚えました。もちろん普段は独りで行く事は少なく、友人同士で話す事が大半なのですが、しょっちゅうどこかしらのゲームセンターに遊びに行っていたので、顔を覚えられる感じで、話してくる相手は「またアイツ来てるんだ。」みたいな感じで声をかけてきたのだと思います。(この頃は基本的に私からは声をかける事は無かった)
そこから1年後位になってくると、お店では「常連客」という事で、「両替の際にお店の人から声をかけられる」ようになり、その仲の良い状況を見てか、他の人が連られて声をかけてくるという流れとなり、「どこの誰だか知らないけれど、ゲームに関してお話をする」ようになりました。これはギャラリーの時の「あのプレーすごいね。」といった一言レベルではなく、「攻略」の話や「どこに住んでるの?」といった、もっと入り込んだものとなってきました。ただ、この時点でも「お互いの名前を聴く」というはなく、側に寄ってきては「○○○(ゲームタイトル)がどこまで進んだ。」とか「(名前も聴かずに)今度ウチで遊ぼうよ。」とかで、名前も知らない、年齢も知らない人と一緒に遊ぶのは怖く(本能的?)、まだ家庭用テレビゲームを持っている人も一握り(私は「テレビベーダー」とか持ってましたが)だったので、「遊ぶって、どこで何を?」みたいな感じで、半分逃げるような感じで断わったりしていました。
尚、この頃はまだ「外で遊ぶ」という事も存分に楽しんでいた時なので、ゲームセンターでも遊びますが、友人達とドロケイ(ケイドロ)をやったり、公園を巡って遊んでいたり(特に高い所に登りたがる性分だったので、公園の壁を登ってたり、日除けの建物の上に登ったりしていた)、トムソーヤのハックルベリーリスペクトで、森林の大木の上に基地を作ったりしていたため、「友人と家の中で遊ぶ」というのはボードゲーム位で、電子ゲームでさえ野外に持ち出して遊んでいた感じで、知らない人の家で遊ぶというはNGな感じでした。
【1983-1984年】
この辺りになると、お小遣いは「100% テレビゲームと駄菓子に消え」、金がなければ「かーちゃん財布(親の財布から金を抜きとる行為)」をしたりと(後でバレてこっぴどく叱られる事数回)、今でいう「ゲーム廃人」と化しており、「どうすれば、もっと…もっとゲームができるのだろう…」と、24時間頭の中でゲームがダンスしている人になってしまっていました。それ位テレビゲームには中毒性がありました。
そこにゲームの女神様が降臨し、運気が上りました。それは常連となっていた私にゲームセンターの店員から「客寄せパンダ」を依頼され、ゲームをタダで遊ばせてくれる事になりました。(魅了するプレーをして客を呼んで、その客がエレメカなどで遊ぶという流れです)
このお陰でゲームの腕がメキメキと上り、ゲームセンターではヒーロー扱い(名人というよりも人が尊敬してくれる…みたいな)となり、近所のゲームセンターのどこに行っても、面識の無い人が沢山声をかけてくれました。名前を聴かれたり、学校を聴かれたり、学年を聴かれたり、住んでいるところを聴かれたり…と、大半は学区内のゲームセンターで遊ぶ事が多かったので、同じ学校の人でしたが、私は知らない人達ばかりでした。(年齢も違う人もいたりした)
まだ「オタク」という種族が定着していない時代だったので、「ゲームセンターは不良が行くところ」の時代に、様々なゲームの事を語れるオタクに対して、ゲームに興味ある人達が話を聴きにくる…という素晴らしい流れでした。
この頃になると、私の人見知りも割と軽減されていて、面識のない人でも「一緒に遊ぼうよ!」と、ゲームセンターに誘い(客寄せパンダですし)、向こうは「OKIくん」とか言って来ても私は相手の事を知らず、「ねぇ、」で話かけるという異質な状況が続きました。(まぁ、このブログと同じような感じですね。相手の事を知らないままやり取りしているとかザラですし。(^^;)
またこの頃は家に呼ばれたりすると、そのままホイホイ着いて行く事が多くなり、1日だけ遊んだ記憶が定着せず、その数年後(4年後位に)にクラスメートになった友人の家に遊びに行った時に「あれっ?!俺、この部屋来た事があるっ!?デジャブ!?」と思ったら、その時に1日だけ連れて行かれた家だった…なんて事もありました。(友人は私の事を知っていたので、「昔俺がOKIくんを家に呼んで、遊んだ事があるよw」みたいな感じに)
更にゲームセンターでちやほやされていたのが目についたのか、学年No.2のワルに声をかけられて、意気投合をした事があったり、同級生の朋友ができたりもしました。
という感じで、ゲームセンターではある意味「名物キャラ」のように知られ、軽い付き合いの交流を楽しみ始めました。
【1984-1989年】
格ゲー前のゲームセンターの最盛期になると、多感な時期に突入しており、「気持ち悪いゲーム評論家のような人間」に成り下がっていました。良くも悪くも「ゲームの神様」という(痛い)照合を付けられ、休み時間になると、学校では先輩・同級生・後輩関係なく、ゲームの質問やゲームの貸し借りの話、放課後は行きつけのゲームセンターに通い、夜は自宅でコンシューマ機と撓むれる…と超ゲーム三昧の時を過していました。
インターネットも無い時代なだけに、ゲームの情報が集まるハブ(HUB)として私の家が社交の場となっていました。また昼には優等生、夜には不良が集まるハイブ(巣)にもなっていたので、色々な人が私に寄ってきました。
(ちなみに家に来ていた優等生はANAのパイロットになり、慶応BOYになって銀行マンになり、不良は全員落第していました)
この頃になると人見知りは疎か、住んでいる所も年齢も気にしない、社交度MAXのような状況になり、1984年になると、ついに「Y本くん」と出会う事になりました。彼は私よりも年上で且つ、住んでいる学区も違い、お互い行き付けのゲームセンターを中点とすると、私と真逆のところに住んでいました。
彼のステータスも私と同様に、学校内では名を轟かせていたゲーマーで且つ私よりも博識、しかもゲームに関する行動力が私よりも断トツで上…という凄いステータスの持ち主でした。
そのような彼だったので、初めて話すようになった時には、向こうから名乗って来たし、ゲーム内容の問答も私よりレベルが高く、私のステータスも直ぐに把握してきました。正直「この人は俺の師匠になる人に違いない。」と確信する程の人でした。
彼と出会ってから私の行動力は飛躍的に上がりました。まずはこれまで遠征していなかったゲームセンターに行くようになり、そこで二人でゲームプレーを披露すると、知らない人が沢山ギャラリーとなり、声をかけられる感じに。この流れは地元でも既に体験済みでしたが、未踏の地でもこれが通用するという事に感動しました。
特に当時まだ「ドルアーガの塔」のワンコインクリアが珍しい時期(1985年)にワンコインでクリアすると、メガネをかけたインテリな人が新聞記者のように、このゲームの質問をしてきたりして、楽しい歓談をしたのは良い想い出だったりします。
そのゲームセンターで「たった一回だけのプレー」だとしても、1ヶ月後に再び行って、同様に新作のゲームで上手いプレーを見せるだけで、「この間の人でしょ!」という感じで、名前も素性も知らなくても、そのゲームの話だけで知り合いになれる… ゲームセンターは地域を超えた凄い社交の場になるという事を肌で感じる日々でした。
(「源平討魔伝」の想い出にも書きましたが、田舎でもそれが通用したというw)
Y本くん指導の元、思い入れのあるアーケードゲーム基板購入を始めたのもこの頃でした。学校を中退してしまったヤツ、それどころか上に入る事もできなかったヤツも、私の家にあるオリジナルで遊びに来るようになり、「大量のエロビデオとテレビゲームがあるのはOKIの家だけっ!」と、一時期部屋がシンナー臭くなったり、「それやるなら、ベランダにしろ!もちろんタバコもなっ!」と、禁煙の私の部屋は悪の巣窟のような集会の場所になったりしました。(しかしゲームのアドバンテージがある私の言うことを皆聴いてくれたので、規律は直ぐに守られました)
同様に80年代後半から教師の高慢ちきな態度が馬鹿らしくて殆んど行かなくなった学校でも、あまり面識のない友人から「年賀状書くね!」と言われたりして、年賀状が届くと、ゲームの事が書いてあったりするのを見ると、「俺はゲーム馬鹿という位置付けなんだな…」と思う感じだったりしました。
想い出の年賀状。ゲームの事を書いてくる人が多かったです。
1986年は他のクラスの女子にゲームを貸すとか当たり前な時代でした。
これらの話は「全てはテレビゲームによる交流」という事から、私の中の大事な想い出となり、今でも人見知りをしないのは、「テレビゲームがあったお陰」と感謝しています。
あと、こんなにも勉強をしないゲーム馬鹿だったのに「ゲームをやるな。」と一言も言わなかった両親にも感謝してます。特にゲーム筐体を買った日の出来事は、自分史として将来語り継ぐ程ありがたい事でした。お陰で「割と社交的で且つ立派に育った」という結果が出たのは、テレビゲームで培った社交性からという事が立証できたと思います。
今はオンラインで交流ができる時代ですが、テレビゲームの交流は本当に良いものだと思います。
進路の影響から疎遠になったり(私の場合は社会人になったタイミングと格ゲーブームが来たタイミングがニアリイコールだったので、そこでゲーム交流が一旦終わりました)、意見のブツかりから別れたりする事というのは、多かれ少なかれ誰にでもある事ですが、その時その時を楽しんで過ごした想い出というのは美しいものだと思うので、大事にしていきたいものです。
尚、幼馴染のY田(1980年)も、F田くん(1986年)もテレビゲームの交流繋がりで今に至ります。
そして、このブログや基板などで知り合ったオフラインありで5年以上のお付き合いはKaru_gamoさん(2008年)、わで~んさん(2010年)、S川さん(2011年)、トモカズさん(2011年)となり、テレビゲームの話から交流ができて今に至ります。(感謝!)

こういうの素敵ですね♪
私がゲームセンターに一人(=親、友人と一緒ではない)で遊びに行くようになったのは、おおよそ1980年からなのですが(インベーダーブーム後の第2の波の年)、ここから面識の無い人との交流が出てきました。
最初は近所のジャスコ(現:イオン)に「パックマン」「ポラリス」などが置かれ、ゲームセンターには「トランキライザーガン」「フェニックス」などが置かれ、駄菓子屋には「平安京エイリアン」「ムーンクレスタ」などが置かれ、よく分からない小屋には「ドラキュラハンター」が置いてあった…と、私の行動範囲は一気に広がりました。(お金を持ってようが無かろうが、放課後に遊びに行く日々でした)
そのような中、ギャラリーをしていると、プレイヤーの人が声を掛けてくれたり、ギャラリー同士で「あのプレーすごいね。」とか感想を言うようになり、そこから軽い雑談をする事を覚えました。もちろん普段は独りで行く事は少なく、友人同士で話す事が大半なのですが、しょっちゅうどこかしらのゲームセンターに遊びに行っていたので、顔を覚えられる感じで、話してくる相手は「またアイツ来てるんだ。」みたいな感じで声をかけてきたのだと思います。(この頃は基本的に私からは声をかける事は無かった)
そこから1年後位になってくると、お店では「常連客」という事で、「両替の際にお店の人から声をかけられる」ようになり、その仲の良い状況を見てか、他の人が連られて声をかけてくるという流れとなり、「どこの誰だか知らないけれど、ゲームに関してお話をする」ようになりました。これはギャラリーの時の「あのプレーすごいね。」といった一言レベルではなく、「攻略」の話や「どこに住んでるの?」といった、もっと入り込んだものとなってきました。ただ、この時点でも「お互いの名前を聴く」というはなく、側に寄ってきては「○○○(ゲームタイトル)がどこまで進んだ。」とか「(名前も聴かずに)今度ウチで遊ぼうよ。」とかで、名前も知らない、年齢も知らない人と一緒に遊ぶのは怖く(本能的?)、まだ家庭用テレビゲームを持っている人も一握り(私は「テレビベーダー」とか持ってましたが)だったので、「遊ぶって、どこで何を?」みたいな感じで、半分逃げるような感じで断わったりしていました。
尚、この頃はまだ「外で遊ぶ」という事も存分に楽しんでいた時なので、ゲームセンターでも遊びますが、友人達とドロケイ(ケイドロ)をやったり、公園を巡って遊んでいたり(特に高い所に登りたがる性分だったので、公園の壁を登ってたり、日除けの建物の上に登ったりしていた)、トムソーヤのハックルベリーリスペクトで、森林の大木の上に基地を作ったりしていたため、「友人と家の中で遊ぶ」というのはボードゲーム位で、電子ゲームでさえ野外に持ち出して遊んでいた感じで、知らない人の家で遊ぶというはNGな感じでした。
【1983-1984年】
この辺りになると、お小遣いは「100% テレビゲームと駄菓子に消え」、金がなければ「かーちゃん財布(親の財布から金を抜きとる行為)」をしたりと(後でバレてこっぴどく叱られる事数回)、今でいう「ゲーム廃人」と化しており、「どうすれば、もっと…もっとゲームができるのだろう…」と、24時間頭の中でゲームがダンスしている人になってしまっていました。それ位テレビゲームには中毒性がありました。
そこにゲームの女神様が降臨し、運気が上りました。それは常連となっていた私にゲームセンターの店員から「客寄せパンダ」を依頼され、ゲームをタダで遊ばせてくれる事になりました。(魅了するプレーをして客を呼んで、その客がエレメカなどで遊ぶという流れです)
このお陰でゲームの腕がメキメキと上り、ゲームセンターではヒーロー扱い(名人というよりも人が尊敬してくれる…みたいな)となり、近所のゲームセンターのどこに行っても、面識の無い人が沢山声をかけてくれました。名前を聴かれたり、学校を聴かれたり、学年を聴かれたり、住んでいるところを聴かれたり…と、大半は学区内のゲームセンターで遊ぶ事が多かったので、同じ学校の人でしたが、私は知らない人達ばかりでした。(年齢も違う人もいたりした)
まだ「オタク」という種族が定着していない時代だったので、「ゲームセンターは不良が行くところ」の時代に、様々なゲームの事を語れるオタクに対して、ゲームに興味ある人達が話を聴きにくる…という素晴らしい流れでした。
この頃になると、私の人見知りも割と軽減されていて、面識のない人でも「一緒に遊ぼうよ!」と、ゲームセンターに誘い(客寄せパンダですし)、向こうは「OKIくん」とか言って来ても私は相手の事を知らず、「ねぇ、」で話かけるという異質な状況が続きました。(まぁ、このブログと同じような感じですね。相手の事を知らないままやり取りしているとかザラですし。(^^;)
またこの頃は家に呼ばれたりすると、そのままホイホイ着いて行く事が多くなり、1日だけ遊んだ記憶が定着せず、その数年後(4年後位に)にクラスメートになった友人の家に遊びに行った時に「あれっ?!俺、この部屋来た事があるっ!?デジャブ!?」と思ったら、その時に1日だけ連れて行かれた家だった…なんて事もありました。(友人は私の事を知っていたので、「昔俺がOKIくんを家に呼んで、遊んだ事があるよw」みたいな感じに)
更にゲームセンターでちやほやされていたのが目についたのか、学年No.2のワルに声をかけられて、意気投合をした事があったり、同級生の朋友ができたりもしました。
という感じで、ゲームセンターではある意味「名物キャラ」のように知られ、軽い付き合いの交流を楽しみ始めました。
【1984-1989年】
格ゲー前のゲームセンターの最盛期になると、多感な時期に突入しており、「気持ち悪いゲーム評論家のような人間」に成り下がっていました。良くも悪くも「ゲームの神様」という(痛い)照合を付けられ、休み時間になると、学校では先輩・同級生・後輩関係なく、ゲームの質問やゲームの貸し借りの話、放課後は行きつけのゲームセンターに通い、夜は自宅でコンシューマ機と撓むれる…と超ゲーム三昧の時を過していました。
インターネットも無い時代なだけに、ゲームの情報が集まるハブ(HUB)として私の家が社交の場となっていました。また昼には優等生、夜には不良が集まるハイブ(巣)にもなっていたので、色々な人が私に寄ってきました。
(ちなみに家に来ていた優等生はANAのパイロットになり、慶応BOYになって銀行マンになり、不良は全員落第していました)
この頃になると人見知りは疎か、住んでいる所も年齢も気にしない、社交度MAXのような状況になり、1984年になると、ついに「Y本くん」と出会う事になりました。彼は私よりも年上で且つ、住んでいる学区も違い、お互い行き付けのゲームセンターを中点とすると、私と真逆のところに住んでいました。
彼のステータスも私と同様に、学校内では名を轟かせていたゲーマーで且つ私よりも博識、しかもゲームに関する行動力が私よりも断トツで上…という凄いステータスの持ち主でした。
そのような彼だったので、初めて話すようになった時には、向こうから名乗って来たし、ゲーム内容の問答も私よりレベルが高く、私のステータスも直ぐに把握してきました。正直「この人は俺の師匠になる人に違いない。」と確信する程の人でした。
彼と出会ってから私の行動力は飛躍的に上がりました。まずはこれまで遠征していなかったゲームセンターに行くようになり、そこで二人でゲームプレーを披露すると、知らない人が沢山ギャラリーとなり、声をかけられる感じに。この流れは地元でも既に体験済みでしたが、未踏の地でもこれが通用するという事に感動しました。
特に当時まだ「ドルアーガの塔」のワンコインクリアが珍しい時期(1985年)にワンコインでクリアすると、メガネをかけたインテリな人が新聞記者のように、このゲームの質問をしてきたりして、楽しい歓談をしたのは良い想い出だったりします。
そのゲームセンターで「たった一回だけのプレー」だとしても、1ヶ月後に再び行って、同様に新作のゲームで上手いプレーを見せるだけで、「この間の人でしょ!」という感じで、名前も素性も知らなくても、そのゲームの話だけで知り合いになれる… ゲームセンターは地域を超えた凄い社交の場になるという事を肌で感じる日々でした。
(「源平討魔伝」の想い出にも書きましたが、田舎でもそれが通用したというw)
Y本くん指導の元、思い入れのあるアーケードゲーム基板購入を始めたのもこの頃でした。学校を中退してしまったヤツ、それどころか上に入る事もできなかったヤツも、私の家にあるオリジナルで遊びに来るようになり、「大量のエロビデオとテレビゲームがあるのはOKIの家だけっ!」と、一時期部屋がシンナー臭くなったり、「それやるなら、ベランダにしろ!もちろんタバコもなっ!」と、禁煙の私の部屋は悪の巣窟のような集会の場所になったりしました。(しかしゲームのアドバンテージがある私の言うことを皆聴いてくれたので、規律は直ぐに守られました)
同様に80年代後半から教師の高慢ちきな態度が馬鹿らしくて殆んど行かなくなった学校でも、あまり面識のない友人から「年賀状書くね!」と言われたりして、年賀状が届くと、ゲームの事が書いてあったりするのを見ると、「俺はゲーム馬鹿という位置付けなんだな…」と思う感じだったりしました。
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1986年は他のクラスの女子にゲームを貸すとか当たり前な時代でした。
これらの話は「全てはテレビゲームによる交流」という事から、私の中の大事な想い出となり、今でも人見知りをしないのは、「テレビゲームがあったお陰」と感謝しています。
あと、こんなにも勉強をしないゲーム馬鹿だったのに「ゲームをやるな。」と一言も言わなかった両親にも感謝してます。特にゲーム筐体を買った日の出来事は、自分史として将来語り継ぐ程ありがたい事でした。お陰で「割と社交的で且つ立派に育った」という結果が出たのは、テレビゲームで培った社交性からという事が立証できたと思います。
今はオンラインで交流ができる時代ですが、テレビゲームの交流は本当に良いものだと思います。
進路の影響から疎遠になったり(私の場合は社会人になったタイミングと格ゲーブームが来たタイミングがニアリイコールだったので、そこでゲーム交流が一旦終わりました)、意見のブツかりから別れたりする事というのは、多かれ少なかれ誰にでもある事ですが、その時その時を楽しんで過ごした想い出というのは美しいものだと思うので、大事にしていきたいものです。
尚、幼馴染のY田(1980年)も、F田くん(1986年)もテレビゲームの交流繋がりで今に至ります。
そして、このブログや基板などで知り合ったオフラインありで5年以上のお付き合いはKaru_gamoさん(2008年)、わで~んさん(2010年)、S川さん(2011年)、トモカズさん(2011年)となり、テレビゲームの話から交流ができて今に至ります。(感謝!)

こういうの素敵ですね♪
コメント
ゲームの力は偉大ですね
凄い
OKIさん、子供の頃からゲーム大好きだったんですね~
こういった人様のゲームの歴史は読んでて本当に面白いです
そして羨ましいくらいゲームで楽しい人生送ってきてるんですね~
以前書きましたが、自分の住んでる町にはゲーセン無かったんですけど
小学生当時、ゲーム好きな友達とかは隣町まで行ってましたね
自分、その頃はまだアーケードゲーム興味無かったので
そうまでしてゲームやりたい気持ちが分からなかったなぁ・・・
まぁ、そんな自分も高校生の頃にはどっぷりとハマッて
その頃の友達の気持ちがよく分かりましたけどねwww
ゲーセン行き始めると、OKIさんが書いてる様に
見知らぬ人と交流生まれたりしてました
そして面白かったり怖かったりといろいろ体験した
ハイスコアアタックとかもやったなぁ
ゲーメストやベーマガにランキング載ってたりして・・・
本当に「何もかも皆懐かしい・・・」(爆)
こうして思い出してみると本当にいろいろあったんだと
しみじみする・・・
こういった人様のゲームの歴史は読んでて本当に面白いです
そして羨ましいくらいゲームで楽しい人生送ってきてるんですね~
以前書きましたが、自分の住んでる町にはゲーセン無かったんですけど
小学生当時、ゲーム好きな友達とかは隣町まで行ってましたね
自分、その頃はまだアーケードゲーム興味無かったので
そうまでしてゲームやりたい気持ちが分からなかったなぁ・・・
まぁ、そんな自分も高校生の頃にはどっぷりとハマッて
その頃の友達の気持ちがよく分かりましたけどねwww
ゲーセン行き始めると、OKIさんが書いてる様に
見知らぬ人と交流生まれたりしてました
そして面白かったり怖かったりといろいろ体験した
ハイスコアアタックとかもやったなぁ
ゲーメストやベーマガにランキング載ってたりして・・・
本当に「何もかも皆懐かしい・・・」(爆)
こうして思い出してみると本当にいろいろあったんだと
しみじみする・・・
たかがゲーム、されどゲーム、テレビゲームの魅力は偉大!
わで~んさん
>地域は違えども駆け抜けてきた時代は同じ。
>思い出はそれぞれでもそこには同じゲームが確かにあった…
>これに尽きますね。
ですね。(^^)
以前、お話したとおりです。
同じ時代の同じものを別々のところで楽しんでしたんですよねー。(^^)
>ゲームが持つ力のおかげで出会うべくして出会ったと思っています。
>これからもブログ上やメールなどで、楽しいセッションをしていきましょう!(^^)
(・∀・)イイ!!
>【1980-1982年】
わで~んさんはハイスコアラーですもんね。情熱の出し方が凄かったと察っします。
私は「常に新しいものを人よりも先に進む」という流れだったので、皆が極める頃には、次のゲームに行ってしまっていました。
旬な時期にそこらの上手い人よりはスコアよりも「魅せるプレー」を、クリアで終わるゲームは「誰よりも先にクリア」を…こんなタイプでした。
これもお店の人から売上の話を幼少から聴かされて、長時間プレーはインカムが出ないと知っていたからなのですが…
(「インカム」という単語も誰よりも先に使ってたマセガキでした。(^^;)
>【1983-1984年】
魅惑のナムコ筆頭時代ですものね。(^^)
サブカルチャーって言葉の走りって感じでしたし。
>【1984-1989年】
格闘ゲーム前のビデオゲーム最盛期でしたもんね。
アーケード、コンシューマ、雑誌、どれも一番盛り上った時代だと思います。
それもこれもバブルでしたし!(爆)
>想い出の年賀状
右下の年賀状の人は、この人↓だったりしますw
http://ockeysprogramming.blog42.fc2.com/blog-entry-207.html#kobachan
この2年後に女をハラませてしまい、ゲームから足を洗いました…とさ。(^^;
>地域は違えども駆け抜けてきた時代は同じ。
>思い出はそれぞれでもそこには同じゲームが確かにあった…
>これに尽きますね。
ですね。(^^)
以前、お話したとおりです。
同じ時代の同じものを別々のところで楽しんでしたんですよねー。(^^)
>ゲームが持つ力のおかげで出会うべくして出会ったと思っています。
>これからもブログ上やメールなどで、楽しいセッションをしていきましょう!(^^)
(・∀・)イイ!!
>【1980-1982年】
わで~んさんはハイスコアラーですもんね。情熱の出し方が凄かったと察っします。
私は「常に新しいものを人よりも先に進む」という流れだったので、皆が極める頃には、次のゲームに行ってしまっていました。
旬な時期にそこらの上手い人よりはスコアよりも「魅せるプレー」を、クリアで終わるゲームは「誰よりも先にクリア」を…こんなタイプでした。
これもお店の人から売上の話を幼少から聴かされて、長時間プレーはインカムが出ないと知っていたからなのですが…
(「インカム」という単語も誰よりも先に使ってたマセガキでした。(^^;)
>【1983-1984年】
魅惑のナムコ筆頭時代ですものね。(^^)
サブカルチャーって言葉の走りって感じでしたし。
>【1984-1989年】
格闘ゲーム前のビデオゲーム最盛期でしたもんね。
アーケード、コンシューマ、雑誌、どれも一番盛り上った時代だと思います。
それもこれもバブルでしたし!(爆)
>想い出の年賀状
右下の年賀状の人は、この人↓だったりしますw
http://ockeysprogramming.blog42.fc2.com/blog-entry-207.html#kobachan
この2年後に女をハラませてしまい、ゲームから足を洗いました…とさ。(^^;
昔はゲーム馬鹿でしたw
はぐれさん
今はまるで遊ば(べ)ない種族になりましたが…
>子供の頃からゲーム大好きだったんですね~
ですねー。
勉強が大嫌いで遊ぶ事が大好きだったので、テレビゲームに限らず色々な遊びを楽しみました。
>こういった人様のゲームの歴史は読んでて本当に面白いです
>そして羨ましいくらいゲームで楽しい人生送ってきてるんですね~
私も人様のゲームの想い出を聴くの好きです。
同じ時代をすごし、同じテレビゲームをしていたかと思うと、親近感を覚えたり、共感するところが出てきます。
>そうまでしてゲームやりたい気持ちが分からなかったなぁ・・・
>まぁ、そんな自分も高校生の頃にはどっぷりとハマッて
>その頃の友達の気持ちがよく分かりましたけどねwww
まぁ、そんなものでしょうねw
私も同じような事言われましたよ。
「そんなにゲームばっかりやってて飽きないの?」とか。
>ゲーセン行き始めると、OKIさんが書いてる様に
>見知らぬ人と交流生まれたりしてました
>そして面白かったり怖かったりといろいろ体験した
交流(・∀・)イイ!!
「怖い体験」というのをそれ程体験していないので、どんなものか興味津々です。
>ハイスコアアタックとかもやったなぁ
>ゲーメストやベーマガにランキング載ってたりして・・・
そーいうタイプだったのですね。
行動力ありますね~。(´▽`)
>こうして思い出してみると本当にいろいろあったんだと
>しみじみする・・・
1980年代のゲームをやっていた人が過去を思い出すと、そうなりますよね。
今はまるで遊ば(べ)ない種族になりましたが…
>子供の頃からゲーム大好きだったんですね~
ですねー。
勉強が大嫌いで遊ぶ事が大好きだったので、テレビゲームに限らず色々な遊びを楽しみました。
>こういった人様のゲームの歴史は読んでて本当に面白いです
>そして羨ましいくらいゲームで楽しい人生送ってきてるんですね~
私も人様のゲームの想い出を聴くの好きです。
同じ時代をすごし、同じテレビゲームをしていたかと思うと、親近感を覚えたり、共感するところが出てきます。
>そうまでしてゲームやりたい気持ちが分からなかったなぁ・・・
>まぁ、そんな自分も高校生の頃にはどっぷりとハマッて
>その頃の友達の気持ちがよく分かりましたけどねwww
まぁ、そんなものでしょうねw
私も同じような事言われましたよ。
「そんなにゲームばっかりやってて飽きないの?」とか。
>ゲーセン行き始めると、OKIさんが書いてる様に
>見知らぬ人と交流生まれたりしてました
>そして面白かったり怖かったりといろいろ体験した
交流(・∀・)イイ!!
「怖い体験」というのをそれ程体験していないので、どんなものか興味津々です。
>ハイスコアアタックとかもやったなぁ
>ゲーメストやベーマガにランキング載ってたりして・・・
そーいうタイプだったのですね。
行動力ありますね~。(´▽`)
>こうして思い出してみると本当にいろいろあったんだと
>しみじみする・・・
1980年代のゲームをやっていた人が過去を思い出すと、そうなりますよね。
No title
>「怖い体験」というのをそれ程体験していないので、どんなものか興味津々です。
まぁ、カツアゲもありましたけど・・・
長くなりますが当時一番怖かった話でも
友人HとM君の二人とゲームしてたところ
ガチの"チンピラ二人組"に声かけられて、M君が人質状態に・・・
見捨てる訳にもいかないので、私たちも一緒について行きます
そしてだんだんと人気のない方へ・・・
その道中、友人Hが小さな声で
「お金要求されたら、バス代しかないんで勘弁してくださいと言って粘れ」
と言ってきた。
Hは昔からゲーム好きでゲーセン入り浸っていたと聞いてたので
こういった事になれてる風
その後、チンピラの舎弟っぽい方に話かけられたんだけど
話す単語が知らないものだったので
「○○ってなんですか?」と聞いてみたら
「アアッ!?○○は○○に決まってんだろっ!!」
とか怒鳴られて、自分は更にビクビクwww
完全に人気の無いところに着いたら
案の定"金"を要求してきましたので
Hに言われたとおり「バス代しか・・・」と言いました
最初は執拗に態度や言葉に難癖つけたりとかして
要求を続けていたのですけど
その内、兄貴分の方が別の事に興味が湧いたらしく
いきなりM君に向かって
「お前、なかなかカッコイイ顔してるじゃねえか」
とニコニコ顔で言ってきた
ただでさえビビリ上がってた自分は
突然の展開に更に頭混乱www
そして突然、M君を連れてナンパしに行くと言い出しまして・・・
自分とHは解放されます
自分はまだパニクッていたので
Hに「警察にいったほうが・・・」と言いましたが
Hは「さっきのゲーセンでしばらく待とう。一時間して戻ってこなかったら、その時は警察に行こう」と言い、そうする事に・・・
不安をかき消す為に、適当にゲームしながらM君を待つ
そろそろ一時間が経とうとした頃
M君と先ほどのチンピラ二人組が戻ってきて
"ゲームやってた"僕達の所に来た
どうやらナンパは成功しなかったようだけど
M君の様子がとても面白かったらしく
ニコニコしながらM君を解放してそのままどこかに行ってしまいました
M君は解放された後チョット泣いてたw
そんなM君を他所に、Hが私に言ってきた
「いやー、あのチンピラ二人組戻ってきた時は少し焦った」
「バス代しかないって言ったのに、ゲームやってる俺達見て何も思わなかったみたいだな」
「バカな奴等でホント良かったぜ」
それ聞いた自分はそんなことに全く考えて無かったので少し血の気が引くwww
変な事にならず事が過ぎたので物凄く安堵
その後HとM君と話し合って、しばらくはそこに行かないことにしました
といった体験でした~
会話の部分は厳密には違ったかもしれないけど
だいたいそんな感じだったです
最終的には何事も無かったので良かったけど
あの時はマジで警察沙汰になるとビビリ上がってました
まぁ、それでもゲーセン行くのは止められなかったですねwww
長くて読み辛い文章でゴメンナサイ
まぁ、カツアゲもありましたけど・・・
長くなりますが当時一番怖かった話でも
友人HとM君の二人とゲームしてたところ
ガチの"チンピラ二人組"に声かけられて、M君が人質状態に・・・
見捨てる訳にもいかないので、私たちも一緒について行きます
そしてだんだんと人気のない方へ・・・
その道中、友人Hが小さな声で
「お金要求されたら、バス代しかないんで勘弁してくださいと言って粘れ」
と言ってきた。
Hは昔からゲーム好きでゲーセン入り浸っていたと聞いてたので
こういった事になれてる風
その後、チンピラの舎弟っぽい方に話かけられたんだけど
話す単語が知らないものだったので
「○○ってなんですか?」と聞いてみたら
「アアッ!?○○は○○に決まってんだろっ!!」
とか怒鳴られて、自分は更にビクビクwww
完全に人気の無いところに着いたら
案の定"金"を要求してきましたので
Hに言われたとおり「バス代しか・・・」と言いました
最初は執拗に態度や言葉に難癖つけたりとかして
要求を続けていたのですけど
その内、兄貴分の方が別の事に興味が湧いたらしく
いきなりM君に向かって
「お前、なかなかカッコイイ顔してるじゃねえか」
とニコニコ顔で言ってきた
ただでさえビビリ上がってた自分は
突然の展開に更に頭混乱www
そして突然、M君を連れてナンパしに行くと言い出しまして・・・
自分とHは解放されます
自分はまだパニクッていたので
Hに「警察にいったほうが・・・」と言いましたが
Hは「さっきのゲーセンでしばらく待とう。一時間して戻ってこなかったら、その時は警察に行こう」と言い、そうする事に・・・
不安をかき消す為に、適当にゲームしながらM君を待つ
そろそろ一時間が経とうとした頃
M君と先ほどのチンピラ二人組が戻ってきて
"ゲームやってた"僕達の所に来た
どうやらナンパは成功しなかったようだけど
M君の様子がとても面白かったらしく
ニコニコしながらM君を解放してそのままどこかに行ってしまいました
M君は解放された後チョット泣いてたw
そんなM君を他所に、Hが私に言ってきた
「いやー、あのチンピラ二人組戻ってきた時は少し焦った」
「バス代しかないって言ったのに、ゲームやってる俺達見て何も思わなかったみたいだな」
「バカな奴等でホント良かったぜ」
それ聞いた自分はそんなことに全く考えて無かったので少し血の気が引くwww
変な事にならず事が過ぎたので物凄く安堵
その後HとM君と話し合って、しばらくはそこに行かないことにしました
といった体験でした~
会話の部分は厳密には違ったかもしれないけど
だいたいそんな感じだったです
最終的には何事も無かったので良かったけど
あの時はマジで警察沙汰になるとビビリ上がってました
まぁ、それでもゲーセン行くのは止められなかったですねwww
長くて読み辛い文章でゴメンナサイ
2011年なんですね。
私からのファースト・コンタクトは実に不躾だったと思い返しています。
ゲームの関わり方からすれば、私とOKIさんとでは対極の位置なのですよね。
私の地元にはゲームセンターは無くて、駄菓子屋にゲーム機が設置されているトコロ(所謂「駄菓子屋ゲームセンター」)で、友人のプレイを眺めていただけです。
(あ、「インベーダーハウス」なるトコロがありましたし行きました。プレイ回数は2回位ですけど)
なので、ほとんどゲームをプレイする事もなく過ごしてきました(ゼビウスが現れる迄は・・・)
しかし、たった、ひとつのゲームの事だけでも、OKIさんとの縁があった事を思い返すと(皆さんが仰られている通り)ゲームって素晴らしいなぁ・・と思います。
>トムソーヤのハックルベリーリスペクトで、森林の大木の上に基地
この辺りは、私も同じです。
木の上に「基地」を作って遊んでいました。(山の所有者とおぼしき人に叱られたり・・・)
海へ!山へ!と典型的な田舎の子どもですね。
(なにせ娯楽施設が無いのですから)
>「友人と家の中で遊ぶ」というのはボードゲーム位
ですね。
雨の日は、ボードゲームで遊ぶという感じでした。
>禁煙の私の部屋は悪の巣窟のような集会の場所
きっと魅力的なお部屋だったのでしょうね。
高校時代でしょうか。
私の高校時代の交友と言えば「悪の巣窟」とは言えないまでも「外観的」には不良っぽいのが多かったみたいです。
そう言う連中は概ね「バイク好き」「クルマ好き」でしたね。
うーん、時代かなぁ。
そんな私も、マイコンブームの時代には、例に漏れず(?)低レベルながらもマシン語までやりました。
(プログラミングの楽しさを学びました)
例に漏れずと書きましたが上述の「外観的不良達」は”もちろん”プログラミングなどやりはしませんでしたけどね。
その時、その(プログラミングの)経験をしてこなかったら(約30年後に)ゼビウスモドキも作らなかったし、ゼビウスも作らなかったでしょう。
そして、OKIさんへのファースト・コンタクトとなった訳ですが、OKIさんからしてみたら「ダレだオマエ?」だった事でしょうね。
>1986年
この年からです。私がパソコン(マイコン?)・プログラミングから離れてしまったのが・・です。
自動車の運転免許取得の年なのですよ。
(クルマ一直線!)
そんなゲームに関して対極の位置にいる私がOKIさんとの交流を持てたというのが不思議な感覚であると同時にOKIさんに感謝しています。
ゲームの関わり方からすれば、私とOKIさんとでは対極の位置なのですよね。
私の地元にはゲームセンターは無くて、駄菓子屋にゲーム機が設置されているトコロ(所謂「駄菓子屋ゲームセンター」)で、友人のプレイを眺めていただけです。
(あ、「インベーダーハウス」なるトコロがありましたし行きました。プレイ回数は2回位ですけど)
なので、ほとんどゲームをプレイする事もなく過ごしてきました(ゼビウスが現れる迄は・・・)
しかし、たった、ひとつのゲームの事だけでも、OKIさんとの縁があった事を思い返すと(皆さんが仰られている通り)ゲームって素晴らしいなぁ・・と思います。
>トムソーヤのハックルベリーリスペクトで、森林の大木の上に基地
この辺りは、私も同じです。
木の上に「基地」を作って遊んでいました。(山の所有者とおぼしき人に叱られたり・・・)
海へ!山へ!と典型的な田舎の子どもですね。
(なにせ娯楽施設が無いのですから)
>「友人と家の中で遊ぶ」というのはボードゲーム位
ですね。
雨の日は、ボードゲームで遊ぶという感じでした。
>禁煙の私の部屋は悪の巣窟のような集会の場所
きっと魅力的なお部屋だったのでしょうね。
高校時代でしょうか。
私の高校時代の交友と言えば「悪の巣窟」とは言えないまでも「外観的」には不良っぽいのが多かったみたいです。
そう言う連中は概ね「バイク好き」「クルマ好き」でしたね。
うーん、時代かなぁ。
そんな私も、マイコンブームの時代には、例に漏れず(?)低レベルながらもマシン語までやりました。
(プログラミングの楽しさを学びました)
例に漏れずと書きましたが上述の「外観的不良達」は”もちろん”プログラミングなどやりはしませんでしたけどね。
その時、その(プログラミングの)経験をしてこなかったら(約30年後に)ゼビウスモドキも作らなかったし、ゼビウスも作らなかったでしょう。
そして、OKIさんへのファースト・コンタクトとなった訳ですが、OKIさんからしてみたら「ダレだオマエ?」だった事でしょうね。
>1986年
この年からです。私がパソコン(マイコン?)・プログラミングから離れてしまったのが・・です。
自動車の運転免許取得の年なのですよ。
(クルマ一直線!)
そんなゲームに関して対極の位置にいる私がOKIさんとの交流を持てたというのが不思議な感覚であると同時にOKIさんに感謝しています。
No title
はぐれさん
>>「怖い体験」というのをそれ程体験していないので、どんなものか興味津々です。
>
>まぁ、カツアゲもありましたけど・・・
>長くなりますが当時一番怖かった話でも
不謹慎ですが、これは面白い(怖い)体験談ですね!
そっかー、激ヤンキー(笑)ってこんな感じなんですね。
当時の田舎で且つヤンキーって事で、話を聴いていると、地域が「千葉、埼玉、栃木、茨城、群馬」って気がしましたよ。
(実は「北九州」とかの方だったりw あっちは田舎って感じがしないので違うと思いますが)
>最終的には何事も無かったので良かったけど
>あの時はマジで警察沙汰になるとビビリ上がってました
昔のヤンキーで恐らく未成年(の小者)って事でしょうから、恐らく警察沙汰になったら、向こうがビビりそうな感じがしますw
>まぁ、それでもゲーセン行くのは止められなかったですねwww
みんなそんな感じですよね。それくらいゲームセンターには中毒性的魅力がありました。
私の場合はゲームが上手かったお陰(?)で不良にも優遇されていた流れが出きていたので、この手の嫌な事はゲーセンでなかったのが幸いでした。
(逆にカツアゲの現場を見てて、胸糞悪い体験はしてましたけど…
http://ockeysprogramming.blog42.fc2.com/blog-entry-688.html)
>>「怖い体験」というのをそれ程体験していないので、どんなものか興味津々です。
>
>まぁ、カツアゲもありましたけど・・・
>長くなりますが当時一番怖かった話でも
不謹慎ですが、これは面白い(怖い)体験談ですね!
そっかー、激ヤンキー(笑)ってこんな感じなんですね。
当時の田舎で且つヤンキーって事で、話を聴いていると、地域が「千葉、埼玉、栃木、茨城、群馬」って気がしましたよ。
(実は「北九州」とかの方だったりw あっちは田舎って感じがしないので違うと思いますが)
>最終的には何事も無かったので良かったけど
>あの時はマジで警察沙汰になるとビビリ上がってました
昔のヤンキーで恐らく未成年(の小者)って事でしょうから、恐らく警察沙汰になったら、向こうがビビりそうな感じがしますw
>まぁ、それでもゲーセン行くのは止められなかったですねwww
みんなそんな感じですよね。それくらいゲームセンターには中毒性的魅力がありました。
私の場合はゲームが上手かったお陰(?)で不良にも優遇されていた流れが出きていたので、この手の嫌な事はゲーセンでなかったのが幸いでした。
(逆にカツアゲの現場を見てて、胸糞悪い体験はしてましたけど…
http://ockeysprogramming.blog42.fc2.com/blog-entry-688.html)
気がついたら8年目ですよ
トモカズさん
>私からのファースト・コンタクトは実に不躾だったと思い返しています。
あのメールは当時色々な意味でビックリしたものです。
>ゲームの関わり方からすれば、私とOKIさんとでは対極の位置なのですよね。
ですものねぇ~。
会ってその事を知った時は卒倒したものです。
あのメールの流れで、まさかテレビゲームを殆んど知らなかったなんて…と。
>たった、ひとつのゲームの事だけでも、OKIさんとの縁があった
ですよねー。
これって奇跡レベルに感じます。
というか、私との出会いよりもトモカズさんという「ゼビウス移植マニア(狂)」が産まれた事が奇跡レベルです。
ここまで(目コピーで)やった人は、(証拠込みで)日本でもトモカズさん位だと思いますよ。
>ゲームって素晴らしいなぁ・・と思います。
ほんとです。(^^)
>木の上に「基地」を作って遊んでいました。
基地作りは子供の特権ですからね~。
ただ、今の時代は森林とかで作るのは結構難儀しそうですね。
(特に都会に住んでいる子…)
>きっと魅力的なお部屋だったのでしょうね。
>高校時代でしょうか。
時代的には結構レンジが広く、中学生~社会人になった位までです。
8年位の期間で、やってくる人の入れ替わりも時代時代違ってました。
(魅惑のテレビゲームやエロビデオの数もw)
>「外観的」には不良っぽいのが多かったみたいです。
>そう言う連中は概ね「バイク好き」「クルマ好き」でしたね。
>うーん、時代かなぁ。
時代&住んでいる地域でしょうね。
トモカズさんの地域を知っているだけに「そういう人が多そう」という偏見があります。(失礼!)
>そんな私も、マイコンブームの時代には、
>例に漏れず(?)低レベルながらもマシン語までやりました。
トモカズさんはインテリ不良って感じがしますよ。
オフラインで初めて会った時に確信しましたw
>OKIさんからしてみたら「ダレだオマエ?」だった事でしょうね。
ぶっちゃけ、ソレでしたが(またまた失礼!)、あの内容に感動したのは今でも鮮明に覚えています。
しかしキチンと「文頭で本名を名乗って」こられましたし、移植に関して物凄い情熱(パトス)を感じたのも事実です。
それだからこそ、あの返信(出来のダメ出し{辛口評価で恐縮と言いました})をした位ですからね。
そして、それがあってこそ結果オフ会にも繋った訳ですし、結果「私が感動する程のあの凄い移植を見る事ができた」と思うと、「出会って良かった」と思ってます。
(トモカズさんも、あの移植のお陰で色々な方との交流ができた訳ですし、良かったんじゃないかと思ってます)
>自動車の運転免許取得の年なのですよ。
>(クルマ一直線!)
トモカズさんのホームページを最初に見た時に「クルマをバラして作れるなんて、いったいどんな人なんだ!?」と友人と驚いたものです。
>そんなゲームに関して対極の位置にいる私が
>OKIさんとの交流を持てたというのが不思議な感覚
>であると同時にOKIさんに感謝しています。
こちらこそ、この出会いに大変感謝をしています。
二人の趣味嗜好を考えると、まず交わらないですもんね(笑)
ゲームセンターで交流を行なったお陰で「人見知りをしない性格(ただし交流開始はイベントドリブン型)」と「ゲームに対するマシンガントーク」が身についたので、「テレビゲームで遊ぶという経験をしてきて、本当に良かった」と、自分の人生に自信を持って言えるようになっています。
>私からのファースト・コンタクトは実に不躾だったと思い返しています。
あのメールは当時色々な意味でビックリしたものです。
>ゲームの関わり方からすれば、私とOKIさんとでは対極の位置なのですよね。
ですものねぇ~。
会ってその事を知った時は卒倒したものです。
あのメールの流れで、まさかテレビゲームを殆んど知らなかったなんて…と。
>たった、ひとつのゲームの事だけでも、OKIさんとの縁があった
ですよねー。
これって奇跡レベルに感じます。
というか、私との出会いよりもトモカズさんという「ゼビウス移植マニア(狂)」が産まれた事が奇跡レベルです。
ここまで(目コピーで)やった人は、(証拠込みで)日本でもトモカズさん位だと思いますよ。
>ゲームって素晴らしいなぁ・・と思います。
ほんとです。(^^)
>木の上に「基地」を作って遊んでいました。
基地作りは子供の特権ですからね~。
ただ、今の時代は森林とかで作るのは結構難儀しそうですね。
(特に都会に住んでいる子…)
>きっと魅力的なお部屋だったのでしょうね。
>高校時代でしょうか。
時代的には結構レンジが広く、中学生~社会人になった位までです。
8年位の期間で、やってくる人の入れ替わりも時代時代違ってました。
(魅惑のテレビゲームやエロビデオの数もw)
>「外観的」には不良っぽいのが多かったみたいです。
>そう言う連中は概ね「バイク好き」「クルマ好き」でしたね。
>うーん、時代かなぁ。
時代&住んでいる地域でしょうね。
トモカズさんの地域を知っているだけに「そういう人が多そう」という偏見があります。(失礼!)
>そんな私も、マイコンブームの時代には、
>例に漏れず(?)低レベルながらもマシン語までやりました。
トモカズさんはインテリ不良って感じがしますよ。
オフラインで初めて会った時に確信しましたw
>OKIさんからしてみたら「ダレだオマエ?」だった事でしょうね。
ぶっちゃけ、ソレでしたが(またまた失礼!)、あの内容に感動したのは今でも鮮明に覚えています。
しかしキチンと「文頭で本名を名乗って」こられましたし、移植に関して物凄い情熱(パトス)を感じたのも事実です。
それだからこそ、あの返信(出来のダメ出し{辛口評価で恐縮と言いました})をした位ですからね。
そして、それがあってこそ結果オフ会にも繋った訳ですし、結果「私が感動する程のあの凄い移植を見る事ができた」と思うと、「出会って良かった」と思ってます。
(トモカズさんも、あの移植のお陰で色々な方との交流ができた訳ですし、良かったんじゃないかと思ってます)
>自動車の運転免許取得の年なのですよ。
>(クルマ一直線!)
トモカズさんのホームページを最初に見た時に「クルマをバラして作れるなんて、いったいどんな人なんだ!?」と友人と驚いたものです。
>そんなゲームに関して対極の位置にいる私が
>OKIさんとの交流を持てたというのが不思議な感覚
>であると同時にOKIさんに感謝しています。
こちらこそ、この出会いに大変感謝をしています。
二人の趣味嗜好を考えると、まず交わらないですもんね(笑)
ゲームセンターで交流を行なったお陰で「人見知りをしない性格(ただし交流開始はイベントドリブン型)」と「ゲームに対するマシンガントーク」が身についたので、「テレビゲームで遊ぶという経験をしてきて、本当に良かった」と、自分の人生に自信を持って言えるようになっています。
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OKIさんも私も、ブログのスタートはほとんど同じような時期ですが、ゲームが持つ力のおかげで出会うべくして出会ったと思っています。
これからもブログ上やメールなどで、楽しいセッションをしていきましょう!(^^)
>【1980-1982年】
私の場合、80年と81年は駄菓子屋ゲーセンでの活動が主で、ちょうどその辺りから、ハイスコアを出した時のネームエントリーができるゲームがリリースされだしたこともあり、そこからハイスコアを出すことに情熱を注ぐようになった感じですね。82年になった頃には自転車で市街地のゲーセンにも遠征するようになりました。
>【1983-1984年】
ちょうどこの辺りの年代は、私の思い出に残るタイトルがたくさんリリースされた頃ですねぇ。ゲームのみならず世相や文化が変化してきたなぁ…と感じ始めた年代と重なります。
>【1984-1989年】
高校時代から在京時代にかけての年代で、ここから92年くらいまではゲーセンの滞在時間が一番多かった時代でしたね。放課後はゲーセン、休みの日もゲーセン、仕事帰りにもゲーセン…ひたすらゲーセン浸りの毎日でした。(^^;
>想い出の年賀状
拝見させていただきましたが、これは楽しい年賀状ですね。(^^)
右下画像のカバードコアのくだりが微笑ましく、思わず一人でニヤニヤしてしまいました(笑)。